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東京学生映画祭インタビュー企画 vol.1|常間地裕監督

はじめまして、東京学生映画祭です!
東京学生映画祭とは「東学祭」とも呼ばれていまして日本で最も長い歴史を持つ映画祭です!
しかも、企画・運営はすべて学生のみで行っています。
私たちはみなさんに私たち自身のことはもちろん「学生映画ってどんなもの?」「監督になる人ってどんな人?」などを今映画界で活躍している方々とのインタビューを通じて今回から発信していきたいと思います!
第一回は第30、31回東京学生映画祭に入選し、昨年初長編監督作『この日々が凪いだら』が全国公開された常間地裕監督です!


常間地 裕 Yutaka Tsunemachi
1997年神奈川県生まれ。
2020年3月多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科演劇舞踊コース卒業。
大学2年次に映画美学校フィクションコースに入学。同校初等科、修了制作短編『なみぎわ』が国内多くの映画祭にて入選、上映され5つの映画祭でグランプリを獲得している。
その後、初長編映画『この日々が凪いだら』が海外セールス会社 Asian Shadowsとの契約を経て海外進出が決定し、全国公開を果たした。
また2023年放送予定のテレビ東京ドラマ『私と夫と夫の彼氏』ではメイン監督を務める。
その他、監督作には、羊文学『夕凪』MVや、にしな『ワンルーム』Story Video、ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2022 Cinematic Tokyo部門に入選した『現在地(サトウヒロキ-PROMOTION MOVIE)』などがある。


まず、初めて東学祭に応募されたのはいつでしたか?

映画美学校の修了制作で撮った『なみぎわ』という作品を、2019年、第30回東京学生映画祭に応募したのが初めてでした。
その1年後に、在学中に撮ったものなら応募できるということでしたので、『Female』という作品を連続で応募させていただいたという形です。

『なみぎわ』は常間地さんの何本目の映画になるのでしょうか?

1本目ですね。大学と並行する形で映画美学校に通い始め、実習で短い映像を撮ることはありましたが、 映画としてしっかり撮ったのは『なみぎわ』が最初になります。

 多摩美術大学に入られた理由を伺いたいです。

もともと演技を勉強したいと思っていたので、自分は演劇舞踊デザイン学科演劇舞踊コースに入学しました。教授に野田秀樹さんがいらっしゃるというのもあり、芝居の勉強をするなら多摩美だろうと思って入ったんです。
大学の2年生のとき、俳優をやるうえで映画の作り方を学べば絶対プラスになるだろうと思い、映画美学校に入りました。そこから映像制作をはじめて、今に至るという感覚ですね。

『なみぎわ』では様々な映画祭に入選されましたね。

やはり作ったものを誰かに見てもらいたいという気持ちは大きく、様々な映画祭に応募しました。
その結果、いろいろな場所に行かせてもらえたので、それも今となっては大きいと思いますね。そこで出会った人たちと今も繋がっていたりもしますし、チャレンジして本当に良かったなと思います。

『なみぎわ』の世界観を引き継ぐような作品、『この日々が凪いだら』はどのような企画として始められたのですか?

『なみぎわ』のときと同じく、日々を生きていて、浮かんでくる感情から企画を始めました。また、その後は主演のサトウヒロキさんが役作りをする中で抱えていた感情なども取り入れていきました。
そして企画書を映画美学校に紹介していただいた MOOSIC LAB の企画者であり、プロデューサーの直井(卓俊)さんという方に見せに行き、この物語をやりたいんです、キャストはこの人たちで撮りたいんです、このロケ地でやりたいんです、みたいな話を持っていったのが始まりですね。
 
MOOSIC LAB―2012年から始まった新進気鋭の映画監督とアーティストの掛け合わせによる映画制作企画を具現化する音楽×映画プロジェクト

羊文学さんとはそこで?

そうですね。羊文学さんの曲は元々聞いていました。その中で、「この映画の世界にあってほしい音楽」という想いで打ち合わせに行き、一緒に作っていく流れになりました。
羊文学さんと一緒に映画を作る過程では、音楽に対する考え方だけでなく、もの作りそのものに対する姿勢など、多くのことの気づきがあり、とても大きな出会いでした。
今思うと、あのタイミングでご一緒できたことは、運命だなと感じます。一緒にやれたことが大きかったなと。 

キャスティングはどのように進めていたのですか?

キャスティングは全員オファーで、ご一緒したい方たちにお願いをしました。俳優同士として出会った人もいますし、瀬戸かほさんのように映画祭でお会いした方も、出演作を見ていた方もいました。
どの役もキャストが決まった後、さらにご本人の要素を入れながら、全員当て書きするような形で書いていきました。
キャスティングは本当にそんな奇跡があるのかというぐらい、願いが叶いましたね。

公開するまでの流れはどのようなものでしたか?

まず MOOSIC LAB でイベント上映して、いよいよ単独公開に向かっていこうというところでコロナが重なってしまいました。
ちょうどその時期に、海外の大きな映画祭からチャンスが回ってきていましたが、1年待ってくれないかと言われました。正直、そこならもう待つしかないなって、誰もが思う場所だったので、待つ決断をしました。その間に『Asian Shadows』という海外セールス会社と縁があり、一緒に進んでいくことになりましたが、やはり公開までは本当に時間がかかりましたね。その間、新しい企画を書いてみたり、それを動かそうとしてみたり過ごしていたんですけど、やっぱりどこか時間が止まっていた感覚はあったかなと思います。2022年2月に劇場公開をして、やっと時が動き出したように思います。初日舞台挨拶で見た景色と感覚は今でも忘れません。

学生として映画を撮るのと、プロで商業映画を撮るのはどれくらい違いますか?

