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泉御櫛怪奇譚 第九話

第九話『白い小包とヤマネコ運び屋さん』
原案:ととやす堂
著:紫煙

――自分と暮らしてきた文化や容姿が違う『誰か』と対峙した時、貴方はどう感じますか?
畏怖や嫌悪の念を抱くことは、もしかしたら自然な感情かも知れません。好奇心を持って交流しようとする行為も、きっと悪くないでしょう。
今回は『異形』と呼ばれる存在に出会った際の、ほんの一例を紹介致しましょう……。


 弥生の半ば。うららかな景色の中を、配達用のトラックが横切っていく。全国的にも有名な、ヤマネコモチーフのキャラクターが荷台全体にプリントされていて、誰が見ても配達用の車であることが分かる。
 和寿の隣で運転をしているのは、新卒より少し早めに入社してきた一真だ。作り立ての『御池』と書かれた名札を胸ポケットに付けて、少し緊張した面持ちで運転をしている。
「御池。そこを右……」
「ハイ!」
 まだ19歳と若いのに、既にトラックの若葉マークは外されている。実際、指導的立場として和寿が隣にいても、注意出来ることが殆ど無いくらいだ。
「……」
「……」
 しかし、一真の方は何も言ってこない和寿に不安を感じているらしく、時折心配そうに視線を巡らせている。
(会社だと常に怖い人みたいな噂を聞いたけど……さっきから道案内以外何も言ってこない……もしかして、注意する以前にオレがダメなのかな……?)
「……あ、あの、大和先輩」
「先輩じゃねぇ」
「え? じゃあ……大和、さん? あの……オレ、そんなに出来てないですか?」
「おん?」
 赤信号で止まった瞬間、助手席にいた和寿と目が合う。平均より細い和寿の三白眼は、視認しただけで射抜かれそうな迫力があり、恐ろしくなった一真が身震いする。
「いえ‼ すみません、なんでもないです……」
「……おお」
 和寿は眉間に皺を寄せたまま、信号が変わるまで無言で思案している。
(く、空気が重い……早く青になれ! なってくれ‼)
 ようやく青になった信号で一真が安心したのも束の間、腹の底に響く和寿の重低音がぼそりと聞こえた。
「おい、御池ぇ……」
「ひゃい!」
 突然名前を呼ばれ、返事をしようとした声が上ずる。身構えている一真に対し、和寿は少し申し訳なさそうに頭を掻いた。
「あー……直近で、俺の配達区域の依頼が溜まってんだ……ちょいと例外案件なんだが、そっち行ってもらっても良いか?」
「あ、ハイ! それなら全然イイです。大丈夫です。よろしくお願いします」
 トラックは目的地を変えて、長閑な景色を横切っていく。
「せんぱ……大和さんの配達区って、あの小さな神社があるら辺ですよね?」
「ああ……店に行ったら、俺の仕事だから運転換わる。集荷の機械いじらせてやるから覚えろ」
「ハイ!」
(良かった、ちょっと長く話せた……でも『店』ってどこのことだ?)
 一真は疑問を口に出すことが出来ず、その後も苦しい沈黙の中トラックを運転していた。


 二人を乗せたヤマネコ柄のトラックが、解通易堂の前でゆっくりと停まる。
「御池、降りろ。機械のついでに接客練習」
「ハイ!」
 和寿の後を追って入口へ向かうと、見計らっていたかの様に暖簾をくぐって出てきたのは、成人式に着る袴に女性物の羽織を纏った男だった。レトロな丸眼鏡の向こうに見える切れ長の目は優しそうに微笑んでいる。
(ん……? 男の人、だよな……? 店長さんとか?)
 一真が躊躇していると、和寿が肩を叩いて挨拶を促した。
「おら、挨拶」
「あっ! やっヤマネコ運輸ですっ! 集荷に着ました!」
「おやおや……ご苦労様です、よろしく……お願いしますね」
(あ……男の人の声だ……。袴を着てるってことは、同い年くらいなのかな?)
