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たとえ私がいなくとも 潰瘍性大腸炎な私・2023年編

ミウラエリ
<自己紹介>
東京出身。2020年3月から、鳥取在住。
教員(今のところ、英語)。28歳女性。
ひとり暮らし。本好き。趣味は積読、カフェ巡り。(元々は観劇。)
苦手なことはスポーツを上手にやることと細かい手作業。
2023年1月、潰瘍性大腸炎を発症し、難病と向き合う人生がスタート。
Podcast「Book Club」運営中。

目まぐるしい一年だった。
と一言で片付けることもできる。あわただしい一年だった。

年末年始で潰瘍性大腸炎という大腸の難病になり、あと少しで年度が終わるタイミングで休む羽目になる。1月後半から初めての休職だ。職場のある鳥取から、実家のある東京へ。奇妙な矢印の行き来をした。2月だけのつもりが、症状が悪化。寒い鳥取のアパートに戻って3月まで休み、新年度にやっと復帰した。
さすがにフルタイムにいきなり復帰することもできず、9:00〜16:00という職場の誰よりも短い勤務時間で復帰したので、4月の給与はバイト代のようになってしまった。一人暮らし20代女性、ワーキングプアの淵を見る。
仕事というのは時間への対価でもある。と学んだ。
5、6、7月と順調に時間を延ばせたこともあって、今はフルタイムである。

「最近調子はどう?」
「元気そうね」
と言われるたびにどこか困惑する。
体調に波があるかと言われれば、あるようにも思う。一方で病気のことを忘れて飲み食いすることがほとんどだ。脂質とアルコールは気をつけているが。仕事にも支障がないことがほとんどになるまで元気になった。
しかし、問題は症状を抑える薬や治療が定まらなかったこと。月に一回病院に行き続けたが、使いやすい薬はうまく効かなかった。ステロイドのおかげで落ち着いたものの、維持治療の薬が見つからない。そのまま年末に近づき、病気になって1年経とうとした頃、また症状が出てきた。
1年以内の再燃といったところだろう。

病院に行くたびに有給が減る。社会人あるあるだ。でも、体を保って生きるためには欠勤してでも行かなくてはいけない。そう思うと悔しくて、病院の駐車場で泣いた。
結局病気になるのがいけない。
ならなかった方の人生の私を考える。

病気になって症状が良くなったり悪くなったりを繰り返すと、線的に進んでいたはずの時間が取り戻せないことに気づく。
時間は行ったり来たりする。努力は報われない。
それでも私は病院に行く。
少しでもましな状態で生きるために。

この病気の厄介なところ(1年の経験で思うところ)は、いつ悪くなるかわからないこと。
線的な時間の元には計画が立てられなくなる。
妊娠出産に関する注意書きを併せて読むとトートロジーのようになっている。
自分の将来のキャリアも、来年どう関われるかも、わからなかったりする。
周りの人間が、結婚、出産、転職をしていく中で、私はどうなのだろうと不安にもなれば、それでいいとも思う。
身の丈に合わせて生きよう、と。

そうなると、たとえ自分がいなくても回るような何か。学校という自分の職場であれば、私がいなくとも自分で生きて学べる子どもをどう育てるか。たとえ自分がいなくてもこの場所に残せるものは。
私はどこまで手放して、どこを諦めずに生きるか。
そんな風に私は自分がまた去ってしまう可能性を抱えながら選んでいく。探していく。見つける。

その時に最後に残るのは、私の手から口から生み出される言葉の海だとどこかで信じて、書き残す。

みなさん、ありがとうございました。
生きれる限り生きましょう。

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