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太古の記憶を呼び覚ます場所「江之浦測候所」

未来の遺産のような。昔からある場所のような。

夢の中の風景が呼び起こす、身体に刻まれた太古の記憶。

その記憶の場所に辿り着くために、今を生きているような。

相模湾を臨む広大な土地に作られたアート施設「江之浦測候所」。

いつの日からか、ずっと行きたかった場所。

古代人のメンタリティを感じるために、太陽の運行を測候する場所として名付けられている。現代美術家の杉本博司さんが、「遺作」として制作を続けているプロジェクト。

「夢の世界に生きてて、ほとんど毎晩のように夢を見てますね。ほとんど 夢からでてきた発想が作品になってくるということですよね。」

「古代人と現代人が、同じ風景を見ることができるか、という設問を自分にした。」

「古代人のメンタリティから「人間」らしい人間になったとき、どうやって意識が芽生えてきたのか?」

「やっぱり太陽が昇るのを見て、月が昇るのを見て、陽が沈むのを見て、そういう時間の意識を持つことが、心を持つ、意識を持つことの一番最初のステップじゃなかったのかな?」

建物のエントランスの長い通路は、建物自体が夏至の時に、太陽光が100mある隧道の一番奥まで突き抜けるように設計されている。

また冬至の朝日が抜けるように設計された「冬至光遥拝隧道」もあり、2つの太陽光の軸線が広大な敷地を貫いている。

「悠久の昔、古代人が意識を持ってまずしたことは、天空のうちにある自身の場を確認する作業であった。そして、それがアートの起源でもあった。」

「私は石に取り憑かれている。または私が石に取り憑いているのだろうか。」

わたしも同じような気持ちに囚われたことがある。

人がどんなに移り変ろうとも、石はただそこにあり、全てを目撃し、気配を記憶している。

その記憶に触れたくて、石と共にいる。

「5000年後に遺跡としていかに美しく残るか?ということをコンセプトにしている。」

その時には、人類文明も滅びているかもしれない。でも、この場所が崩れていつの日か朽ち果て、蔦が絡まっても石の壁は残る。

いつかの人類がなにかを作ってきた、その記憶。

「私にとって、本当に美しいと思えるものは、時間に耐えてあるものである。時間、その容赦なく押し寄せてくる腐食の力。全てを土に変えそうとする意志。それに耐えて生き残った形と色。」

「まだ若い頃古美術の仕事をしていた時。日本の歴史、その「物」としての実物と暮らすということで、その時代の使われていたものをなでさすりながら、その当時の感覚を呼び戻すようにしてきた。

古代人のメンタリティが自分のアーティスティックな発想の源泉。持っていることによって、実際にわかる気がするんですよね。

わたしたちが自分になにかを呼び起こす時、必要なのは「体感」。

手触りを通じて自分の中にその記憶をインストールするという、とてもソマティックな作業。

そして、一度でも体感したものは、意識を飛ばすだけで自分の中に立ち現れるようになる。

「気持ちがわかるから物のほうも吸い寄せられてくる、なにか磁場みたいなものができたんじゃないかな。」

そうやって集められた物たちが、この世界の縮図のように、でも時間の縮尺は無視した状態で、自然の中にそれぞれの間合いを保ちながら点在している。

「私はこの杜に神霊を招請しなければならないと思った。神社を作らなければならないのだ。」

江の浦測候所の社には、奈良春日大社から神様が迎えられた。

この鎮守の森に社を作り、一度ほんものの神様を招きいれたからには、これから未来永劫、粛々と日々その神様を拝み、祀ってゆかねばならない。

神がいるのかいないのか、それはわからないけれど、その真摯な祈りの中にこそ、神が宿りつづける。

きっと、また未来で会える場所。


■ 小松ゆり子 official web site
http://yurikokomatsu.com


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