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音楽史をファクトチェックする

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クラシック音楽の名曲には、様々なエピソードが知られています。しかし、それらは実際にあったことなのでしょうか。有名な作曲家の実像を検証します。
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ショスタコーヴィチは「交響曲第五番」で二枚舌を用いたのか《5》

前回はこちら。 ソ連当局の足枷 亀山郁夫『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』では、作…

ショスタコーヴィチは「交響曲第五番」で二枚舌を用いたのか《4》

前回はこちら。 「自分を殺した」ショスタコーヴィチ すでに述べたように、ショスタコーヴィ…

ショスタコーヴィチは、「交響曲第五番」で二枚舌を用いたのか《2》

前回はこちら。 激しく転換したショスタコーヴィチの評価 ショスタコーヴィチほど、評価の変…

ショスタコーヴィチは、「交響曲第五番」で二枚舌を用いたのか《1》

 ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(一九〇六~一九七五)のイメージといえ…

ショパンの《革命のエチュード》はポーランド蜂起に基づいているのか《4》

前回はこちらです。  前回紹介した通り、ショパンはワルシャワ蜂起とその失敗の報に衝撃を受…

ショパンの《革命のエチュード》はポーランド蜂起に基づいているのか《3》

前回はこちらです。  前回述べた通り、ポーランド蜂起の時、ショパンは故国を離れてウィーン…

ショパンの《革命のエチュード》はポーランド蜂起に基づいているのか《2》

 前回はこちらです。  一八二九年七月、一九歳のショパンはワルシャワの高等音楽院を卒業しました。既に将来を嘱望される才能を示していた彼は、同月にウィーンを旅行します。ウィーンの聴衆からはまずまずの評価を得、国外でさらに活躍する段取りも整えられていました。 なぜポーランドで民族運動が高揚したのか ここで、当時の国際情勢を整理しておきます。ナポレオン戦争後の一八一五年、戦後処理のために欧州各国の首脳がウィーン会議を開催。各国の自由主義を抑圧する保守反動的なウィーン体制が成立し

ショパンの《革命のエチュード》はポーランド蜂起に基づいているのか《1》

「ピアノの詩人」と称されるロマン派の作曲家、フレデリック・ショパン(一八〇九/一〇~一八…

ブラームスとクララ・シューマンは恋愛関係にあったのか《4》

前回はこちら。 クララの息子の悲劇的な死  なぜ、ブラームスとクララ・シューマンの関係を…

ブラームスとクララ・シューマンは恋愛関係にあったのか《3》

前回はこちら。 ブラームスの熱烈な恋文  若きブラームスがクララにどんな感情を抱いていた…

ブラームスとクララ・シューマンは恋愛関係にあったのか《2》

前回はこちら。 「不倫を匂わせる」とされてきた逸話  ブラームスとクララの関係をめぐる逸…

ブラームスとクララ・シューマンは恋愛関係にあったのか《1》

ブラームスとシューマン夫妻の出会い  バッハ、ベートーヴェンと並ぶ「ドイツ三大B」の一人…

マーラーは死の恐怖に怯えながら「告別の曲」を書いたのか?《4》

前回はこちら。 妻アルマの浮気の影響はあったのか マーラー晩年の作品について、妻アルマと…

マーラーは死の恐怖に怯えながら「告別の曲」を書いたのか?《3》

前回はこちら。 心臓疾患の告知は誤診だった? マーラーの心臓疾患については、村井翔著『マーラー』(音楽之友社)で興味深い指摘があります。アルマの回想記によれば、一九〇七年七月、医師がマーラーに告知した病名は「先天性の両側の弁膜の障害」でした。これにより、マーラーは登山や水泳などの激しい運動を禁止されます。  心臓は体中に血液を送り出すポンプの役割をする臓器で、右心房・右心室・左心房・左心室の四つの空間に分かれています。血液が逆流しないように、心室と心房の間には弁があります