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20210929ワークショップ③豊平

開催日時:2021年9月29日 13:30~15:30
場所:グレイスヴィルまいづる-東京(Zoomオンライン)
内容:
1.ストレッチ
2.砂連尾さんが映っているZoomのモニター画面に描いてみる。15分くらいして絵の確認。
3.参加者の描いた絵で砂連尾さんが踊る。みんなでまねる。音楽あり。
4.砂連尾さんと参加者でじゃんけんをはじめたり、タイミング合わせて手拍子してみたり。
5.ガムラン音楽をかけてみんなで砂連尾さんをまねて30分近くダンス
6.ストレッチ

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豊平豪(文化人類学・torindo)

 砂連尾さんも書いていたけど、今回はZoom通話中の砂連尾さんが映っているモニター画面に透明のシートをまいた。参加者は砂連尾さんの動きをなぞるように手を動かして、直接モニター上の透明シートに絵を描くかたちだった。

 文章にすると途端に伝わりにくくなるけど、ともかくタブレットやモニターを画用紙のようにして、高齢者たちが絵を描いたということだ。画用紙のなかでは砂連尾さんが動いて、声をかけてくる。

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 さて、今回のことも含め、最近いろいろと新たな試みをすることもあって、グレイスの現場にはZoomのためのカメラが3台から4台準備されて、いろんな角度から参加者たちの姿をとらえてくれている。

 ただ、そのせいで回線が重くなって、グレイスのネット回線はよく止まる。参加者たちが止まっているなかで砂連尾さんは踊ったり、語りかけたりしている。届いているのかわからないところが、切ないダンスのようでもある。それでもダンサーは踊り続けるし、ダンスは続く。

 グレイスの現場では仲井さんや浦岡さんをはじめとするグレイスの職員さんたちががんばっているので、砂連尾さんの画像が止っても問題なく、ワークショップは進行している。
 
 誰からも満足な応答がないまま、グレイスの高齢者たちも動くし、砂連尾さんも踊る。そして見ているだけの僕も、不定期に止まる映像に翻弄される。ぼくがライブのつもりでみているこれがほんとうに現実なのかわからなくなる。

 止まっていると思った画面①の片隅で、参加者Aの腕が小刻みに動く。かと思えば、大きな笑顔の参加者Bを大写しにして画面②は止まっている。そして僕の認識をあざ笑うかのように参加者Aをとらえていた画面③は止まっていて、Aさんは無表情なまま動かない。

 彼女の痕跡は画面①の小刻みに動いている腕だけだ。

 情景は刻一刻と変化する。ふと気づくと参加者Bだけが動いていて全員が止っている。今、舞鶴で動いているのはAさんのか、Bさんなのか。
 
 とはいえ、テクニカル上の問題も含めて、プツプツと断線続くワークショップを眺めるのは、僕にとって意外なことにまったく嫌じゃない。イライラもしなかった。

 砂連尾さんと参加者たちがおりなす世界は、映像インスタレーションのように静かに成立していて、確固とした時が流れている。

 Zoomという映像技術の限界も含めて、もしかしたら、何か新しいタイプの混沌の美しさが生まれているのかもしれない。混沌の美しさ、もしくは美しく成立する混沌。このあたりがとつとつの醍醐味なんだと思う。

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