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身体のエッセイ7 砂連尾理

生まれた親知らず

砂連尾理(ダンサー・振付家)


 年明けの7日に親知らずを抜いた。

 それは、昨年末からちょっとずつ疼き始め、年の瀬の27日と新年明けて間もなくの2日の晩は痛み止めが効かないほど激痛に襲われ、眠ることもできないほどで、私にとっては右下奥に生えていた最後の親知らずだった(残りの親知らずは既に抜歯済み)。

 抜歯時間はおおよそ40分ほどで、今までの親知らずを抜くのよりは――それは20年ほど前だったので記憶が定かではないのだけれど――、今回の方が時間が掛かったオペだったように思う。

 これほどまでに、昨年末から新年にかけてその痛みに悩まされた年末年始だったので、改めて親知らずの由来をネットで調べてみた。

 そうしたら昔の日本人の寿命が短かく、親知らずが生えてくるころには親はすでに亡くなっているからとか、親元を離れてから生え始めるため親が歯の生え始めを知ることがないからとか、なるほどそうだったのかと今更ながらその謂れを知った。

 両親が旅立って2年半、この歯は私の親のことを知らないので確かに親知らずだ。でも、旅立った親のことを徐々に落ち着いて偲べるようになってきたからだろうか、むくむくと生え、その痛みの激しさが故にその歯のことをずっと考えていたことも相まって、抜歯されたその親知らずを私は何故だが親の存在と重ねてしまう。それはちょっと奇妙なことなのだけれど、子である私が口から親を産んだ、或いは再生させたような、そんなシュールな妄想に浸り楽しんでいる自分がいる。

 抜けた下の歯は屋根に、上の歯は軒下に投げておくと良いよと、子供の頃、母親から教えられ、今まで抜けた歯や抜歯した親知らずはその教えをきっちり守っていたのだが、今回はまだその教えを実行せず、私の口から生まれた親知らずは手元に置いてある。

 それを屋根に放り投げられる日がいつかは来るんだろうけど、もうしばらくこの親知らずと一緒に過ごしていようかなと思っている。


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