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泉御櫛怪奇譚 第二十四話

第二十四話『焦がし猫たちの夜 ~参夜目~』
原案:解通易堂
著:紫煙

――その昔、煤払いの日に捨てられた古い道具達が、無慈悲な人間への恨みを募らせ、妖怪『付喪神』として、復讐を開始する。(『付喪神絵巻』より参照)
名前 の起源は『九十九神』百年の時を経た櫛や簪。捨てられても尚、形を成す道具たちに意思が宿り実態を得た彼等には、人間よりも遥かに様々な思想や感情、覚悟が数多に存在することでしょう。そして、同じ様に『変わりたい』と思う感動も、細やかなきっかけで生まれるのかも知れません。
……おや、物知りたげな表情をしておりますね? では……この先の物語を少しだけ、覗いてみては如何でしょうか?――


 おれは猫である。いつ産まれたかは分からない、片方の前足だけ白毛の黒猫だ。
『半端な黒猫』とか『ノラくん』とか『かたっぽくつした』とか、ニンゲンには様々な名前で呼ばれている。意味は知らにゃいが、一番呼ばれているのは『ミスタ』だから、覚えて帰って欲しい。
 おれは野良猫だが、他の野良猫に比べてまだ生きやすい。お日様がニンゲンの鉄の森で見えなくなる位置まで沈むと、おれは『解通易堂』って名前の住処まで行ってにゃあにゃあと鳴く。すると、動く四角い塊に乗ったオスのニンゲンがやって来て、ご飯を用意してくれるんだ。
 おれにとって、ニンゲンはご飯をくれる二足歩行の生き物。おれたち猫は自分の食べ物を横取りされない様に前足を使う。でも、ニンゲンはおれたちよりも器用な前足で、美味いご飯以外にも『ビル』と称した鉄の森や『トラック』と呼んでいる四角い塊を作る。どの動物よりも変な奴らだ。
[変……と言えば、アイツらもか……]
 おれはご飯を食べ終わった後、解通易堂から然程遠くない場所に向かった。ニンゲンが『神社』と崇め、手を合わせるそこでは、夜な夜な『猫集会』が行われていた。


 今夜も変わらず『猫集会』が始まる。ここでは『猫』と呼ばれるモノならば、生きていようが妖怪だろうがなんでも集まる。その中に『焦がし猫』と呼ばれる妖怪がいる。櫛に焦がし付けられた猫達が、長年使い手に愛されて顕現する『付喪神』だ。『付喪神』は、おれが産まれるうんと前から存在している。と、解通易堂のイズミが言っていた。
[最近、ご主人様がシャンプーを変えたんだにゃぁ。髪に馴染んで、一層梳き心地が良いんだにゃぁ~]
[にゃんだってー! 羨ましいにゃぁー!]
[ウチのご主人にゃんか、娘にヘアアイロンを買ってやったんにゃ。髪が痛まにゃいように、妖術を少しだけ使って髪を梳いてやるんにゃ]
[流石! 鉄鼠と戦った化け猫だにゃぁ‼]
[へへん! オレなんか、ご主人様の孫がインナーカラーってヤツを始めたんだぜぃ! こりゃあ一層、梳き甲斐があるんだぜぃ‼]
[流石ハチワレ! ご主人様の孫にまで尽くすにゃんて、太っ腹にゃぁ~‼]
 どの焦がし猫も、櫛の使い手であるご主人様の自慢話を話題にしている。これでは付喪神じゃにゃくて『尽くし神』だ。
[よぉ、ミスタじゃねえか! 今日も重役出勤なんだぜぃ?]
 先程までご主人様の家族自慢をしていたハチワレが、おれに気付いて駆け寄ってきた。ハチワレは元家猫の焦がし猫。ここに集まる妖怪猫の中ではまだまだ若造だが、若造らしい今時の付喪神でもある。
 ハチワレは挨拶代わりにおれの匂いを嗅ぐと、懐かしそうに喉をゴロゴロと鳴らした。
[むふー! 今日の晩飯は豪勢だねえ~。老舗の缶詰の匂いがするぜぃ?]
[今日はカズトシがご飯を用意してくれたんだ。ハチワレも食べたことがあるのか?]
[そうだぜぃ! オレが眠くて眠くて仕方がない時、今のご主人様が用意してくれたんだ。櫛に宿る前に食べた、あの柔らかいご飯を思い出すんだぜぃ~]
[はぁ~。今日も主の自慢話か]
[へへん、そうだぜぃ! 家猫時代にめいっぱい大事にされたんだ。今度はオレが、一家全員を大事にする番だ。考えるだけで喉が鳴っちまうんだぜぃ!]
[はぁ……その話、何回目だ]
 溜息を吐くおれの前に、自慢話を終えたシマ、マシロも集まる。シマは茶トラのオス猫で、マシロはおれの右前足みたいに、全身が真っ白のメス猫だ。
[こんばんは。ミスタ]
[ごきげんよう。ミスタ、ハチワレ]
[ああ。シマ、マシロ。お前らも、毎夜飽きずにここに来ているんだな。みんな、ニンゲンの群れが好きなのか?]
