釣る少年

 小学生のころ、近所に水門があった。←のように三本の用水路が合流するところをせき止めていた。狭い道沿いだった。流れはゆるやかで、水門の全開は見たことがない。下の方はわずかに開いているようだが、だいたい水門の前は幅10メートルほどの水たまりになっていた。晩春から秋のはじめにかけ、大人も子どもも集まり釣りをしていた。釣り堀のようだった。僕たち兄弟もそうだった。あまり釣れた記憶はない。

 弟の一学年上に、友達の輪に入ってこない子がいた。Hといった。いじめられっ子というほどではないが、僕たちは相手にしなかった。無視していた。彼も水門にやってきてが、釣り糸を垂らすことはなかった。

 12月ごろ、人も集まらなくなった水門に彼がいた。いちばん細い水路といちばん太い水路の水がぶつかる地点で釣りをしているHがいた。竹竿とタコ糸だけの釣り竿だった。彼は釣り糸を垂らした付近に何かを投げ入れていた。投げるものは赤かったり、茶色だったり、白っぽかったりした。撒き餌だろう。彼なりにそこの水中が魚の通り道と考えたのかもしれない。一度、「何撒いているんだよ」と声をかけた。彼は僕の方を向いたが無表情でなにも答えず、すぐに水面に目を戻した。

 二学期の終業式の日だった。冷たい雨が降ったりやんだりしていた。僕は弟と友達の家でテレビゲームをして帰る途中だった。水門の方から大きな声がした。「助けて」と聞こえた。僕と弟は小走りになった。

 Hの竿がしなっていた。タコ糸は前後左右に動いている。大きな生き物が釣り針にかかっているのは分かった。僕たちが近づいたことをHは気付いたようで、「手伝ってよ。やっと来たよ。大物だよ。ひとりじゃ無理だ。だれか呼んでよ」。泣き笑いしていた。

 「もう、帰ろう」。弟が小さく言った。僕はうなづいた。Hに背を向けた。Hは「助けてよ」と言った。僕たちは振り返らなかった。「きっとだれも見たこともない魚だから。すごいやつだから」。このままではHは水路に引き込まれるかもしれない、と思った。でも僕たちは家に帰った。

 三学期が始まった。僕たちはHの話はしなかった。Hも話しかけてこなかった。二月の中ごろ、Hは転校した。親の離婚が原因という噂を後になって聞いた。僕たちは水門で釣りをしなくなった。釣り人は減っていった。友達の父親は、あそこはもう釣れないよ、魚はいないんじゃないの、と笑った。水門は取り壊され、幅の広い道路ができた。

 

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