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友達作りが下手な人〜「選択的シングル」の時代〜

最近本を読んだ。

このキスレフの『「選択的シングル」の時代』では、「いき遅れたから独身の人は不幸だ」というスティグマに対抗し、寿命が長くなるにつれ、離別・死別の可能性も高まった今、多くの人がシングルになる可能性が高いことを示している。
そして、意外にもシングルの人がパートナーとの関係ばかりに注力せず、自分の家族・親戚やコミュニティとの関係を保つことによって、社会関係資本が築けているという。
そのような中で、自分の役割を見つけることで、「幸せなシングル」も多くなってきているにも関わらず、いまだにシングルへの差別(独身差別)が続いているという。

そんな風に読み進めながら、私は自分が「幸せなシングル」になったり、「不幸なシングル」になったりを行きつ戻りつしてしまう理由の一端は、友達作りの下手さにあるかもしれないと思う。

コロナ禍も終わった。それでもそこまでで染みついた億劫さからか、そこまで出かけようとも思わないし、出かけたところで、知らない人に会うのも「いける日」と「いけない日」がある。
(薬の副作用で感染症対策をやめられないというのも大きな一因だ。おかげでホテルなどに泊まるのが怖くて、旅行に行きづらい。)

よくよく考えれば、子供の頃から友達作りの才能はあまりなかったし、留学中もアジア人の友達とよくつるんでいた。昔よりこれでもだいぶマシになったが、最近は「あれ?オフラインで人と初めて会う時ってどんな感じだっけ?」と麻痺していることに気づく。

この本では、都市化に伴い、単身で暮らしやすい環境になっているとも指摘するが、東京に戻っても、私の場合、単身で暮らせても、人脈などは希薄なものだから、あっというまに孤立するようにも思う。ああ、友達作りが得意だったらなあ。
子供の頃に比べたらマシだなんて思っていたけれど、結局東京に転校した時なじめなかった12歳の私の頃から成長していないかもしれない。

おそらく、私は孤独とも孤立とも仲が良い性格なのだと思う。
きっと誰かと一緒にいたとして、孤独の楽しみを、孤立の悲しみをすぐに察知してしまうだろう。
結局、楽しみと悲しみの行ったり来たりが続いていく。

死ぬほど楽しかった次の日に、死ぬほどつまらなくなったりする。
いつでも楽しい頃の自分を思い出せたらいいなと思う。(スタニスラフスキーの演劇メソッドのようだけれど。)

いずれにせよ、シングルとして生きていくには様々なコミュニティとのつながりが大事になりそうだ。仕事一辺倒になるシングルも多いという指摘があるが、それ以外のコミュニティでも心地よい自分が出せる場を、自分のプライベートで頼れる場を持つ必要があるのかもしれない。

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