 一真はホッと溜息をつくと、ぎこちなく機械を操作しながら、店の外に出ていた荷物の集荷受付を済ませる。
(よし。初めて操作したけど、ミスしないで出来た! この人、オレの所めっちゃ見てくる訳でもないし、焦らせてこないから助かったぁ。初めての集荷受付がここで良かった)
 伝票を張った箱の個数を確認して、率先してトラックに詰め込む。一人で詰め込み作業をしていると、男と和寿が話をしているのが聞こえた。
「では、こちら……バレンタインの、お返し……です」
「おう」
(ん? バレンタインのお返し?)
 一真がトラックの影から二人の様子を覗くと、なんと、男が和寿に手持ちサイズの紙袋を渡していた。和寿は先程のトラックの中と比べると、そこまで怖い顔をしていない。和気藹々と話している様に見える二人に、一真は咄嗟にトラックに隠れてしまった。
(え……はぁ!? バレンタインのお返し? き、気になるけど……)
 悶々と考える一真を、振り返った和寿が呼びつける。
「御池ぇ、ちょっとこっちこい」
「は、ハイ!」
 反射的に返事をした一真は、再びトラックの影から飛び出して、二人の前まで走る。眼鏡の男はにこやかな表情をそのままに迎えてくれたが、和寿の方は低い声を更に低くして、渋々男を紹介してきた。
「あー……こいつぁ、解通易堂の泉だ」
「はい、初めまして……櫛を専門に、扱っております……泉と、申します」
 泉と名乗った男は優雅に一礼して、真っ直ぐに一真を見つめてきた。同性でも見とれてしまいそうな美麗な姿に、始めは感じなかった緊張が一気に押し寄せてくる。
「は、ハイ! 初めまし、まして! みっみ、みみミ、ケです!」
(やべ、自分の名前なのに噛んだ)
 一真が慌てていると、和寿が「落ち着け」と言う代わりに、大きい手で肩を叩いた。
「ほう、ミケ様……ですか」
「ミイケだ、御池」
 手で口を隠して面白そうに笑う泉に、和寿が即座に訂正する。
「『御池 一真』だ。旦那が紹介してくれって言ったんだから覚えろ。暫く俺が面倒見なきゃなんねぇから、もう仕事中の変な時間に呼ぶんじゃねえぞ」
「ええ、分かりました……お勤め、ご苦労様です……」
(ちゃ、ちゃんと会話してるーーーー‼ 職場でこんなやり取りする大和さん、見たことねぇー‼)
 口をパクパクさせて驚いている一真に、泉は中性的な笑顔を向けた。
「和寿を、よろしくお願い……しますね。ミケ様」
「え? ……あ、ハイ!」
(結局、ミケ判定にされてしまった……まいっか)
 一真は泉に向かって勢いよく頭を下げて、慌ててトラックに向かう。先程とは違い助手席の方で待機していると、和寿はもう二言、三言、泉と言葉を交わすと、運転席に乗り込んできた。
 和寿の手に下げられた桜色の紙袋には、丁寧に包装された小包がチラリと見える。
(え? やっぱり、二人って……!?)
「うし……じゃあ会社に今の届けて、次、配達な」
「……へぁい」
 考えながら喋ろうとすると上手く言葉にならないことを、一真はこの日初めて知った。


 集荷した荷物を会社に届けて、空っぽの荷車を走らせること数十分。高級ホテルのロビーで、一真は小柄な身体で精一杯姿勢を正して立っていた。表情は緊張こそしているものの、憑き物が落ちた様に晴れやかだ。
(なぁんだ。バレンタインのお返しって、泉さんのお客様宛だったのか……にしても、凄い所に泊まってるお客様がいるんだな……櫛ってそんな高級品なのか?)
 初めて見る内装に感動しながら考え事をしていると、前にいた和寿が唐突に振り返ってくる。
「御池ぇ、これぁ俺の仕事だから、お前は戻ってても良いんだぞ」
「ひぇ……い、いえ! 大和さんの仕事から、なま、学ばせていただきます!」
(本当は、こういう場所苦手なんだけど……くっそ、仕事だから慣れるんだオレ!)
