予定調和の概念があれば、その向こう側の豊かさを得る。
M-1で初めて
ぺこぱ
を見た時、私は大爆笑しました。
お笑いが好きな娘もさぞかし笑っているだろうと思ったら、キョトンとしていました。
面白くない?と聞いてみた時の返事は
当たり前のことだけ言ってて意味がわからない
という、目から鱗な一言でした。
私が爆笑したのは、
こうつっこむだろう
と思っていたところから、
肯定に転じる
ところです。
松蔭寺大勇さんが自己紹介をする、その松蔭寺の前に立ち、シュウペイさんが自己紹介をする。
「いや、俺の前に…」
当然この後、立つことを咎めるツッコミが入ると考えます。
何故そう思っていたのか。
それはずっと漫才がボケとツッコミに分かれていて、ボケがおかしな行動や発言をした時にツッコミがそのおかしさを咎めるツッコミをするもの、
ボケとツッコミはそういう予定調和で成り立つもの
だと知っていたからです。
だから、
「立つなら俺がずれればいい。」
と肯定する事で予定調和は覆され、笑いにつながります。
うちの娘はボケとツッコミの定番の予定調和をよくわかっていない。
そして、
私と違い
真面目で優しい子です。
真面目で優しい子にとって、松蔭寺大勇さんのツッコミは
うん、そうだよね
と共感するだけのものなのでした。
また、最近
ファイアパンチ
という漫画も読みました。
氷の魔女に冬の世界にされてしまった未来の地球で、再生能力を持った少年が燃え尽きるまで消えない炎を出せる能力者に妹を焼き殺され、自らも焼かれましたが、再生能力が強すぎて死ねなくて燃えながら生きて復讐を目指す…という出だしの話です。
この出だしを見て、
ああ、能力者の復讐バトル漫画か
と思います。
それは、今までそういう話を目にしてきて、
復讐劇が成り立つ予定調和
があったからです。
ところが読み進めるうちに、その復讐を映画にしたいという人物が現れます。
さらに読み進めると奴隷化した人達を助けるヒーローとなり、神となります。
次々と
この展開だと次はこうなるだろうな
と思う予定調和は覆されていくのです。
ぺこぱやファイアパンチが崩していく、この
予定調和
は
日常生活の中で積み重ねられる作られるもの
です。
子どもはまだ
予定調和積み上げ中
です。
普通に考えればわかるでしょ?
積み上げてなければわかりません。
常識じゃない。
積み上げてなければわかりません。
普通、当たり前、常識、それらの
世の中の予定調和
は、
生活を積み上げることで出来上がります。
そして、それを作ることは
新しいものの捉え方
も生み出します。
そうするとぺこぱで大爆笑できたり、ファイアパンチを読んで正義や生死について考えに耽ったりする
豊かさ
が生まれるのです。
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