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退廃的な美を感じる

不条理、まことに不条理であると確信した。それは先人たちの編んできた言葉と私自身の認識とが統一することが叶ったからである。そして私はこの世で暮らす身としては、何らかの方針を打ち立てる必要があることに気が付いたのである。なぜならば、何ら意味らしき意味を示されず、自我という意識を押し付けられ、なおかつ最低限に生を全うしなければならないという理不尽な状況をやりくりするためには、自らで意味らしき意味を決定していかなければならないからである。以降はその素晴らしき方針について説明する。

それは、宗教であるより、神秘的であり、科学であるより合理的である。私はそのような絶対的な基準を欲するのである。果たしてそのようなものが存在するものかとも思うのだが、深くそのようなことを考え、全く明らかにしようとするとき、それは自己の欲求に準ずるのが最も善いことだと思い至った。ーそれは特に、私は私、あなたにはあなたにとってのことだがー これには人間による処の神秘性と、自己の認識、思考からなる、さて広義的には、合理性と言えよう産物がある。

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寝たい時に寝、起きたい時に起きよ。休みなさい。戻りなさい。酒を注ぎましょう。それで身を潤さん。貞操など気にしていられようか。そして極限まで堕落するがよい。

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堕ち切った人間には、雑味がない。言わば純粋である。しかし理性的であろうとする人間 ーここでは特に大衆を指すー を見よ。彼らは、自らの本能と理性の間で、葛藤し、自我というものを押し殺そうとする。その時彼らから溢れるものは一体何であろうか。えぐみのエキスに他ならない。これが不味くて仕方がない。そして彼らは自身達の循環の中で、このエキスを濃縮還元させ、やがて毒を作り出すのである。

何であれ、理性というものは、他者の存在なしには、あり得ないことだろう。専らこれは、社会がコミュニティを維持する際の副産物であって、孤独の人間に対しては全くと言って、効力を成さない。

さて大衆から私自身が否定されることは想定済みである。そしてこれは革命なのだから、反発が起きなくては、些かおかしいのである。今、私は彼らが必死こいて築き上げた城を粉砕しようと心に決めている。しかし私としては、この城が太陽の光を妨げているのだから、見通しを良くしたいものである。そしてこの行いは、私自身のためでありつつ、彼ら自身のためでもある。きっと城を壊したあと、その広々とした風景に、彼らは感謝の念をこめて、私に酒を注いでくれるはずだ。

しかしなぜ彼らは、この革命を拒むのか、堕落を許さないのだろうか。きっと彼らだって、堕落したいはずだ。なるほど分かった気がする。彼らは、羨望、嫉妬などという雑味を生み出している。全員堕落しては、社会が成り立たない。つまりこれまでの権利やら、保障やらが無くなってしまうことを恐れている。この恐れを強く抱く一般大衆においては、確かに堕落しきった人間は嫉妬の対象となり得よう。

ならば言ってしまおう。社会など崩れてしまえばいい。さすれば人々は生の自由を腹の底から実感し、死という規則をより痛感するだろう。このような状態となって初めて、人は素晴らしい空間を作る事ができるのではないか。この狭く、歪んだ空間を破壊し、より広く、調和のとれた空間に住み着く試みが、この革命である。

だからこそ私は退廃的な美を感じるのだ。人はあるがままの所へと戻り、誰とも分からぬ者が関係づけしたであろう事物は破壊されるべきである。

ーーー 幻想の上でダンスしてはならない 

私は踊り狂っている人々を見て、喜劇的だと思っている。しかし不条理を自覚した人間は、非常に悔しく、ピエロのように踊り狂わなければならない。ならば、少なくとも道化を演じている諸君らは、毒を生成する前に、今すぐ厚化粧を落とし、堕落するべきである。そして勇気と憧憬を両手にこの美に光を燈してほしい。

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一つの懸念がある。私の言う革命が、暴力性に劣っているということである。いくら言葉が力を持ってはいようと、私の持つ暴力性では、何ら大衆には差し迫らないだろうと想定している。つまり、私はこの革命に勝機を見出だしてはいない。これは、言わば願望であり、方法論としては、効力がさして無い。であるから、私は引き続き、有用な方法論を探さなくてはならない。そしてこの夢物語は過去として追いやられるのである。しかし、これだけは言っておきたい。私の夢物語は美しかった。



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