 一真は両手で頬を叩いて気合を入れ、和寿と共にホテルの最上階へ向かう。
 呼び鈴を鳴らして出てきたのは、一真が目を見張るほど『美しい』女性だった。彼女は白銀の髪を緩く巻いて簪でまとめていて、肌は陶器のように青白い。一真は思わず言葉にならない溜息をついてしまう。
「は……ぁ……」
(絵にも描けないって言うんだっけ? 女優? モデル? だったらテレビとかで見ている筈だけど……うぅ~わっかんねえ。めっちゃ綺麗)
 一真が悶々と考え込んでいる中、和寿は涼しい顔で紙袋の中の小包を一つ手渡した。
「ヤマネコ運輸です。解通易堂から、ひさめ様宛てです」
『あら……泉様から? 今年はどんなお返しかしら……?』
 ひさめと呼ばれた女性がローブからするりと手を伸ばした瞬間、一真はギョッと目を見開いた。女性の腕は一部が半透明になっていて、腕の中に雪の結晶がちらついている。
「えっ……おあ、ゆき……!」
「お客様の前だ。だらしねえ声出すんじゃねえ」
「どぅっふ!!」
 反射的に声が出てしまった一真に、和寿が肘で重たい一撃をくらわせる。勢い良く咳き込む一真をちらりと見たひさめは、面白そうに笑ってから和寿に視線を向ける。
『こちら、今開けてもよろしいかしら?』
「はい。あ、カッターありますが……」
『いいの。こうすれば開くから』
 ひさめは和寿にそう言うと、包みに向かってふぅと息をかけた。向かいに居た一真は、その息の冷たさに鳥肌が立つ。
 吐息で凍った包み紙がガラスの様に崩れ、むき出しになった箱の蓋を開ける。緩衝材の中に包まれていたのは、ちりめんのケースと共に包まれた一本の櫛だった。櫛の柄が見える様に包装された所を見るに、意図的にケースには仕舞わずに入れたのだろう。
「はぁ……え?」
(息で紙が凍ったんだけど? しかもあんなバラバラになるなんて、動画の液体窒素実験とかでしか見たことないんだけど? 情報処理が追い付かねえ……)
 ギョッとした顔でひさめを見つめる一真を無視して、彼女は緩衝材越しに櫛を取り出した。途端に緩衝材がパキパキと音を立てて凍り付き、一真の目が点になる。
『あら、今年は柄に色が刺してあるのね。華やかで素敵だわ』
 一真には名前が分からない黄色い花の柄をそっと撫でながら、ひさめは嬉しそうに和寿に話しかけた。
『今年はいつもより早く桜が咲くらしいから、それまではこっちにいる予定なの。もしかしたら解通易堂に顔を出すかもしれないから、その時は貴方もいらしてね』
「いえ、自分はあそこの店員じゃないので、お約束出来ません」
 一真がギョッとした顔のまま、きっぱりと断った和寿に視線を移す。
(え? いや、今のは世間話とか建前とかそう言うのでは? そこは『そうですねー機会があればー』とかで良いんじゃないの?)
