古いモノがいいという幻想と、なぜ古いことに意味があるかということ

私の所属する寝屋川市民たすけあいの会は1978年に発足した住民ボランティア団体である。2001年にNPO法人格も取得しているので、いまの言い方でいえばNPOになるが、法人格取得前が23年、取得から19年、まだ、法人になっての歴史の方が短い。

団体は、いまも借りている民家で活動を拠点にすることからはじまったそうで団体の歴史は「たすけあいホーム(ボランティア・ビューロー)」とよぶその古い民家とともにあった。そのシンボルともいえる民家が再来月にはとりこわされることになっている。

古い民家というと、なんだか価値のある表現のように聞こえるが実際はそんなことはない。もともとが町工場の社員寮にしていた建物らしく昭和40年前後に建てられた簡単な木造の建物である。築100年以上の建物であればともかく戦後、特に高度経済成長期前後に建てられた都会の建物は、ボロボロで夏はとても暑く、冬は寒く隙間だらけ、柱もちゃちでシロアリにくわれて、床も落ちている。関わりはじめて数年後の阪神淡路大震災のときは、絶対につぶれたと思っていたら、屋根が軽いから揺れに強く生き残り、同じく大阪府北部地震もしぶとく、しかし、2018年の台風21号では損傷した。つまりは、いまの建築からすればバラック小屋である。まさに古いからいいなんていうのは幻想でしかない建物だ。

その建物は、目前の道路の拡張に伴った話の中でいよいよ取り壊しが決まっている。

でも古いから意味があると私たちは思ってきた。なぜかといえば、私たちの団体の歴史とともに、その拠点である建物が歩んできているから。
ノスタルジックに、木枠の窓がいいとか開きにくいドアがいいとか、剥がれている天井の木が、とか、落ちている柱が、かべのシミがなんてことではない。

その空間が醸す空気感に意味があるとおもってきた。
訪れた方はみな、ここって落ち着きますよねとおっしゃる。その空気感。それこそが古いからこそ出してこれたさまざまな人がかかわること、足を踏み入れて、そこで営んできた空気感なのだと思う。

だから、古いことには意味があった。そう思う。

その古いものをいよいよ私たちは失う。
古いものは失うが、古いことは失わない。そう思っている。だからノスタルジーではなく、古いことを包含しながら前に進む。それが伝統を守り、理念を守り、伝えていくとともに、歩んでいくことだと信じているから。


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