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残したいもの、覆滅させたいもの

高須克弥氏、軽度の認知症を自覚「自分でもわかってきました」 “外側”は問題なしも(オリコン) - Yahoo!ニュース

高須クリニックの高須克弥院長(77)が、輝く60代以上の著名人を表彰する『第8会プラチナエイジ』の「ベストプラチナエイジスト特別賞」に選出され都内で行われた授賞式に出席。高須氏らしく自身について語った…年齢をド忘れたしたそうで「見かけだけは若いふりをしてられる。ただハードは若く作っても、ソフトは壊れていきます。だんだんと年を取っていきますと認知症が少しずつ入ってくるようになっていると自分でもわかってきました」…「最後は自分が何かわからなくなって、いつの間にやら天国か極楽かに行っちゃうのが最高」(Yahoo!ニュースより)


僕の母方の祖母は認知症だった。
その症状が現れたのは突然だった。いや、厳密には少しずつ表面化しない程度に進行していたのだろう。
祖父母が旅行の話をしていた。「もうそろそろ体が動かなくなるかもしれないから、今のうちに旅行にでも…ばあちゃんの故郷にでも行くかなぁ」と祖父が言うと、祖母は「それなら白髪染め買ってこないと!」といつものように自転車に乗って近所のスーパーマーケットに出かけた。

しばらくして、牛乳だの卵だの豆腐だのをビニール袋にぶら下げて帰宅した。
「白髪染めは買ってきたかい?」と祖父。
「は?白髪染め?…そんなものは買ってきてないよ」と祖母。
「だってさっき旅行に行くから白髪染めを買ってこないとって言って出かけたんじゃないか」
「旅行?旅行なんか行かないよ」

こうして祖母がおかしいということに家族が気が付いたのであった。

認知症の介護についてはものすごく長くなるので、ここには書かないが、祖母が亡くなって感じたのは
「死ぬ準備ができなかったことはかわいそうだった」である。

例えば、我々が「余命はあと半年ほどです」と医師に告げられた場合、「見られたくない物、恥ずかしい物を処分する」はずである。日記、ラブレター、エッチなアダルトグッズ、現代特有のスマホやパソコン(特に中に保存してある画像や動画)、SNSのアカウント消去…。

祖母はパソコンもケータイも持っていなかったし、SNSなんかやっていなかったけれど、見られたくない物はあったはずなのである。

僕は読書が趣味で、古本を何冊も持っているけれど、いつでもブックオフで100円で買える本もあれば、数万円の本もあるし、市場価値は1万円なのに偶然ブックオフで数百円で買えた本もある。
このように他人ではその価値の判断が難しい物について、一言二言、伝えておきたいというケースもあるはずだ。「これは売っても二束三文だから、家にあっても場所を取るだけ。さっさと処分して。でもこれらの本は売れば高い。2万円くらいになるはずだからブックオフではなく、ちゃんとした古本屋に持っていって」。趣味の物、コレクションは、持ち主の死期が近付いたら、このようにその行く末を愛好家だからこそ指示しておきたいものだ。

認知症を患っていると、こういったことが不可能になる。何が現実で夢で、わけがわからないまま人生を終えてしまうのだ。これは非常に不憫だと思う。

余命半年です、などと言われようものなら、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、行きたいところへ行き、見たいものを見る。
お世話になった人、大好きな友達に感謝の言葉を伝える。こんな希望すら叶えられないのだ。

高須克弥氏は「最後は自分が何かわからなくなって、いつの間にやら天国か極楽かに行っちゃうのが最高」とおっしゃっているけれど、認知症の祖母を見てきた僕からすると、「なにがなんだかわからないまま死んでしまう」のはとてつもなく気の毒である。おそらく高須氏は、きちんと準備をなさっているはずで、だからこそのこの発言だと思うのだ。

遺産5000万円をめぐって争うというなら(不謹慎ながら)ドラマにでもなりそうだが、「故人の残したアダルトグッズを、誰がどのように処分するのか」などで遺族間で揉めたりでもしたら、それこそ犬も食わない。

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