 一真の心配をよそに、ひさめは機嫌を損ねることなく口に手を当てて笑った。透けた腕の中の結晶が外光で乱反射して、一真の目が一瞬眩む。
『うふふ。じゃあ、泉様に、毎年ありがとうございますと、お伝えくださる?』
「はい、承りました。では、これで失礼します」
 和寿は丁寧に一礼して、一真の襟を掴んでホテルを出た。硬直していた一真は、トラックに乗った途端に勢い良く息を吐く。
「ぶっはぁー! 大和さん! アレ、あの人……!」
「ぎゃあぎゃあ喚くな。客が誰だろうとなんだろうと、詮索しないのが配達員だ。覚えとけ!!」
「う……ハイ……」
(それは、そうなんだけど……アレ絶対に人じゃないだろ!? なんで腕が透けて見えるんだ? 包み紙を粉砕した仕掛けは? 妖精とか、妖怪的な? パッと思いつくのは『雪女』だけど……分からねぇ)
 頭を抱えながら唸り声を出す一真を無視して、トラックは次の配達場所まで走る。
 道路は徐々に細く荒くなっていき、時偶タイヤが大きめの石を轢いて一真の身体がポンと跳ねる。
「こ、ここって大和さんの配達区域じゃないですよねぇ!? 尻浮いたんですけどぉ!?」
「っせぇ! だぁってろ、舌噛むぞ!!」
 砂利道の騒音に負けない様に、大声合戦が始まる。ついに獣道に差し掛かった時には、二人共黙って運転に集中していた。


 辿り着いたのは、一真も知っている大きな神社だった。知っているどころではない。世界的にも有名で、海の外からも多くの参拝者が訪れている。勿論、公共交通機関も充実していて、きちんと整備された道路も存在している。
「な、なんで……あんな獣道を使う必要があったんですか……?」
「……」
「もしかして、道を間違え……」
「社務所行くぞ、おら!」
 和寿は一真の言葉を遮って、大股で社務所に向かった。
(え……もしかして大和さんって配達区域外の道って苦手なのか? なんか意外だ)
 一真は和寿の背中を追いかけながら、少しだけ口元がにやけた。
「すみません、ヤマネコ運輸です。解通易堂からお届け物です」
 社務所に入った和寿が挨拶をする。その中には一真も見たことのある姿の巫女や神主が何人も居た。しかし『解通易堂』の単語に反応したのは、たった一人だけだった。
「ハイハーイ! こっちでース! 入ってきてくださイ」
 奥から現れた巫女が、胡散臭そうな糸目を更に細めて二人を社務所の奥に招いた。
(ん? 配達って普通ここで手渡せば良くないか? なんで中に入る必要が?)
 躊躇する一真と違い、和寿は堂々と中に入っていく。神社の中へと続く廊下を進むに連れて、柱や襖が小さく狭くなっていく。
(え……なんだこの空間……段々狭くなってる? と言うか、全体的に小さくなっていく)
 四つん這いになってやっと最後の柱を通ると、ようやく開けた空間にたどり着く。相変わらず天井は低いままだが、和室は人間が宴会を開けるほど広い。その空間を半分に区切る様に金屏風があり、その向こうから、フワフワの尻尾が何本も見えている。
「え? なん、尻尾……?」
 呆気にとられる一真の横で、今まで人間の姿だった巫女が『ポン』と音を立てて狐の姿に変化する。
「??????????」
(何が起こった? え? 人が狐に化け……逆だ! オレたちは元々狐だった巫女さんにここまで案内されていたってことか!? そんな馬鹿な‼)
 俄かには信じられない現象に目を白黒させている一真とは違い、落ち着いたままの和寿が紙袋から小包を取り出した。
「解通易堂からです。れんげ様は……」
『はい! ワタチです。ちょっと待って……』
 屏風の向こう側から声がして、尻尾が慌ただしく揺れ動く。暫くして屏風がゆっくりと横に移動されると、向こう側に見えたのは二足歩行の狐たちだった。大きさは動物園で見る狐と変わらないはずだが、直立すると尻込みするほど大きく見える。
『れんげはワタチです。遠い所、ありがとうございまし!』
 真ん中にいた白無垢姿の狐がコンと鳴く。
「わー……モコモコでかわいー……」