 おれは、懐かしい香りを堪能しようと顔を近付けてくるハチワレを白い前足でプニッと突き放すと、生粋の焦がし猫である二猫に問いかけた。シマは[そうですね]と肯定してから、ハチワレの方を見て髭をクンクンと動かした。
[ハチワレみたいに、群れのニンゲン全てが大好きな方が珍しいです。櫛猫は、ご主人様に一途な方が『付喪神らしい』ですからね]
[わたくしも、そう思いますわ。わたくしのご主人様はおひとりだけですもの。櫛猫として、お役目を全うしますわ]
 そうだった。『焦がし猫』とはニンゲンの呼称。焦がし猫たちは、自分の事を『櫛猫』と呼ぶ。
[お前たち……本当に飽きにゃいな。それにしても……]
 おれは一段と湧き上がる焦がし猫たちの様子を見て、僅かな違和感に耳をピンと立てた。
[今夜は一段と賑やかだな。新入りか?]
[にゃぁ~。今日はオレよりも派手で珍しい、アイツが来てるんだぜぃ]
 肉球の跡が残った頬をさすりながら、ハチワレがクイッと顎をしゃくって、猫集会の中心を指す。そこには、猫集会の古参で、どの猫よりも大柄なオスのトラ猫が居た。妖怪の猫の中には、二足歩行をする猫も多いが、トラ猫は四足歩行でも、立ち上がった焦がし猫に引けを取らない大きさだ。
 茶色と黒の剛毛は他の焦がし猫よりも少しくたびれていて、鞭の様に左右に振っている尻尾も毛羽立っている。どちらかと言えば野良猫みたいな容姿に、おれは親近感を覚えた。
[あいつは?]
[ここじゃあ一番古い櫛猫の『トラオ』だぜぃ。アイツの話は、聞いていて爽快だぜぃ‼]
 ハチワレが声を弾ませると、丁度トラオが大口を開いて笑い声を上げた。
[さあ、さあ、さあ! 化け猫、櫛猫、にゃんでもござれ‼ 遠くの見目良い猫様も、ピンと耳立て聞いて来なぁ‼]
 トラオが仁王立ちになると、他の猫たちが[いよっ! 待ってました‼][にゃんと、久々の登場か]と、一層声を上げた。琵琶を持った焦がし猫が、べべん。と弦を弾くと、トラオはこれ見よがしに、頭にねじり鉢巻きをキュッと結んで大足をドンと踏み鳴らした。
[聞いて、驚け! 問われなくても、名乗るが漢! 櫛猫百年、長寿の証と謳われてぇ! 付喪神だが非道はしねぇ、人に情けをかけられて、百人梳いてぇ好かれた漢! 何様俺様トラオ様! モノホンの焦がし猫たぁ、俺様のことよぉ‼]
 周りの猫達が[いよ! トラオ屋]だの[流石はトラオにゃ!]等、口々に囃し立てている。
[はぁ……あれが、トラオ?]
 おれは、ここまで豪語する猫を初めて見た。自信に満ち溢れた赤褐色の目は化け猫のそれだが、滑らかで木製の良い香りがする身体は確かに櫛から顕現した焦がし猫だ。
[100年の焦がし猫か……確かに、長寿だな]
 無意識について出たおれの言葉に、シマが珍しく渋い顔で、おれの身体に前足の肉球をプニッと押し付けてきた。
[方便ですよ。櫛には寿命があるんです。どんなに長寿だろうと、100年は無理ですよ]
[方便だとしても長生きに変わりはにゃいだろう。シマはどうして不機嫌なんだ?]
 おれの問いかけに、シマの代わりにハチワレが答えた。
[それはなぁ、ミスタ。トラオは今、髪を梳かしてくれるご主人様が居ないのに、今までのご主人様に愛されたってんで、ふんぞり返っているのが気に入らないんだぜぃ]
[ハチワレ、やめてください。ボクは……何故、ああも自信が持てるのか、分からないだけです]
[そうなのか? 沢山のニンゲンに愛されるってことは、毎日のご飯に困らにゃい。良いことだ]
 おれは当たり前だと言わんばかりに答えたが、シマとマシロは首を傾げている。
[沢山の人に手渡されたってことは、沢山の人に見捨てられたってことじゃないですか?]
[そうですわ。そもそも、贈り物や引き出物の櫛猫は、猫集会に出る暇もない程、朝も夜も主の話お世話をするって聞きますわ。トラオ様は何故……]
[分からにゃいなら、直接トラオにも聞いてみればいい]
 白い前足を軽く毛繕いしたおれは、マシロと一緒に、軽い足取りでトラオに近付く。トラオは群がる焦がし猫たちに、ご主人様だったニンゲンの自慢を続けている。
[時は人世の大戦! 花嫁道具の嫁ぎ櫛。おかっつぁんの形見だと、主は俺様に娘を託しなさったんんだ! これが、30代目と31代目の主の話よぉ‼]
[にゃんと! 嫁入り道具ってことは、トラオは彫り櫛にゃのか?]
[ところがどっこい、俺様、立派な焦がし猫。なんの因果か、運命か……28代目の主の話じゃ……]
[初めてだな、トラオ。おれはミスタ。こっちはマシロだ]
[ごきげんよう]
 トラオの言葉を遮って、おれはマシロと共にトラオに声をかけた。焦がし猫の話を最後まで聞いていたら夜が明けてしまう。それに、遮った所で、また別の猫が喋り出すから、なんの問題もにゃい。
[応! 生きた猫と真新しい櫛猫か‼]
[ああ。早速だが、マシロが、お前に質問があるらしいんだ]
[ええ。あの、お尋ねしたいのですが……わたくしは、今のご主人様が最初のニンゲンなので、ひとりのご主人様のことを大事に思うので、気持ちがいっぱいになりますの。トラオ様、100人のニンゲンを好きになるって、どんな感じですの?]
