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この世界の現実とは?

趣味は、山歩き。
学生時代、ひきこもりがちな友人が、度々山に行っていると聞いた事があるので、どのような感じになるのか? 同じ気持ちを体験したいと思い始めた。
3年前、まずは高尾山から富士山まで尾根つたいで歩こうと、週末に始発で登山に行っては終電近くで帰る事を始めた。

あまり人が歩いていないルートと思われる草木で荒れている道のような場所や、道なき道を歩いたりした。
いつしか、誰かにほめられる事があるのかもしれないと思ってもいた。

早朝の高尾山付近では霧の中、木の上のサルに囲まれたり、太陽が沈んだ奥多摩湖付近では、暗い中でイノシシ親子に威嚇され、丹沢では足首をヒルにすわれながらも、同じ日にカモシカに2度遭遇。
大月付近では、午前中にクマ親子と遭遇。
この先に道はありませんの看板の先、富士山付近や高尾山付近の地滑りがある斜面では、蟻地獄のように滑って、生きた心地がしなかった。
箱根の山は、夜小雨の中周りが見えない霧の中を全身ドロドロになりながら歩いた。
山梨の2000m級の雪山では、危うく滑落しかけた。
実は、歩いてはいけない有料道路には何度も出てしまい、数回歩いた。

最後と思い、0時から樹海をさまよいながら富士山を登り下った。夏の始めと終わりに北と南から・・・2度も。
山では、孤独とも思ったが、ちゃんと計画しないと無事に帰って来られないばかりか、間違った選択をすれば命の危険にさらされる。
が、例え傷だらけになっても後悔はなく、いつもどこかすがすがしい気持ちになった。

コロナになってしまい、人と会わない場所はどこだろう?
そう思って、コロナが落ち着いてからは、関東付近の海沿いで歩ける道を歩く事にした。
埠頭や工場地帯、普段人が歩く事はない道、山とは全く違った風景。突き当たりを行ったり来たり、不審者に思われがちだ。
細い道でスピードを出した車や、横断歩道では曲がってくる大きなコンテナ車の走行は、かなり危ない。
やはり人間が一番怖いのか?

何度も道に迷ったり、迷子になったりはしたが、気づかされたのは、結局誰も歩いた事のない場所はないと言う事。
歩いていると、いつかこの世界の「答え」に出逢えるのでは? と思い始めたが、出逢えなかった。
まだ出逢えていないだけなのかもしれない。

「行く」や「来る」と言う言葉、自分はいつもココにしかいないのに、歩いていると紙やデジタルの地図上を行き来している感覚に常々陥る。現実とは?
家に帰るとほっとする。周りの景色が違うだけで、自分はほとんど変わっていないのに。

年齢によって、体力、暗記力の衰えを感じる。
昨日の記憶さえも怪しい・・・何を食べたか? 何をしたか?
幼い頃からの教育や周りの文化によって、現在の作られた自分の中の価値観。過去の歴史は本当にあった事なのか? 多くの文献は火災等で消失し、偽の文献も多いと聞いている。
かろうじて生かされている現在の作られた世界の、「何か」に気づきつつあるのだけど、まだ上手く言葉や、別の表現で形に出来ていない。
まだまだ世界には不平不満も多いけれど、この国に生まれた事自体、ツイていると思えてきた。

#思い込みが変わったこと

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