 一真の思考は既に停止していて、仕事であることも忘れて口をポカンと開けている。
「仕事中だぞ御池。目の前にいるのはお客様だ」
「ハッ!」
 和寿は咳払いを一つして、大きな体を再び小さくした。狐たちの目線まで視線を低くして、れんげの前に小包を渡す。
 れんげが受け取るより早く、別の狐たちがあれよあれよという間に小包に群がると、包み紙を開けて、中から櫛を取り出した。
『わぁ……! ワタチの好きなお花がたくさん!』
 櫛の柄を見たれんげは、嬉しそうに尻尾を揺らす。狐たちも櫛の匂いを嗅いだり、人間の様に前足で器用に持ち上げたりしながら感嘆の声をあげる。
『あれまあ! 花車の吉祥模様があしらわれておりますぞ!』
『めでたや、めでたや! 縁起が良い!』
『わたくしめが、れんげ様の尻尾を梳かしますぞ』
『いえいえ、あちしが梳かしまする!』
 我先にと櫛を奪い合いながら、れんげの尻尾を交代で梳かし始める。一真は途端に尻尾の毛が艷やかになっていく様子を、怪奇現象か何かの様に見つめていた。
「お忙しい所失礼しました。では、これで……」
 和寿が浅く一礼して、この場を立ち去ろうとすると、大人しく毛並みを整えられていたれんげがブワッと尻尾を膨らませて反応した。
『あ、待って! イズミ様にお手紙があるんでし。ワタチの最後のお手紙が……キャンッ!』
 慌てて手紙を持ってこようとして、れんげが白無垢に躓く。ぺしょっと倒れた拍子に着物がふわりとたなびき、お付きの狐たちが慌ててれんげを助けようと右往左往した。
 一真も反射的に体が動いたが、天井が低かったことを忘れていた為、盛大に頭をぶつける。
「ぐぃってぇ……!」
「仕事中だぞ。ちゃんとしろ」
(こんな意味わかんない体験してて、仕事だって割り切れるかぁ!)
 喉まで出かかった一真の言葉は、れんげが用意した手紙によって阻まれた。
『こちらでし。今日はありがとうございまし!』
「はい。承りました……あと、ご結婚、おめでとうございます」
『コン! ありがとうございまし!』
 遂に再び硬直してしまった一真を引きずって外へ出ると、晴れやかな空に静かな雨が降っていた。
 ようやく動けるようになった一真が、トラックに乗る直前に振り返ると、太鼓の音と共に、若い男女が神前式を行おうとしている光景が目に映った。白無垢の綿帽子の間からちらりと狐の顔が見えた気がして、思わず目を擦る。
(あれ? もしかして……れんげさん?)
 しかし、再び見つめた先に居たのはどう見ても綺麗な女性で、とても嬉しそうな、幸せそうな雰囲気だけが広がっていた。


「今回ばかりは、絶対に! 説明してください!!」
 トラックの中で、一真が、彼の好奇心が爆発した。
「さっきの! 喋る狐はなんですか? 一匹なら冗談で済みま、いや済まない! それがあんなにうじゃうじゃ! アレはなんですか!?」
「……んあぁ。配達終わったらな」
「今! 全部! 話してください!!」
(あんなファンタジーなことがあってたまるか! なんだアレ!? さっきの雪女も、人に化けられる狐も、意味が分からない!)
 一真にはエンジンをかけたトラックよりも、自分の心臓の音の方が大きく聞こえる。はやる気持ちを発散しようと拳で交互に膝を叩きながら、子どものように畳み掛けた。
「オレ、一応霊感ゼロなんですよ。来年二十歳ですけど、これまで一度もあんな非実的な体験したことないんですよ! こんな半日で人生観変わるような事起こります!? うわーないぅわーマジないわぁ」
「……お前、実はやたらと喋るヤツなんだな」
「こんらに思ってること喋ったの人生初ですよ。だから全部答えてくらさい……ああもぉ。滑舌最悪」
 一真は大して倒れない背もたれを出来るだけ倒して天を仰ぐと、荒くなった息を整えた。
(弟と喧嘩した時だってこんなに感情的になったことない……めっちゃ疲れた……)
 見かねた和寿は、整理された綺麗な道を運転しながら、重たい口を開いた。
「……ああいうのぁ、俺にゃあ説明が出来ねぇ」