 マシロの質問に、トラオはにゃははと大声で笑ってハッキリと言い切った。
[櫛と金は巡るモノ。人の縁の、数あれば、櫛も同じく縁渡り。人に好かれることあれど、俺様が好きになる必要はにゃい!]
[そうだな。ニンゲンは基本気まぐれだ。金の事は知らにゃいが、沢山のニンゲンに知って貰えれば、今日のご飯に困らにゃいな]
 ふんぞり返るトラオの言い分は尤もだ。うんうんと頷くおれに対し、マシロはやっぱり分からにゃいといった風に尻尾を左右に振った。
[わたくしのご主人様は、櫛を何枚も飾っていらっしゃるわ。ですが、手放した櫛の話は聞いたことがありませんの]
[そうです。歯が折れない限り、一人のご主人様に後生大事にされるから、ぼくたち櫛猫が宿るのです]
 後からゆっくりと追ってきたシマが、マシロに加勢してきた。シマの後ろにいるハチワレも[うんうん]と同意している。
[おおん? 1より100に価値あれど、100に勝る1あらず! 俺様の99代目の主もそう言って、俺様を100代目に託したぞ。その後は桐箱なんて立派な入れ物を拵えて、次の主を待つばかりよ!]
[そもそも、櫛猫に数の概念はありません! 『ぼく』と『ご主人様』と『ご主人様以外のたくさん』です。1も100もなくてですね……]
 こう言うのを喧々諤々と言うのだろうが、おれはそんな事よりも、明日のご飯の方が大事だ。トラオとシマたちの言い争いに飽きたオレは「みゃ~お」とあくびを一つして、会話に耳を傾けることを止めた。


 そんなトラオが、ある日突然変わった。おれがいつもの様に猫集会に向かうと、他の焦がし猫たちがトラオを見てポカンと口を開けていたのだ。
[どうしたんだ? ネズミに噛まれたみたいな顔を揃えて……]
 猫達の中心では、トラオが一生懸命語っていた。熱く語るのはいつものこと。問題は内容だ。
[俺様の101人目のご主人様はよぅ! 若くて美人で綺麗な真っ白い髪をしたニンゲンなんだ!]
[トラオがニンゲンのこと『先代目』じゃなくて『ご主人様』って言っているにゃ……]
[珍しいんだにゃ、トラオがひとりのご主人様の話をするなんて、初めてじゃないかにゃ?]
 トラオの傍にいた猫又が恐る恐る声をかけると、トラオは[待ってました!]と、言わんばかりに身を乗り出した。初めて会った時のボサボサだった全身が、櫛の手入れに使われた油でツヤツヤのサラサラになっている。ハリネズミみたいだった尻尾も綺麗に整えられていて、実は長毛のサビトラだったことに気が付く。
[知らざぁ、言って聞かせたらぁ! 百々の世生きた、焦がし猫。俺様生涯唯一の、そりゃあ美しいご主人様との出会いなり~ぃ‼]
 焦がし猫たちが戸惑う中、トラオは勝手にここ数日の出来事を語り始める。おれは邪魔にならない様に背を低くして群れの中に紛れ込むと、トラオの話に耳を傾けた。
[魔道師、遊女に影法師。人の手世渡りしてきた俺様。この世に未練はありゃしねえと、ススだらけの箱の中で覚悟を決めた、その時‼]
 トラオの調子に合わせた焦がし猫が、琵琶の代わりに自分の腹を膨らませてポポンと叩いた。
[俺様を箱から取り出したのは、天女の羽衣みてぇな綺麗な白い髪と肌をした若いニンゲンだったのさ! 若白髪? 脱色剤? いやいや、どれでもない! 俺様が梳いた100のニンゲンの誰も持ってない。そりゃあ透き通るような白だったのさ!]
[にゃんだ、にゃんだぁ? トラオがひとりのニンゲンの話をするなんて珍しいにゃぁ‼]
 おれの後に来た焦がし猫が、瞳孔をキュッと細くして叫んだ。その鳴き声を切っ掛けに、今まで我慢していたらしい他の猫も[そうだそうだ!]と、トラオを質問攻めにする。
[新しいご主人様はメスのニンゲンかにゃ?]
[肌も髪も白いニンゲンなんて、見たことにゃい! 実は妖怪なんじゃにゃいか?]
 確かに。おれも、天女の羽衣とやらも、髪と肌が真っ白いニンゲンなんてモノも知らにゃい。
[妖怪でもニンゲンでも、俺様にゃあ関係ねぇ! 唯一無二の天女様。それだけで十分よ!]
 トラオがフンッと鼻息を荒くして、満足そうに自分の腹の毛を撫でた。確かに、毛の色や模様が違うのは、猫にとっては当たり前だ。真っ白なニンゲンも、おれが見たことがにゃいだけで、きっとどこかに存在はするんだろう。
[その天女様とやらは、見てくれの他に今までと何が違うってんだぜぃ?]
 ハチワレの質問に、トラオは初めて、威勢も気前も感じさせない赤い瞳で、フワフワになった自分の毛並みを見下ろした。
[実は俺様、花一匁で捌かれた、なんの変哲もない焦がし猫櫛。初代主のニンゲンが、やれ口八丁手八丁。金の成るご加護櫛として、俺様を売り飛ばしたのが、世渡り百年の始まりよ]
[売り飛ばす? 今で言う転売ってヤツなんだぜぃ?]