初長編監督作の『この日々が凪いだら』に限った話ですと、商業ではなくてインディーズの映画なので、そこは商業映画規模で大きなお金が動いてってことはなかったんですが、やっぱり長編は大変でした。長さはもちろん、関わる人も増えますし、それに付随して巻き込む方たちも増えるので。
ただ長編映画にしても学生時代の短編にしても、意外と根底は変わらないような気はします。それでも映画を劇場でかけてお金をいただくということを考えると、責任はその分、大きくなりますし、しっかり公開をしたいという想いがすごくありましたね。ちゃんと届くものにしなきゃいけないという、何か大きなものが肩に乗っているような感覚もすごくありました。
あと個人的な想いとしては初長編なので、自分の名刺代わりになりうる作品にしなければいけないという想いがありました。

映画監督という仕事についてはどう思いますか?

僕もまだ胸を張って映画監督です、と職業として言えないですが、すごく難しい職業ですよね。映画だけではなかなか食べていけないという現実はありますし、素直な気持ちを言えば最近それをすごく考えています。創作と生活、いろいろ迷いながらやっている感じですね。
ただ、決まったお仕事も、事務所に入ったのも長編の映画がきっかけだったりはするので、矛盾しているようなのですけど、胸を張って映画監督ですと、もう言っていかないといけないんだなとも思うんです。
最近少しずつ色々なものを撮ることができるようになってきましたが、これからも撮りたいと思えるものを、撮り続けたいなと思います。その上で一つ、何が何でもやりたい長編もあるので、その長編をやるまでは死ねないですね。

映画祭には学生の背中を押す役割もあると思うのですが、映画祭というものが今のキャリアに至るまでのなかに在ってよかったと思いますか?

在って良いというか、在ってほしい場所だと思います。よく、映画は上映して観てもらって完成という話をいろんな人がすると思いますけど、それはまさにそうだなと思います。あとはやっぱり自分の作品とかやりたいことを認めてくれる人たちがいるんだ、というのも自信になります。作品を観客に届けることを今まで以上に意識するようになったのも映画祭が在ったからでした。
初長編が海外のセールス会社と縁があったときに、自分が大切にしたかったことが作品を通して全て伝わっていたんですよね。国も文化も言語も超えて、 映画は届くんだと、自分が洋画を観たときに感じていたようなことを改めて実感しました。
映画祭は、多くの人に映画を届ける場所として、きっかけとなる大事な場所だと思います。

学生ではない立場になって、学生映画とはどういうものだと思いますか?

初期衝動が映っていることですかね。撮りたいものをがむしゃらに撮ってという。僕はそうだったので。
自分は俳優をやっていたこともあって、プロの人たちがどういうモチベーションでやっているんだな、とかも見てきましたし、熱量だとか気持ちだとか、観ている人に届けるっていう想いも、なんとかそれを自分の映画に持ち込もうとやっていました。
分からないなりに、あそこまでがむしゃらになって何かをやるのは、学生映画しかないと思っています。だからこそ、学生時代に映画を撮り始めた時の感情や、無知さゆえの強さのようなものは大事にしたいし、忘れないようにしたいなと。自分の撮りたいものを撮るためには、変に大人になりすぎないほうがいいなって最近思います。もちろんしっかりするところはしないとだめですけど(笑)。
また、映画祭でかけてもらって嬉しかった言葉や、その時に感じた気持ちなんかは忘れちゃだめだな、とすごく思います。あとはやはり、その時にしか撮れないものが映っていること。初長編もそうですけど、それが色濃く出るのが、学生映画な気がします。

今の学生監督に思うことはありますか?

偉そうに何かを言える立場では全然ないですが、学生の皆さんからは刺激をもらいますし、(監督としては)あまり変わらないと思っています。
自分も最初は若い監督として紹介されたり、あの年で長編を撮ってすごい、なんて言っていただいたりしていましたけど、年齢はそこまで関係ないと思っています。なんだかんだで僕も25歳になってしまったので、今まで以上に頑張らないと、っていう想いがすごくありますね。今回こうやって呼んでいただいたみたいに、学生映画に対して少し外から参加する立場になって思うこととしては、お互い頑張っていければな、と。
あとは、映画のこれからについても話をしていかないといけないと、思うようにもなりました。だから頑張ってくださいとは言えないというか、やっぱりお互いに頑張りたいですね(笑)。

学生からプロになる方法はありますか?

動き続ける、撮り続ける。この2つですかね。自分のことで言えば、お芝居を始めたことも、映画美学校に入ることも、初めて映画を撮るというのも、そうでした。
初長編映画で言えば、やはり当時の勢いですよね。21、2歳で撮れるのかっていう、不安はもちろんあったんですけど、撮って本当によかったなと思います。撮った結果いろんな場所にも連れて行ってもらいましたし、いろんなことを学びました。それが実際、仕事に繋がったり、一緒にやったスタッフさんが様々な縁をつないでくれたりもして。だから自分から何か動いて出会った人との繋がりみたいなものが、大事なのだと、今ひしひしと感じています。
僕自身、しっかり地に足つけて、というのはこれからかもしれないですけど、「動いて、出会いを大事にする。」というのが大切だと、自分にも言い聞かせていますね。

学生監督達へのメッセージをお願いします。

今しか撮れないもの、撮りたいと思えるものを、形にしてほしいなと思います。
そしてその先に、残るとは思うんですけど、制作過程のことや、自分の映画を上映した時に感じること、観てもらった方々の反応を、記憶にとどめていってほしいです。
これはメッセージと言いながら、自分もそうしていきたいと思うことです。僕も精進していきます。
いつか様々な形で、皆さまとお会いできる日を楽しみにしています。

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