私が思う多様性と"べき"論の本質
どうもお久しぶりです。
ちょいと忙しくて、記事サボってました。
そんなことあるよね・・・でも、ごめんなさい。
今回なんですが、
目次・項目立てて議論するのもなんか読みにくいなと思ったので、
思ったことそのまま流しで書きました!
よろしくお願いします。
さて、本日の議題は多様性と"べき"論です。
先に伝えておきますと、ここで言う"べき"論は、
「明かに善悪が区別されるものや、ルール・法律に触れるもの」
は含みません。
人をわざと傷つけることは明らかに悪ですよね、
だから傷つける"べき"でない、そういうことです。
ここで触れるのは、グレーゾーンの議論ですね。
見た目の好みとか、文化の好みとか、ちょっとした癖とか、男女間の違い…
そういったよくX(旧Twitter)やAbemaなんかで議題になってるやつです。
そしてこの"べき"論は、多様性(または個性)にも絡む話です。
例えばですね、
"男は女に奢るべき"
みたいな話しょっちゅう聞きますよね?
まずここの議論の中には、
ざっくり4人の登場人物が出てくると思うのです。
1)奢りたい男性 (男性が奢るべき)
2)割り勘したい男性 (共に働いているなら割り勘がいい)
3)奢られたい女性 (男性が奢るべき)
4)割り勘でもいい女性(共に働いてるし、同じもの食べたし、割り勘でいい)
もしかしたら
5)奢りたい女性 (ただの気前のいい女性)
6)奢られたい男性(毎日トレーニングしてる美ボディで、メイクもしっかりして、ファッションもパーフェクト、でもお金が・・・みたいなイメージ。
*分かりやすくでも極端で勝手なイメージです、怒らないでね?)
もいるかもですね。
で、思うんです。
"別にどの人物も居てよくて、正しいも間違いも無い"
と。これが多様性ということです。
認めなくていいんです。
ただ迷惑かけてないんだから、居させてあげて?って話です。
(でもきっと気に食わないんでしょう。んーーー、ごめん。そこでイラっときたら、貴方がより良い方向に行ける暗示とでも思ってください)
話を戻してこの奢り論争。この議論の背景には、
おそらく恋人や結婚相手を選ぶ、という話があると思います。
そして結論言ってしまうと、
1の人は3の人を見つけて付き合えばいいんです
2の人は4の人を見つけて付き合えばいいんです
5の人は6の人を見つけて付き合えばいいんです
もちろん世の中には傾向というものがあります。
なので、
1が少ないことに苛立ちを感じる人もいると思います。
もしかしたら6が少ないことに苛立ちを感じる人もいるかもしれない。
だからそういう人は対立構造を作って、勝ち負けはっきりさせて、
自分が変わらないで世の中に変わってもらう戦略と取っちゃうのです。
楽なんで。
これだけははっきりさせておきます、
気持ちはすごーーーーく分かります!!!!
(*私お髭がボーボー青ジョリマンなので、大体の女性には印象悪いです(剃って整えても)。本質的には悪いことしてないのにね!人間遺伝子的に髭生えるし!おまけに電車の広告にもいじめられる始末です。悲しいですね。でも見つけました!お髭大丈夫な私の彼女です!20年以上かかりました!でも居ました!)
でもね、皆さんが本気で自分の多様性(個性)の自由を大切にしたいなら、
他の人の自由を貶めるような行動や発言はしない方が健全なんじゃないかと
私は思うのです。
なかなか欲しいものが手に入らないかとは思います。
でもそれを理由に、余計な"べき"論を作って、変に頭を使って、議論する度に余計にイライラして、身近に転がっている幸せに目を向けられないのは、
なんとも勿体無いと思いませんか?
なのでそんなマインドセットはいかがでしょうか?
個人的にこれで周りの目をあまり気にしなくなりました。
(よその家はよそってやつです。迷惑もかけてないですし)
こっちの方が生きやすいのではないでしょうか?
ではでは、また次回!
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