 ハチワレが確認すると、トラオは力なく頷いた。ニンゲンには、ご飯よりも価値のある『お金』と言うのがある。お金があれば、ご飯が貰える。猫みたいに、にゃあにゃあ鳴くだけでは、ご飯は手に入らにゃい。
 なんともまどろっこしい手順だが、トラオは櫛として髪を梳く道具ではなく、ニンゲンがご飯を食べる為の、そのお金とやらを得る為の道具にされていたらしい。
[時はいにしえ、新進気鋭。反物焼物、引き出物が、おまんまと交換出来た頃の俺様は、そりゃあいざってぇ時の為に、沢山のニンゲン様に好かれて、大事にされたんだ……だが、櫛じゃあ腹は満たされねえって直ぐに手放した8代目。腹が満たせりゃ櫛は要らねえってお金に換えた79代目。欲目を出して、言い値が付くまで俺様を手放さねえって言ったのは何代目だったか……こうして俺様は、何人もの手を渡りに巡り、ニンゲンの欲に付け込んだ、妖怪櫛猫、付喪神。トラオ様として、この世に顕現したんだ……]
[それって……櫛として、一回もご主人様の髪を梳いてないってことか!?]
 おれの質問に、トラオは慌てて首を横に振った。
[うんにゃ。ご利益ってんで、沢山のニンゲンが俺様の櫛で髪を梳いたのは本当だ。 好き勝手に謳われた嫁入り道具でも、俺様で髪を梳いてくれた……それこそ、30代目が自分ではなく、産んだ娘の髪を梳いたりはしたんだぜ? あの時は久し振りに櫛として、柔らかい髪が絡まない様に気を付けたんだ!]
[そうにゃのか!? トラオはいつも世代交代の話しかしないから、誰かの髪を梳いていた頃があったなんて、知らなかったぜぃ]
 ハチワレが目を丸くして驚くと、他の焦がし猫もにゃんにゃんと感心していた。トラオは自分の腹を毛繕いしながら、恥ずかしそうに喉を鳴らす。
[でも……今のニンゲンが初めてなんだ……売る為でも、見栄えを綺麗にする為でも、他の娘の為でもなく。買いたての手入れブラシを不器用に使って、一生懸命、俺様を『自分の櫛』として、手入れをしてくれたニンゲン……初めて、大事にされてるって、実感したんだ]
[ああ……それは、分かります]
 トラオの弱々しい本音に同意したのは、意外にもシマだった。
[櫛の寿命は、使い手であるご主人様……ニンゲンの手入れが重要です。どんなに着飾って売りに出したとしても、湿気の多い所で雑に扱われれば、三日と保たずに櫛が割れる可能性だってありますし、ボクのご主人様の様に、月に一回、油を欠かさずに手入れをしてくださったら……百年は無理でも、一本も歯が欠けることなく向こう数十年は使命を全う出来る気がするんです]
[……シマ。今シレッとご主人様自慢したな]
 おれの突っ込みはさらりと流された。それだけ、焦がし猫にとって、櫛の手入れは大事なことなのだろう。キリッと背筋が伸びているシマと、ショボショボしているトラオを見比べたおれは、そろりとトラオの方に近付いた。
[つまり、トラオは初めて『ご主人様』と呼べるニンゲンに出会ったってことか?]
[ミスタ~! こんな気持ちは初めてなんだ。俺様、どうすれば良いのか分かんねえ…なあ、一人のニンゲンに手放されない様にする為には、どうすれば良い?]
 トラオがおれや他の焦がし猫たちに向かって、赤褐色の瞳を潤ませた。妖怪だろうが神だろうが猫は猫。こういう時に丸い目を潤ませてキュルンと仔猫の真似をするのは、当たり前に出来る。かく言うおれも、カズトシからご飯を貰いたい時は、今のトラオと同じ仕草をする。
[にゃぁ~。ご主人様が大好きなら、捨てられないし、櫛も長生きするにゃ~]
[にゃあにゃあ。傷んだ髪に油を通すお手伝いをしたら、自然と毎日使ってくれるにゃあ]
[そもそも、トラオは100人のご主人様に好かれたんだにゃ? ウチらよりもベテランなのにゃ]
 焦がし猫たちは、あの手この手を挙げてくるが、猫集会にいる面々は、基本的に自我が芽生えてから一人のご主人様に一途だから参考にならにゃい。
[そうにゃ! ハチワレはご主人様の群れのニンゲンに好かれてるにゃ! ハチワレなら分かるにゃ?]
[群れのニンゲン? 『家族』のことかにゃ? あー……オレにも分からないんだぜぃ。そもそも、オレたちはそんなに何人もご主人様が変わることはにゃいんだぜぃ。だから『ニンゲンに手放されない方法』なんて、分からないんだぜぃ……]
 群れのニンゲン全員に愛されて、髪を梳いているハチワレですらお手上げだ。トラオが最後の頼みと見つめてきたのは、この場で唯一の野良猫の、おれだった。
[ミスタせんせ~、どうかどうか俺様に御力を~‼]
[おれか!? いやいや、無理だ。おれはただの野良猫だし、ニンゲンと末永く一緒に。なんて、考えたこともにゃい!]
