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茶室にて

「あらあら。それでこんな辺鄙な所までいらしてくれたの」
女将はそう言って、山葵色の着物の袂を口にあてて、目を細める。

カコン。
直ぐそばで、鹿威しの張りの良い音が鳴る。




「始まりはもう随分と前のことですから」
スッスッと床を擦るようにして、案内されたのは1番奥にある、小さな部屋だ。
「茶室、って言うのかしら。そういったものはわざわざ用意するようなことはしてませんで。ここをその場として使うようにと」

通された部屋は、3畳程度の小さな和室。
窓という窓もなく、障子を開けると直ぐそばの森が間近に見えた。



「お目当てのものは、これですね」
女将がすっと出した大きめの木箱。
蓋をあけるとそこには木製の茶道具が、美しく収まっている。
ああ、これだ。
私は思わず、ごくん、と喉を鳴らす。



千利休が亡くなった天正19年から、数百年以上も経った今。
この国は、ちょっとした茶道ブームだ。
その火付け役が、この茶道具である。
一度飲めば、得も知れぬ魅力に心を鷲掴みにされる。
目眩を起こす者もいるらしい。
そんな噂を、こっそり知り合いから聞いたのだ。


私は長年鳴かず飛ばずのフリーライターである。
いい歳なのに未だに収入はままならない。
向いてないのかもしれないとまで、最近は思う。
そんな私にとって、今回は最後のチャンス。
何としても、話題になる記事を書いてやるぞ。 そうして私は準備もそこそこに、急ぎ取材にやってきたのだった。



「あの人が作ったきっかけ?そうですねぇ」
あの人、というのは女将のご主人でこの茶道具の作り手だ。
女将は小首を傾げて考える。
そして、障子の先に見える森を真っ直ぐに指差した。

「森の中に、大きな大きな桜の木がありましてね。あの人が言うには、その桜が森の主なんだとか。
それである時、桜があの人に言ったそうです。『お茶を飲みたい』と」



私は思わず、ペンを持つ手が止まる。
桜が"言った"だって?
しかし女将は、まるで何でもない事のように淡々と話しを続けた。

「それであの人は、私を連れて桜の前でお茶を立てさせました。そのお茶を桜に注ぐと、なんとも心地良い風がそよいで、そしてまたあの人が言うんです。『今度は、森の木々で茶道具を作って欲しいと頼まれた』と」
「桜にですか?」
私が聞くと、女将はこっくり頷く。
「あの人は、そういう人なのです」


思いもよらない話に、ぽかんとする私を尻目に、女将はそこでぱちんと両手を打った。
「さて、話が長くなってしまいましたね。お茶を立てましょうか」
そうしてその美しい茶道具で、シャクシャクと抹茶を立て、私の目の前に置いた。

そうだ、まずは飲まなくては。
やや緊張しながらクルクルと茶碗を回して、飲む。
「結構なお点前でした」
私がお辞儀してそう言うと、女将は少し面食らったような顔をした後、再び目を細めて言った。
「あなた、お茶、詳しくないでしょう」

その目を見て、私は何やら作法を間違えたことに気がついた。
しまった。
やはり付け焼き刃の情報だけでは駄目だった。

私は俯き、恥ずかしくて顔があげられない。
しかし女将はふふっと笑い、そのうち腹を抱えて笑い転げてしまった。

呆然とする私に、やがて女将は目をこすりながら優しく言った。
「気にしないでくださいませ。私も同じ。お茶を立てたのは桜に注いだあの日が初めてでした」
今度は私が面食らう。
とてもそうは見えない振る舞いだった。



「でもあの人のことは、きっと本当ですよ」
女将はそう言うと、茶碗を両手で包むように持ち上げた。

「このお茶碗もねぇ、よく見ると歪んでますの。けどあの人は、それがいいんだって言うんです。型に、はまれない性質こそが、生きざまだって」

生きざま。
私は心の中で復唱する。
確かに少し歪みのあるそのお茶碗は、堂々と美しく、その場に収まっていた。

女将は、今度は自分にもお茶を立てて入れると、そっと茶碗を持ち上げて言った。
「今度はもっと楽に。一緒に飲みましょ」



私達は2人、向き合ってお茶を飲む。
今度はお茶に、器に集中する。
少し歪な茶碗の縁が、私の唇にぽっこり触れて、そこから木の匂いが香るようだった。

私は森の中に佇む大きな桜の木を想像した。
そしてその側で、何やら頷く男の人を。
頭の中にあった靄が
すーっと消えて澄んでいく。


カコン。
柔らかな鹿威しの音が、
私達の茶室に鳴り響いた。



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