多重人格当事者オタクが語る、乃木の二重人格考察

 以下、ドラマ「VIVANT」のネタバレを含みます。












 二重人格多重人格モノが大好きな私が、日曜を待ちわび、嬉々としてテレビ前に正座待機し、萌えを堪能した、ドラマ「VIVANT」。最終話を終えた今、二重人格を語りたくてたまらない。乃木についてひたすら考察を語らせてください!


★前提として★

・ドラマリアタイ視聴していますが、1話と9話は都合がつかず観ることができていません。周回もできていません。円盤は予約します。ノベライズは手配中で未読です。この段階で書いています。見落としがありましたらご容赦ください。
・私は多重人格(DID)診断済当事者で、自分の体感と知識をもとに書きますが、全ての当事者が私と同じ状況にはありません。個人差が大きく、様々なケースがあります。
・私は多重人格二重人格モノ大好き大歓迎狂喜乱舞、創作とリアルは切り離し、エンタメとして思いきり楽しむタイプなのですが、偏見や誤解を生む懸念などから、創作の中にDIDを取り上げられたくないと考える当事者もいます。あくまで私の個人的な感想・考察であることを念頭にお願いします。

乃木は二重人格なのか

 作中「二重人格」「多重人格」「解離性同一性障害」の単語は出てきていなかったように思います。
 乃木は二重人格なのか?
 個人的な感想としては「二重人格。ただ、日常生活はほぼ憂助ひとりで出来ており、他人から見ると頻繁な人格交替は起きていない。医療機関での診断や治療には至っていない」という印象です。
 耐え難い経験を自分から切り離すことで、人格はまとまりを失います。乃木の幼少期からの経緯を振り返ると、生命の危機にさらされており、安心安全な環境が無く、孤立無援な状況が続き、二重人格になっても違和感はありません。バルカで拐われた際の負傷が記憶喪失の原因として考えられますが、負傷が無くても、たとえばバルカでの記憶がごっそり抜け落ちるとか、耐え難い苦痛からの記憶喪失になっていた可能性はあります。

行動したのは憂助なのか、Fなのか

 はわわ天然キャラの乃木。
 シリアスで冷徹な乃木。
 あの場面、この場面、体をコントロールし行動しているのは、憂助の方か、それともFなのか。
 私の個人的な感覚ですが、「ドラマ本編で大半の行動をしていたのは憂助、乃木自身の生命の危機の場面のみ行動するのがF」ではないかと感じています。
 憂助は別班の優秀なメンバー。大概のことは憂助自身が処理できてしまいます。論理的思考、凄腕スナイパー、拳銃の重さから弾数を推測できるなど、能力の高さゆえ、「憂助が予測不能な」生命の危機に瀕する場面は、案外少なかったのではないかと思います。殺される前に殺せる人なので。
 たとえばバルカの砂漠をひとり戻る場面、ああいったシチュエーションだと、体を支配しているのはFかもしれないなと思います。
 撃ったり殺したり、冷徹な場面が度々ありますが、行動していたのは憂助の方ではないかと思っています。「温和な表人格、残虐な裏人格」という、二重人格創作のステレオタイプに引っ張られがちですが、二重人格のいち人格が多面性を持っていてもおかしくはないです。

憂助を形作るもの

 憂助は、はわわ天然、穏やかな性格を持つ、あれは演技ではなく、憂助の持つ一面なのだと思います。
 また、別班として行動する、鋭い眼差しの表情も、憂助の一面ではないかと感じています。別班として行動する時に、人格交替を由来とする記憶の欠落は見られません。記憶の連続性がないと、記憶力が必要とされる別班の任務にあたるのは難しいです。
 憂助は国を揺るがすものを排除するという別班としての思想に忠実に、任務にあたります。命懸けの任務に向かう、憂助の抱く愛国心とは何なのか。私は、安心安全な環境が無く、その代替は当初Fだったけれど、別班の任務の中で「愛国心、忠誠心、ナショナリズム」が安心感の代替になっていたのではないかと感じています。「国家への所属」が「ファミリーへの所属」と化しているというか。別班としての生活に安心感や安定した日常は無いけれど、乃木にとっては数少ない居場所になっていたのではないかと。

Fは何者なのか

 Fは現状休眠状態にある別人格、ポジションはISH(内的自己救済者)、幼少期に本領発揮していたが、今は憂助がバリバリデキルマンすぎて出る幕があまり無く隠居状態、行動してるのは基本的には憂助。というイメージがあります。

「死なねえよ お前は俺が 死なせねえ」
 Fによる二重人格エモ川柳を耳にして、ハートを撃ち抜かれたわたし。エモしぬ。
 このFのセリフが全てを物語っている気がします。
 幼少期の生命の危機、無力感、孤立無援、安心安全な環境の喪失。その代替となっていたのがFではないかと感じています。

 ISH=内的自己救済者。(エモい…!)

 Fは、憂助としか話していないのではないか、と思っています。観直さないと確証は持てないですが。Fとして、野崎、黒須、薫など、他人と対面しておらず、言葉を交わしていないのではないか。視聴者は神の視点から、乃木の内側の自問自答としてFを目撃できますが、実際、Fは表に出てきていないのではないかと。Fの役割からすれば、憂助以外と対話する必要性は無いわけです。(それはそれとして、個人的に、野崎や黒須やノコルと喋るF見てみたさはある!)

Fの名前の由来は?

 別人格の名前って、どうやって決まるんでしょうね?
 自分のケースを考えてみると、一層わからないのですよ。
 私自身なんて、友人が私を呼ぶのにつけた名前に推しの苗字を拝借してくっつけてるだけなので、実質「名無し」です。生まれ持っての名前とか無いです。それに悩む機会は特に無いので良いですが。新庄透子気に入ってるし。
 別の人格は、小学生の字で鉛筆でフルネーム漢字で書いてたりしたのが残っていますが、その名前がどこから来たのか、私には全くわかりません。
 また別の人格は、別人格の名前を知らない私が、適当にそこらにあるものをあだ名にして勝手にそう呼んでいたのが、結果的に名前として使われています。本名不詳です。
 他のケースはわかりませんが、自分の場合だけで言えば、名前は結構適当な扱いです。

 Fは、憂助にFと呼ばれて自分だと認識しているので、「エフ」が名前なのだと理解し受容している様子です。
 拐われた以降の時期にわかれた人格である可能性が高い。幼少期に憂助の支えとなっていたのではないか。
 Fを頭文字にする単語から来ている説も考えましたが、別に頭文字だけをとって呼ばなくても、フルネームで呼べはいいじゃないかと。誰も憂助がFを呼ぶ声を聞いたり(聞こえたり)しないのだから。略す理由がない。
 記憶喪失になっているから、それまでの自分が好きだったものや、拠り所としていたものもわからない。

 私のイメージとしては、憂助にFの声が届いた時に、憂助に名前をきかれ、名前なんて特に無く答えに詰まり、そこらを見渡した時にたまたまFの文字があったので(たとえば拐われた先の部屋のプレートがFだったとか……いいたとえが浮かばない)、とっさにそれを名乗った、とかですかね……。江戸川コナンと同じパターン。
 由来が明かされる日を楽しみに待っています!