 おれは白の前足を上げて、ニンゲンみたいに横に振る。助けを求めてシマやハチワレの方を見つめたが、どうやら奴らもおれを当てにしているらしい。
[ミスタは、色んな家からご飯を貰っているよな? 臭いで分かるんだぜぃ?]
[ええ。ミスタなら、マシロやコバンの時の様に、ニンゲンを当てにして問題解決が出来るのでは?]
[ニンゲンの当て? イズミのことか?]
 おれは苦虫を噛み潰した時みたいに、顔にギュッと力を込めて唸った。おれがイズミに話すのは、あくまで『解通易堂の櫛』が関係している厄介事だけだ。同じ野良猫なら、まだレディの方がニンゲンに媚びる伝手がありそうだが。そう言えば、最近見ていにゃいな。
[あいつには無……]
 無理だ。と、断ろうとしたおれに覆いかぶさるように、トラオが大きな身体をいっぱいに膨らませて覗き込んできた。反射でおれの毛も逆立ち、つい逃げる体制に身構えてしまった。
[イズミ? その猫に会えば、解決するのか!?]
[いや、イズミはニンゲンで……でも、おれには無……]
[人の手猫の手、にゃんでも良い! 頼むよぉ。話を通してくれよぉ‼]
[んにゃぁ……]
 おれは耳をぺたんこにして身体を震わせると、トラオの勢いに負けて不覚にも承諾した。イズミに無駄な仮を作ることになるが、致し方にゃい。
[……おれは説明が苦手なんだ。どうしても頼りたいのなら、一緒に来てくれ]


 夜が明けて、焦がし猫たちが櫛へと帰って行く。おれは眠たいと重たくなる身体で、まだ顕現しているトラオと一緒に解通易堂に向かった。実物はどこにでもある焦がし猫櫛だが、 伊達に百年生きたと自慢しているだけあって、マシロやコバンに使っていたイズミの変な札が無くても朝方までハッキリとトラオの輪郭が見える。
 イズミの縄張りは、表口と裏口で匂いが違う。表口の方は毎回木櫛と油の香りと、変な花や薬草の香りがして、気まぐれに、入りたい時しか使わにゃい。表口から入っても『招き猫』と呼ばれる動かにゃい猫。カズトシが『トーテムポール』と呼んでいた、沢山の顔が彫られた木。柱にこびり付く、妖怪なのか妖精なのか分からない光や影。櫛以外のごちゃごちゃしたモノや匂いが充満していて、入っても直ぐにイズミの香りが強い台の上まで移動してしまう。
 だが、裏口の方はおれの匂いが柱や布に付いているから、安心して入ることが出来る。
[イズミ、来客だ。この重たい鉄の扉を開けろ]
 解通易堂の裏口でにゃあにゃあと鳴くと、イズミが縄張りの扉を開けた。ニンゲンは群れだろうとひとりだろうと、四角い鉄の塊に縄張りを作る。しかも、縄張りを移動こそすれ、おれたち野良猫みたいに、ご飯の為にその縄張りを賭けて争ったりしない。全く変な生き物だ。
 イズミは毛の代わりに重たそうな衣を纏い、普段は両目を覆う『メガネ』をかけているのだが、今日は片目だけを覆う『モノクル』とやらを付けていた。
[ほぉ? 柳は緑、花は紅。俺様のご主人様とまではいかねぇが、これまた別嬪さんじゃねぇか]
[ああ、これが解通易堂の主『イズミ』だ]
[にゃんと! 件の変人、名はイズミ! 浮世離れの店主様ったぁコイツのことか‼]
[そこまで言ってにゃい]
 耳打ちして来るトラオを雑にいなしていると、イズミが眼鏡の掛かっていない方の目でトラオに目をやった。
「いらっしゃいませ……おや? 今日はお連れ様、ですか……?」
[ああ、コイツは……]
[よぉニンゲン! 化け猫、櫛猫、焦がし猫。数ある呼び名は百あれど、百年生きた俺様の名は! 付喪神様トラオ様だぁ!]
 意気揚々と名乗りを上げたトラオに、イズミはゆっくりと膝をついて、丁寧に頭を下げた。これはニンゲンがする『敵意が無い時の行動』だ。
「お初に、お目にかかります……私は、解通易堂の……泉と、申します」
 イズミはそう言うと、おれたちを縄張りの中に招き入れ、ほのかに鰹節の香りがする温かい水を用意してくれた。香り水とは言え、おれにとってはご馳走だ。焦がし猫のトラオも、湯気から立ち込める香りを存分に楽しんでいる。
[ほぉん。気が利くニンゲンだな! 気に入った!]
