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疾患啓発は一日にして成らず。「アイス・バケツ・チャレンジ」のその先にあるものとは?

6月21日は何の日か知っているだろうか。「世界ALSデー」である。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、筋肉を動かす神経の障害により全身が動かなくなってしまう、効果的な治療法のない難病だ。昨年、アメリカからはじまり世界的なムーブメントとなった「アイス・バケツ・チャレンジ」は記憶に新しいだろう。

アイス・バケツ・チャレンジは、ALS患者と患者団体を支援する募金イベントで、企画内容としてはALS協会に寄付をするか、寄付しない場合は氷水をかぶり次の挑戦者を指名し、ALSという病気の認知を広めてくださいというものである。

個人的には、難病という切実で重い響きを帯びることなく、ALSというワードがソーシャルメディア等を通して世界中で語られたという意味で、疾患啓発のキャンペーンとして大成功だったと思っている。

また実際のところ、協会はもちろんのこと、ALS患者もおしなべてアイス・バケツ・チャレンジに参加し、寄付した人々に感謝しているという。しかし一方で、アイス・バケツ・チャレンジは批判の対象にもなった。

・氷水をかぶることと病気の理解が結びつかず、社会貢献ごっこに過ぎない
・著名人や企業が宣伝や売名のために参加しているだけ
・ALSだけでなく、他の疾患の啓発も同様にやるべき
・民間ではなく、本来は国主導でやらなければならない
・深刻な水不足で困っている人もいる中で無駄遣いだ
・強制ではないと言いながら、指名されたら断れない空気が出来上がる

そういった声が多かった。

確かに、一過性のブームで終わらせることなく、持続的に病気や患者への関心、理解を持たせる必要がある。

ただ、そうはいっても、疾患啓発は一筋縄ではいかないものだ。誰もがなり得る病気ですと言われても、自分や家族、ごく身近な人がその病気にかからない限りは、リアリティがないし、知ろうとするモチベーションも自然と湧いてくることはないだろう。


■ 本質は、アイス・バケツ・チャレンジの是非にはない

まず、アイス・バケツ・チャレンジなどの疾患啓発キャンペーンの是非について考えるとき重要になるのが、その目的とステップである。アイス・バケツ・チャレンジの場合でいえば、諸説あるものの氷水をかぶる行為自体には深い意味はないと言える。

目的はあくまでALSの認知拡大と募金集めであるため、どれだけ広め、参加者を増やし、結果たくさん寄付されるか、というのが効果の指標となる。つまり、そもそもアイス・バケツ・チャレンジという企画は、手段でしかない。

問題は、想定以上に盛り上がり、一人歩きしてしまったことにある。裏でALS協会と広告代理店が結託して意図的にバズらせたわけではないが、結果的にALSへの理解を示し、疾患啓発活動に共感し、だから協力するというステップが置き去りにされてしまった感があった。そして、その状況に対する批判や苦言も自然発生的に生まれてしまったのである。

しかし、それでも冒頭で成功だったのではないかと言ったのは、どうであれ第一ステップの「認知拡大」という点では、効果的だったからである。筆者でいえば、読者の多くが薄っすらとでも知っているはずだと思えるからこそ、こうして記事のタイトルに「アイス・バケツ・チャレンジ」と「疾患啓発」というワードを入れることができるわけだ。

この認知拡大というステップの重要性について、病児保育を推進する社会起業家の駒崎弘樹さんがtwitterでつぶやいていたことが印象的だったので、紹介したい。

アイスバケツへの「水かぶっているだけでALSの理解に繋がっていない」批判が、ネット上に散見されますが、ここにNPO業界が長年悩んできた問題を御伝えしましょう。「世界が抱える悲劇と課題を、難しい言葉と必死の形相で我々が叫んでも、世界は我々を一瞥だにしない。」

おそらくこれが現実なのだろうと思う。ゴールは問題が解決されること(ALSの場合、治療できるようになること)だが、そこに辿り着くためにまずは知ってもらう必要がある、というごくシンプルな話であり、当事者はまずそこに大きな壁を感じているのである。

だから、社会問題の解決を目指すとき、そして認知拡大がはじめの一歩である場合、アイス・バケツ・チャレンジという企画の是非を問うことに意味はない。

当事者にとってはどれくらいゴールに近づいたか、ゴールに近づく次のステップ、つまりは具体的なアクションにつながっているのかが全てで、批判されることはすべきではなかったなどとスマートに振り返っている余裕はないのである。

現状、ALSの症状の進行を止める術はなく、その先には確実な死が待っている。ALS患者には時間がないのだ。

では、アイス・バケツ・チャレンジのような活動は、短期間で募金を集めるためだけのものなのか。そうであるならば、効果的な疾患啓発とは、一体どのようなものなのだろうか。

