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自己肯定感村の村長さん

私、漠然とナルシストだから自分のことしっかり目に好きなんだけど「自分のどこが好き?」って聞かれたら特にない。特にないというかマジでない。

今の私の状態って、イキった中学生男子が漠然と理由もなく自分に自信があって何故かクラスの女子は薄ら自分のこと好きだと勘違いしてるみたいな(偏見もいいとこ)もんだと思う。

そのまま生きてくのは若干幸先不安だけど(いやまぁ別にそのまま生きてたっていいのかもしれないけど)、1回自己肯定感ドン底まで落としてから漠然とちょうどいいナルシストに成り上がる分には何の問題もない気がする。多分バランスよく上手に生きれるよ。

私の場合は親が離婚して父親っていう私の自己肯定感を削ってくる存在をシャットアウトできる環境に移ってから結構すぐここまで駆け上がれたよ。親の離婚はただの運だけど、環境が変われば色んなことが簡単に変わるって話。

誰だって自分の嫌いなところは簡単に見つかるはずだから、自分のここがダメって嫌でも気付かせてくる奴とか不要も不要、粗大ゴミ。

薄ら自分のこと好きになってくると何をするにもなんか楽しくてね、今まで服選ぶにしても「着たい服」と「着れる(自分に似合う)服」の妥協点が分かんないから理想と現実の差にイライラするしなんかもう全部嫌になってきて結局何年も貰い物ばっか着てたんだけど、今は服もメイクも自分を輝かせるための付属品くらいの感覚で選べるようになった。

あともう一個残念なのが、私はガッツリ寒色が好きなのにイエべ秋だからとにかく「着たい服」と「着れる服」の差がデカすぎたの。正直今だって自分が持ってる服自体は別に好きじゃないけど、それを着てる自分が好きだからまぁいっかって感じ。

「なんかこいつ頭悪そうだけど人生楽しそうでいいな」って思うでしょ。でも好きなものは理由もなく好きらしいから多分こんな感じでいいんだと思う。

例えば、自分の顔が好きだから何をするにも自信を持って生きてる人がいたとしたら、誰か(特に好きな人とか)に顔を否定されただけでその人は自信を失うどころか自己肯定感まで揺らぐと思う。それは厄介すぎるからやっぱ自己愛に理由なんてない方が圧倒的に都合がいい。

私ですら今でも残念なことに自分の嫌いなところは割と簡単に見つかっちゃうような気がするから絶対考えないようにしてる。普通に考える意味がない。

本気で悩んでる人に「考えすぎ」とか適当なことは言いたくないけど、でも世の中確実に「考える必要がないこと」はあって、例えばお風呂でオナラしてマッチ近づけたら燃えるかな?とか(高校の化学科教師)

別にオナラが燃えても燃えなくてもどっちでもいいじゃん。それと同じくらいのレベルで私にとって「自分の好きなところ」はどうでもいいことだから考える必要がないと本気で思ってる。

でもナルシストライフ送ってるとだんだん「あれ?私これ出来るじゃん」って色々見つかって(私はしょーもない特技ばっか見つかるけど)面接で自己アピールとか聞かれたらすぐ答えれるようになったよ。

やっぱ自分とは死ぬまで一緒にいるから理由もなく無条件に好きっていう方が精神衛生上よさそうね。

内容薄いし何言ってるのかよく分かんないけどはじめてだしまぁこんなもんでいいや、きっとこれから上手になるよ。楽しかったです、もし最後まで読んでくれた人がいたらどうもありがとういっぱい好きです。

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