「ありがとう、ございます……」
 もてなしに満足したトラオは、ひとしきりゴロゴロと喉を鳴らしている。おれが[こほん]とニンゲンの真似事をすると、トラオはようやく身体に芯を通して、赤褐色の目を光らせた。おれはイズミに目を向けると、ごちゃごちゃ言いそうなトラオよりも先に話題を切り出した。
[前置きは嫌いだ、イズミ。若くて髪の白いニンゲンに心当たりはにゃいか? 最近、このトラオのご主人様になったんだ]
「髪の白い……ですか」
[ああ。ニンゲンの事は、お前の方が長い付き合いだろう。どうやったらニンゲンに長く櫛を使ってもらえるか、トラオに教えてくれ]
 単刀直入に質問したおれに、同意するみたいにトラオが頷く。イズミは何かを察した様に笑うと、ついと指を顎に当てて考える素振りを見せた。
「確かに……ヒトにしては珍しい、白い髪に……トラオ様と同じくらい、赤い目をした……お客様が、いらっしゃいました……」


 イズミ曰く、そのニンゲンは『ユタカ』と名乗った。髪も肌も、爪の先まで白いニンゲンは、イズミも初めて出会ったらしい。
 背中まで伸ばしていそうな白髪を全部すくい上げて帽子に隠したその少女は、分厚い眼鏡をかけ直して、鞄から取り出した桐箱をイズミに見せてきた。イズミが桐箱をうけとると、その中には大切に仕舞われたトラ猫模様の櫛が一枚入っていた。
「あの……あの、櫛……この櫛、おばあちゃんの家にあって……大分古いヤツで、手入れとか、してないみたいで……つ、使えるようにする為には、どうしたら良いですか?」
 この国では珍しい、赤の混じった茶色の瞳を自信無さげに泳がせて、ユタカはノートサイズのパッドの画面をタップしてイズミに向けた。画面には櫛の手入れについて書かれたホームページが表示されてあり、しかし、小刻みに震えた手によって、何が書いてあるかまでは視認出来ない。
「ネットで調べました! でも、どの記事を参考にすればいいか、わから……なくて。レビューには『違う』とか『適当だ』とか『根性が無いと無理』とか……そんなコメントばっかで……でも、このサイトにだけ『解通易堂に確認すれば確実』ってあって……手入れ道具も、売ってるって……それで、来ました」
「ほう……当店では、櫛の手入れも……承って、おりますが。豊様は……櫛の手入れを、ご自身で……なさりたい、と……?」
「はい。えっと……私、みんなと全部違うんですけど……この髪だけは、違くて良かったって思ってて……まだ堂々とは出来ないけど、嫌いじゃ、なくて……」
 ユタカはそう言って、おずおずと帽子を外した。若白髪でも遺伝でもない、透き通った真っ白な髪を、イズミはトラオと同じ様に『天女の羽衣』と例えた。
「もっと、この髪を大事にしたいって思った時に、この櫛に出会ったんです……おばあちゃんが、要らない。もう使ってないからって、簡単に譲ってもらったんですけど……」
 イズミから櫛を返してもらったユタカは、乾いた櫛に、押し付ける様に焦がし付けられた猫を優しく撫でながら、嬉しそうに目を細めた。
「私、弱視なので……こうやって、触った方が、柄が良く見えるんです。これ、猫ですよね。猫、アパートだから飼えないけど、大好きなんです。だから、せめて……私は、簡単に人に渡さないように、最初から思い出作って、大事にしたいんです」
 そう言って不器用に笑うユタカを見て、イズミは眼鏡をかけ直して笑みを返したと言う。
「そうですね。この櫛の、状態ですと……髪を梳くまでに、手間と時間が……必要です。それこそ、仔猫のお世話をする様に……扱って、いきましょうね」
 イズミはユタカに、手入れのセットと一緒に、ネット記事には記載されてない細かな部分を手書きしたメモを渡したのだ。


 イズミの話を聞いたトラオは、再び嬉しそうに喉を鳴らしながらデレデレと身体をくねらせた。
[んにゃぁ~! 惚れた女は、白百合の。楚々慎ましい、優姿! 一目惚れったぁ、軽過ぎる! 俺様、百の主人よりただ一人! ユタカの生涯、最初で最後の櫛でいたい! ゴロロロロロ……]
[イズミ……『ヤサスガタ』ってなんだ?]
 耳馴染みのにゃい単語に、おれは反射的にイズミに問いかけた。まあ、おれが生きていく上で必要にゃい単語なら、きっと明日の夜には忘れるのだろう。
「言葉や仕草が、穏やかで……優しい女性を『優姿』と……表現します。トラオ様は、語彙や言葉の調子が……小気味好い御方で、いらっしゃいますね……」
[ハチワレみたいなテンションで、イズミみたいな言葉を遣うから、おれは苦手だ……]
 トラオはひとしきりデレデレした後、耳をぺたんと垂らして背中を丸めた。
[俺様も、ユタカが懇切丁寧に俺様を扱ってくれているみたいに、ユタカを大事にしたい……でも、俺様は百のニンゲンに好かれても、ニンゲンの為に梳いたことは、この100年で一度もねえんだ]
 トラオのひと回り小さくなった身体をひと撫でしたイズミは、手入れの行き届いた毛並みを確認して安心した様に笑うと、指を一本天井に向けて話し始めた。
「トラオ様……『100万回生きた猫』……の、物語を……ご存じですか?」
[なんだぁ!? そんな猫、俺様は知らねえぞ]
[おれも知らにゃい。生き返るなんて、ニンゲンの発想だ]
 猫は、そもそも生きることしか考えてない。死んで悲しむのはニンゲンの発想で、死を受け入れているから『生き返る』なんて考える。中には『テンゴク』とか『ゴクラク』なんて場所に行くと思っているニンゲンもいるみたいだが、おれには関係にゃい。
「ええ。この物語は、真偽が確か……では、ございません。ですが、トラオ様と境遇が……よく、似ていたもので……」
 イズミは天井に向けた指をくるくる回しながら、その猫の物語を思い出している様だった。おれは動く指の方が気になって、自然と身体ごとその指を追いかける。
「あらすじ程度しか、思い出せないのですが……物語の中で、猫は……100万の人々に愛され、その為……生き返ることが、出来ました。そして……100万と1回目の生で、ある真っ白な猫と……出会います。そして、その白猫から沢山の愛を受けて……愛し方を、知るのです」
[にゃんだと!? その物語を読み聞かせてくれ‼ 俺様にも、愛し方を教えてくれよぉ‼]
 猫なで声で懇願するトラオに、イズミはくるくると回していた指をついと自分の胸に当てて、わざとらしく首を横に振った。
「残念ながら……私がその物語に、触れたのは……ほんの一時、一度だけ。この胸に、記憶している部分しか……お教え出来ないのです」
[……化け猫と同じだ]
 おれはぼそりと、トラオに聞こえない様に呟いた。ニンゲンは時々、化け猫みたいに言葉で誑かす。更に言えば、イズミはニンゲンの中でも特別だ。野良猫のおれと何故か話せるし、一度見聞きしたモノを、簡単に忘れたりはしにゃい。本当なら、その物語とやらを頭から尻尾の先まで暗唱出来るだろう。イズミとは、そう言う生き物なのだ。
[にゃぁ……それじゃあダメだ。俺様は……金の成るご加護櫛と謳われて、人の強欲、願望で生まれた付喪神。崇められた事こそあれど、好かれたことは一度もない……]
「ですが……トラオ様。貴方様からは……他の、焦がし猫様とは違う……確かな『情』を注がれたからこそ……ここに、いらっしゃるのですよね?」
[どういうことだ?]