■ ALSという病気の圧倒的な残酷さ

ここで改めて、ALSという病気について詳しく説明しようと思う。まず、ALSは根治治療法のない原因不明の神経疾患として難病指定を受けており、発病率は人口10万人当たり1.1~2.5人とされ、日本のALS患者は約9,200人と言われる。症状としては、運動神経のみが選択的に侵されて筋萎縮と筋力低下が起こり、数年で全身が動かせなくなってしまう。

つまり、進行していくうちに呼吸筋麻痺によって自力での呼吸が困難になり、人工呼吸器を装着することになる。仮に、人工呼吸器の装着を拒んだ場合は、当然ながら呼吸困難に陥り、死に至る。

これは胃ろう(口から食事が摂れない状態の人が栄養を補給するための方法)の造設にも同様のことが言え、嚥下筋麻痺を起こした際に胃ろうの手術を拒んだ場合は、飲食物が飲みこめなくなり、徐々に栄養障害に陥り、死に至る。

しかし、それでも人工呼吸器を選択する国内の患者は、厚生労働省の調査によると約3割にとどまるという。生き延びるためには、人工呼吸器や胃ろうは避けられないではないか、そう思うかもしれない。では、なぜ7割の患者がその選択をしないのか。ここに、ALSの残酷さがある。

じわじわと体の自由を奪われ、意思表示も難しくなるが、頭の中はいたってクリアなまま。これがどういう状況か想像できるだろうか。

生き延びたとしても、進行を止められるわけではなく、まぶたも動かすこともできなくなった暗闇の中で、聴覚と皮膚感覚だけが頼りになる「TLS(閉じ込め症候群)」に陥る恐怖と向き合うことになるのだ。安楽死が認められない日本において、7割の患者が延命を選ばないのも無理からぬ話だろう。

確かに、アイス・バケツ・チャレンジから、こういった情報を引き出すことは難しい。何やら大変そうな病気らしいと想像できても、その先にいる患者は自分ではないどこかの誰かでしかない。

しかし一方で、世界的なムーブメントが起こらなければ、治療研究や患者支援のためなら認知拡大や募金に協力すると思う人がいたとしても、そもそもそういう人たちのもとに情報を届けられない。疾患啓発は、ジレンマを抱えることになる。

一般に、人が興味、関心を持ち続けられる対象は限られていて、それが特定の疾患に向けられることはないだろう。ここでまた、ではどうすればよいのか、という問いが生まれる。ひとつの答えとして、患者自身によるチャレンジングな活動と、それに呼応する形で継続的に行われている疾患啓発活動を紹介しよう。


■ いかにして、患者からの声や叫びを社会に響かせるか

ALSについて調べたことのある方であれば、ALSの治療法の確立と患者の生活向上の支援をミッションに掲げる「END ALS」や、その代表を務める「ヒロ」こと藤田正裕さんを知っているかもしれない。

彼は、2010年11月にALSの診断を受けてから、全身の筋肉が衰え車椅子での生活を余儀なくされ、気道切開を選んだことで声を失い、現在は自宅で寝たきりの状態になっている。

しかし、驚くべきことに、広告プランナーであることを諦めず、唯一のコミュニケーション手段である目の動きを読み取る「アイトラッキングシステム(視線伝達機器)」を用いて、文字を打ち込み企画書を作成するなど、今もなお仕事をしているという。

そんな彼が今、大きなチャレンジをしている。治療法がないと言われてきたALSだったが、アメリカで幹細胞の注入による治療法が治験段階に入ったというニュースがあり、一筋の光が見えたのだ。日本でもそれが可能になれば、画期的な治療を試すことができれば、奇跡は起きるかもしれない、いや奇跡を起こすためにチャレンジしよう、と。

難病患者が新たな治療法を試す仕組みを作ること自体は、前例がないわけではない。実際に、海外では初期の治験段階において劇的に症状が改善する事例が見られた場合や、症状が回復する唯一の可能性が開発中の試験薬だった場合に、特例で重篤な患者に治療を施すケースがある。

アメリカでは余命わずかの難病の子どものために父親自ら新薬を開発し、奇跡的に命を救ったという実話を元にした映画もあるくらいだ。

藤田さんは、どうすれば治療を真っ先に受けられるのかを考え、世界に向けて問いかけ、実現するために活動したい。患者からの声や叫びをもっと社会に響かせる必要があると言い、「ONE TRY ONE LIFE」というプロジェクトを立ち上げた。

また、そのはじめの一歩として、プロジェクトを広めるためのCMを作るために、寄付を集めるファンドレイジングサイト「JapanGiving」で資金を募った。

もちろん、これらすべてを藤田さん一人でやっているわけではない。彼に共感した仲間や、課題解決に向けて力を貸したいと名乗り出た協力者がいて、そしてそれをメディアを通して多くの人に伝えようとする動きがあるからこそ、一つひとつ形になっているのである。

