同僚が死んだ。どうやら自殺らしい。

※自死について書いているのでトラウマがある方はお気を付けください



 どれくらい前のことだろう。
 同僚が死んだ。どうやら自殺らしい。
 顔も知らない私にとっては対岸の火事の感覚だが、それなりに周囲に衝撃を与えたらしい。
 あの人がどうして。ショックだ。信じられない。理由は。などと様々な憶測が飛び交った。
 そして皆揃って禁忌のように口を閉ざした。

 私にとって、自殺はそんなに珍しいものではない。交通事故や癌と同レベルで身近にある死因のひとつだ。
 友人知人の親族や知り合いが自殺で亡くなったと言う話をいくつか知っている。皆、積極的に語ることがないだけで、それなりにあるんだろう、という気持ちでいる。

 2014年春。友人が高層階から飛び降りた。
 幸い命を取り留めたが、ちょっと命を取り留められると思える高さではなかったので、続報が来るまで情緒がぐちゃぐちゃになった。
 有難いことに、友人は今も友人だ。

 小学生の時から死にたがりで、屋上へのドアに鍵がかかっていなければ落下できるのに、と思っていた。
 死にたがりは結局生き延びた。
 でも、死はすぐ隣にある。
 最後に生死を分けるのは、その時に風が吹くか否か、くらいの偶然なんだと思っている。

 それぞれの状況の自分や他人にかける適切な言葉は今もわからない。
 色々と考えた末にひとつだけ思ったのは、多面体のような複雑な感覚を、一方からの見方だけで押し潰してしまいたくはない、ということ。

 そんな事を思いながら話を書きました。

 note更新が止まっていたのは、これを書いていたからです。調べ物もかなりの量があったのですごく時間かかりましたが、自分なりに考えて書きました。

 太宰治の人間失格を読んで、生と死はアントかシノニムか、などと考えたりします。