 トラオが項垂れていた頭を持ち上げて、力なくイズミを見上げる。イズミはいつの間にかトラオを撫でていた手でおれを撫でながら、優しく言い聞かせる様に囁いた。
「人の『欲』とは、何も邪なもの……ばかりでは、ございません。例えば、誰かをお腹いっぱいにしたい。その為に、お金が欲しかった……とか。子孫繁栄、厄除けの祈願として、代々受け継ごうと決めた……とか」
[にゃにゃ!? 確かに……9代目は、親の薬が欲しくて、俺様を質に入れた。43代目は、身の丈に合わない遊女を嫁にする為に、俺様を高値で遊郭に売り払った!]
[なんだ……何が言いたいんだ?]
 ニンゲンの思考回路は、毛玉みたいに難解だ。おれたち野良猫は、今日どうやってお腹をいっぱいにして寝ようか考えて一日が終わる。でも、トラオは今、もっと複雑で大きな『感情』とやらを、喉から吐き出そうとしている。
[ミスタ、聞いてくれぃ! 俺様の30代目の主は、31代目の娘に『生きて嫁に行ってくれ』と願って、嫁入り道具だった俺様を託したんだ! そこまでは分かったんだが……んにゃぁ~分からにゃい! ココまで出てきているのに『肝』の部分が出てこにゃい~ゴロロロロロ]
 興奮気味なトラオの早口は、巻き舌で喉まで鳴っていて聞き取りにくい。
[ここで自慢話は止めてくれ。眠すぎて身体も頭も限界なんだ……]
「回し売り、見受け金、形見分け……理由は様々でしょうが、トラオ様は確かに『人々の想いを託されて』顕現されました……そして、長き時を経て……ようやく、たった一人の……トラオ様だけを想ってくださる、ご主人様に出会えたのです。もう答えは……トラオ様の中に、ございます……ね、ミスタ?」
 突然話を振られたおれは、一瞬目をぱちくりして固まった。しかし、直ぐに[どうでもいい]と直感して、撫でられていたイズミの手を爪で引っ掻いた。
[おれに振るな。今の会話、おれは何も分からにゃかったぞ]
「いえいえ、私に……猫集会の様子を、教えてくださるのは……ミスタじゃありませんか」
[猫集会? 猫集会の猫たちを見れば、おれでも分かるのか?]
 おれは猫集会の猫たちと、トラオの振る舞いを思い出した。

―最近、ご主人様がシャンプーを変えたんだにゃぁ。髪に馴染んで、一層梳き心地が良いんだにゃぁ~―
―ウチのご主人にゃんか、娘にヘアアイロンを買ってやったんにゃ。髪が痛まにゃいように、妖術を少しだけ使って髪を梳いてやるんにゃ―
―……ボクのご主人様の様に、月に一回、油を欠かさずに手入れをしてくださったら……百年は無理でも、一本も歯が欠けることなく向こう数十年は使命を全う出来る気がするんです―

―おおん? 一より百に価値あれど、百に勝る一あらず! 俺様の99代目の主もそう言って、俺様を100代目に手渡したぞ……―
―……好き勝手に謳われた嫁入り道具でも、俺様で髪を梳いてくれた……それこそ、30代目が自分ではなく、産んだ娘の髪を梳いたりはしたんだぜ? あの時は久し振りに櫛として、柔らかい髪が絡まない様に気を付けたんだ!―

 他の焦がし猫は、今使われている事を誉れに思い、トラオは、100人に愛されたことを誇りに思い、自慢していた。おれには上手く表現出来にゃいが、きっと、そう言うことなのだろう。
[トラオ。今直ぐ櫛に帰った方が良い]
[にゃにゃ!? なんでえいきなり……]
[おれは説明が苦手なんだ。とにかく帰って、そして、今日あった櫛と何があったか覚えてこい]
 手短に説明したおれは、トラオが直ぐ消える様に尻尾でシッシと追い払った後、もう一度撫でようと伸ばされたイズミの手を肉球パンチで阻止して、イズミの膝に移動した。ご飯と寝床以外の事を考えて、もう眠気が限界だ。せめて肌触りが良いその布で、おれを心地よく寝かせてくれ。
[これで良いんだろう? イズミ。おれに獲物の狩り方を教えるみたいな方法を取らせたりしたから、余計に疲れた]
「ふふふ……申し訳、ございません。ですが……トラオ様が、解通易堂を訪ねて……来た時点で、彼がヒトを大切に想う心は……伝わり、ましたから」
[回り、くどいんだ……お前は、化け猫よ、り……タチが、悪い……]
「ありがとう、ございます」
 褒めてにゃい。そう言おうとしたが、おれの意識は既に微睡の中に沈んでいった。


 今夜も変わらず、猫集会では、焦がし猫達が口々にご主人様の自慢大会が行われている。
 いつも通りおれが遅れて神社に向かうと、いつもは群がる猫たちの中心にいたトラオが、珍しく後ろの方で赤褐色の目をまん丸にしていた。
 群れの様子は依然変わらず、琵琶を持った猫が弦をべべんと弾けば、二足歩行の焦がし猫達が前足の肉球をポムポムと叩く。中には息を大きく吸い込んで、腹太鼓をポコポコと鳴らす猫もいる。
[今日も可憐で可愛らしいご主人様が、楽しそうに外出用のお着物を虫干ししていらっしゃった! きっと、明日お出かけなさるに違いない。明日の朝はホコリ一つ残さない様に髪を梳き通して差し上げます!]