なぜ、ここまで周囲が動かされるのか。ALSという恐ろしい病気を終わらせたいと共感できるから、それもあると思うが、一番の要因は彼の人となりにあるのではないだろうか。藤田さんがどんな人で、どんな思いで日々生きているのかを端的に伝えるために、彼自身の言葉を紹介しよう。

「絶対勝つ。けどこれは独り言として見てください。「死にたい」と「生きたい」の間に生きてる過去の確率でみると、勝率0%が現実…。そんな中「もうええわ、死にてー」って思ったら、泣いたら、ダメなのかな?毎日爪の皮一枚で気持ちをつなげてる。けど闘う?だから闘う?理由は変わらない。本当の仲間とどうでもいいコトを酔っ払いながら話して笑うため。ふつうの生活を精一杯生きるため。世に貢献するため」

出典:ハートネットTV「ブレイクスルー」より

これは番組内で彼が語ったものだが、病気や障害、貧困などの問題を抱える人々にフォーカスしたドキュメンタリー番組「ブレイクスルー」では、ALSと闘い続ける広告プランナー藤田さんに密着し続け、症状の進行とともに変わっていく彼の姿や心を映し出している。

また、その状況を見た周囲の人々がどのように感じ、どんな行動に出るのか、そしてそれが今どうなっているのか、というように、エモーショナルな単発の企画で終わらせないよう、過去・現在・未来へと経過していく時間の流れを丁寧に描かれていて、毎回非常に見応えがある。

その他、継続的な疾患啓発活動としては、同じくNHK教育テレビの福祉情報番組『ハートネットTV』による、「ソーシャル・グッド・プロジェクト」が興味深い。

このプロジェクトは、世に溢れる難題に対し、テレビという一方通行のメディアだけでなく、さまざまな立場の人、企業、団体等を巻き込み、クロスメディアで解決策を探っていくもので、まず初めに取り組んでいるのがALSの疾患啓発というわけだ。

約900人を対象に行ったアンケート調査で、ALSという病気を「よく知っている」と答えた人は22%だったが、これをプロジェクトの活動を通して60%以上にすることを当面の目標とし、実現に向けたアクションプランを立てている。

もちろん、これらが全てではないが、いずれにせよALS患者の思いが周囲を動かし、具体的なアクションにつながっていくことには意味がある。アイス・バケツ・チャレンジも単体では評価するのが難しくても、次の動きにつながっていて、つながっていくからこそ、結果的に価値があったと言えるのだ。


■ 決して他人事ではない、と感じるかどうか

そうはいっても、メディアを通して実際にALSと戦っている人や、それを支援する活動を目の当たりにしたところで、結局は寄付することくらいしかできないのではないか、と思うかもしれない。

結果的には、そうなるかもしれない。ただ、ALSという記号が、どんな症状を伴うものなのか、患者はこんな人なのか、こんな風に思って生きているのか、と具体的にイメージできるものに変わったとき、人の心は動かされ、確実に情報へのアプローチの仕方が変わる。

治療法を提供する以外にも、患者をサポートする方法があると知ることができる。製薬企業主導の疾患啓発広告ではなかなかそうはいかないわけで、ここに大きな意味があるのではないだろうか。

前述の広告プランナーの藤田正裕さんは35歳、JリーグFC岐阜の恩田聖敬社長も36歳と、まだまだ若い。藤田さんと筆者は同い歳であるし、恩田さんも子どもが2人いるとのことで、とても他人事とは思えない。

幸運にも自分はALSにかかっていないが、自分だっていつALSにかかるかわからない。もしそうなったら…自分はかからなくても、子どもがALSになったら…と考えれば、誰にとっても決して他人事ではないことがわかる。

その上で、それぞれが自分にもできることはないだろうかと思い、何らかの行動を起こすこと、これが疾患啓発における副次的な成果だ。直接的にゴールに近づくものではなくても、金銭的な支援ができなくても、目標に向かって命を燃やす人々の魂を肯定し、闘病生活を下支えすることはできるかもしれない。

筆者でいえば、ほんの一部の人のもとにしか届かないかもしれないが、文章を書くことで誰かの心を動かし、何らかの行動のきっかけになるかもしれないと思い、これを書いている。

疾患啓発は一日にして成らず、かつ待ったなしである。だからこそ、一人ひとりの意識の変化と行動の積み上げがものを言う。課題を目の前にしたとき、当事者とそれ以外という枠組みを外から眺めるのではなく、枠組みの中で自分は何をするのかを考えることが重要なのである。

それはひとえに、社会の一員である自分は何に軸足を置くのかという、存在証明でもあるからだ。


※2015年6月にYahoo!ニュース個人に寄稿した文章です

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