多様(性)と多角(性/的)・多面(性/的)
生来の捻くれ者は、善として流布される「コトバ」に対して使うことに懐疑的になる。
最近、やたらに使われるようになった「多様性」というコトバ。使わなくなった。いい変えられると、また、言い換えることを繰り返す。
そもそも、では、に立ち戻り調べてみよう。
・多様性(Diversity)
「オックスフォード英語辞典によると、多様性(diversity)は、「互いに非常に異なる多くの人や物の集まり」と定義されている。例えば、自然界にあらゆる生物が存在することを「生物多様性」と言い、近年その喪失が環境の観点から問題となっている。」
引用は以下から
これだけみると、多様性がこれだけ声高に言われる背景には、多様性を否める、もっといえば多様なものを画一化する力が働く【社会】がありそれに対するアンチテーゼがそもそものようですね。
社会のある種の流動性は、さまざまな局面での「移動」を可能にし始めている(これはインターネットやバーチャル、そして時間も含みます)私たちの社会において、【力】による画一化を現象として起こします。そのことに対してことさらに「多様性」を問わなければならないということなのでしょう。
他方で、多様性ということばの限界があるように思います。そう上にひいたように、そもそも多様性は「集団」であり、ラベリングです。
私は、多様性という言葉をあまりつかわなくなり、多角的(性)・多面的(性)ということばをできるだけ選んで使うようになりました。
検索でヒットしたこの方の文章も興味深いですね
一人一人の中にあるたくさんの側面、それも時間や関係の中で変わる「様」は、実は「多様性」で語られるそれとは、本質的には違うように思います。
私はレイヤー(層)を使いませんが、このかたは、多角ではなく、多層的な見方が重要だとおっしゃっておられますね。
いつのまにか、よくわからない善と正義のことぼとして根付いてしまった多様性というコトバ。
使い方を考えれば、
多角性(的)
多面性(的)
多層性(的)
に、置き換えて使ったほうがいいような場面も少なくないように思います。
だいたいが、意味もわからず、善や正の雰囲気で使われるコトバは胡散臭いと思っています。
胡散臭さを少しでも払拭させるために、
そもそもの意味、使われ方を知り、使いたいといつも思っています。
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