 群れの中心にいるシマが、齢70歳を超えようと言うご主人様を、まるでハイカラな少女だと言わんばかりに褒めている。
[わ、私のご主人様は、来月ご旅行を予定しているみたいですわ。今日、美容院の予約をしていましたから、せめて美容師さんに褒められるような髪になるように、御助力したいですわ!]
 まだまだ新入りで、ご主人様と交流が浅いマシロも、最近はしっかりと自分の想いを言葉に出来るようになっている。他の焦がし猫たちも[邪気が絡まった髪の毛を、毛づくろいの様に梳いてみせるにゃぁ]だの[健康的な髪の毛を保つために、髪の油が均等になる様にお手伝いしたいにゃ!]だの、各々ご主人様の為に、自分に何が出来るのか宣言しては、一斉に声援を送り合っている。
[お前ら、そんな風にご主人様の髪を労わって梳いていたのか……なるほど!]
 トラオはようやく、自分が声高らかに謳っていた自慢話が、ちょっとだけ他の焦がし猫とずれていたことに気付いたらしい。
[30代目は、産まれた娘の髪を大事に梳いた。根性の別れの時は、おかっつぁんの形見だと、俺様を娘の31代目に託しなさった! この話には続きがあって……俺様、齢五つの小娘を、得意の妖術で、えいやそら! 迫る地獄の業火から、護って救ってやったんでぃ‼ そうかそうか、そう言うことだったか‼]
 仁王立ちして、大きな肉球でお腹をポンと叩くと、気合いを入れて大きく息を吸い込んだ。
[フッフッフ……聞いて、驚け! 問われなくても、名乗るが漢! 櫛猫百年、長寿の証と謳われてぇ! 付喪神だが非道はしねぇ、人に情けをかけられて、百人梳いてぇ好かれた漢! 何様俺様トラオ様! モノホンの焦がし猫たぁ、俺様のことよぉ‼]
 トラオは意気揚々と群れの中心に向かうと、焦がし猫たちの前で、堂々と語り始めた。
[さあさあ皆の衆、100年に1度の、奇跡の女‼ 惚れた女は、白百合の。楚々慎ましい、優姿! ユタカの白く美しい髪の毛は、遊女や、やや子、絹糸の如く! 優しくせねば、いけないのだ! 俺様は百の経験を活かして、ユタカの髪を一本ずつ、爪で切っ掛けても切れない様に梳いてやっているのさ!]
[まぁ、素敵ですわ。トラオ様が今のご主人様を想う気持ちが聞けるなんて!]
 トラオの横にいたマシロは、ピンク色の肉球をプニプニ叩いて喜んだ。他の焦がし猫もやんやと賑わう中、シマはまだ不服そうな表情をしている。
[ふん。まあまあ及第点ですね。分かれば良いんですよ。分かれば]
 しかし、シマの尻尾が嬉しそうに左右に大きく揺れている所を見るに、トラオが変わった事自体は満更でもないらしい。
[はぁ……にゃんだかんだ、どの焦がし猫も自慢話が好きなんだな。喋る方も、聞く方も、飽きにゃい程に]
 おれは溜息を吐いて皮肉を漏らすと、ハチワレが[にゃはは]と笑って、前足でおれの背中をポムポムと叩いた。
[オレたちは楽しい話題に目が無いんだぜぃ。いっくら喋っても、飽きないんだぜぃ!]
[応よ! 飽きねえ商い! 金より価値ある、俺様たちの『商売』よ!]
 『商売』か。猫には程遠い単語だが、成程。焦がし猫たちの猫集会とは、お役目の情報交換の場。イズミが縄張りで、櫛を他のニンゲンに手渡しているものと似ているらしい。
 まあ、どちらにせよ、生きた野良猫のおれには関係にゃい。おれは大きくあくびをして、賑やかな猫達の声が遠くなるまで眠ることにした。

【完】

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