もし、世界が今日終わったら。「杉本博司 ロスト・ヒューマン展」

※「ハニカムブログ 」2016年11月12日記事より転載

唸るしかないものを観た。

東京都写真美術館で開催中の、「杉本博司 ロスト・ヒューマン展」

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先日観た 志村ふくみ さんによる、人の世の美しさ、ふくいくたる生命の息吹が肌に迫る展示とは真逆の...

全てが失われた世界。


「太陽系の第3惑星地球には大量の水が存在し、5億5千年程前から水中での有機物による爆発的な生命現象の連鎖が始まった。生命は人類にまで進化し、今回の2万年程の間氷期の間に文明の発生を見た。しかし様々な困難により文明は衰退し、そしてそこに残されたのは文明の廃虚だった。」


遺伝子学者、政治家、養蜂家、古生物研究者、ジャーナリスト、宇宙物理学者、コメディアン...33名の様々な立場の人が、失われてしまったパラレルワールド的な世界について回顧し、この言葉で始まる文章を誰に見せるためでもなく書き遺す。

「今日、世界は死んだ。もしかしたら昨日かもしれない。」

それぞれの人の遺品のようなものを展示したインスターレーション、そして肉筆(杉本博司氏が指名した33名の代筆者による)で記された文章を見ながらゆっくり歩を進めていく。

すると、次第に自分が廃墟となった地球を探索するために訪れた、未来の異星人のような気になってくる。


そして、イエス・キリストが歩いたかもしれないガリラヤの海の、モノクロ写真。

全てが終わっても、きっとそこにあり続ける海。


あらゆることが明確にわかりすぎる世界に暮らすことは、必ずしも幸せではない。

永遠の命があるからといって、幸せになるとは思わない。

確定されていない未来が、できる限り明るく幸せであるように。

明確でない部分があるからこそ。

そこに希望を見出しながら、祈りながら生きる。


なかなかに壮絶でしたが、それを体感することで逆に生命の瑞々しさに対して敏感になるという効能がある。

■ 小松ゆり子 official web site
http://yurikokomatsu.com


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