「でも、知ってはいるんですよね?」
「……知らない」
 重たい沈黙が度々起こる。思うように会話が出来ないことに歯がゆさを感じながら、一真は再び考えている事と同じ内容を口にする。
「あんな摩訶不思議な現象スルー出来るんですかー? 逆にヤバいですね。もしかして、大和さんも妖怪とか妖精とかそっち側ですか?」
「俺ぁ正真正銘人間だ!!」
 今度は間髪入れずに反応が来た。
「じゃあ、なんで教えてくれないんですか?」
「……俺ぁ配達員だ。配達先のお客様のプライバシーは詮索しないのが仕事だ。誰だろうと、なんだろうと」
 トラックは街の中心地へ向かっている。景色が移り変わるのを眺めながら、一真は途切れがちな和寿の言葉に耳を傾ける。
「旦那が……解通易堂が言っていたんだが……ああいうのは海外から渡ってくる奴らと同じで、俺らの生活に馴染もうと努力している……らしい。だから……そんな奴らの粗ぁ探すような真似はしたくねぇんだ」
「粗探し……ねぇ」
(流石に、今更外国人見ても物珍しくなくなってきたけど、そのテンションで妖怪見てもスルーしなきゃいけないって事なのか? 霊感が無いオレだって多分二度見する自信あるわ)
「はぁー……」
 感情が整理しきれないまま、一真の重たい溜息だけがトラックに木霊する。
「おい、そろそろ座席戻せ。最後の配達場所だ」
 一真が背もたれを戻して改めて景色を確認すると、そこは花街と呼ばれる商店街だった。開店前のビルが立ち並び、まだ明るいのに妖艶な雰囲気が広がっている。
「ふぁ……花街じゃないですか……こんな感じなんだ」
「……来るのは初めてか? 別に他の商店街と変わらねぇよ」
「それ、フォローですか?」
「……おう」
「……」
(大和さんって、無口で堅物そうな人だと思っていたけど、聞けばちゃんと答えてくれるし……いや、答えになってないけど、ちゃんと説明してくれるし、仕事の範囲じゃないのに、お客様から個別で荷物任されたり、返信手紙受け取ったり……良い人なんだよな)
 不貞腐れた感情を引っ込めて、一真は和寿に深く頭を下げた。
「さっきの、仕事も歳も忘れて感情的になってしまって、すみませんでした」
「……おう」
 目的地に辿り着き、トラックから二人が降りると、どこからともなく花の香りがした。
(うわっ! なんだこの甘ったるい匂い……うぅ、落ち着かないな、ここ)
 和寿の後ろに張り付きながら一棟のビルに向かう。インターホンを鳴らして待っていると、花の香りが一層濃くなった。
(この匂い、ここの店のなんだ。香水とかかな? ちょっと苦手だ)
 中から出てきたのは、至って普通の女性だった。黄色い生地にスパンコールをあしらった大胆なドレスを着ているが、何かが隠してあるような気配はない。一真がホッと息をつく。
『すみませぇん。まだ開店前なんですぅ』
「いえ、ヤマネコ運輸です。お荷物をお届けに参りました」
 手短に言って扉を閉めようとした女性に、大和は慣れた手つきで不快に思わせない程度に扉を支えた。ドラマ等で警察官が、閉められないように扉の間に足を入れる。以外の方法を目の当たりにした一真は、感心しながらその動きを覚えようと観察した。
「解通易堂から『おらん様』宛にお届けものです。ご在宅でしょうか?」
『なぁんだ。配達ぅ? ランちゃん呼ぶから、ちょっと待ってぇ』
 女性が扉をそのままにしてビルの中に姿を消す。暫くすると、幅の広いサイクロプスサングラスをかけた小柄な女性が、開けっ放しの扉からひょっこりと出てきた。
 玉虫色のレンズが細いバンダナの様に一枚で両目を覆い、これでは彼女がどこを見て話しをているのか分からない。
 それ以外の外見は最初に出てきた女性と似た雰囲気を纏っている。身の丈ほどありそうな長い髪を頭の高い位置で緩く束ねて、露出度の高い服は奇抜だが上品に着こなしている。
『はぁい。お待たせぇ』
「ヤマネコ運輸です。お仕事前に失礼します」
 和寿が一礼する。真似して一真も頭を下げながら、意識は彼女の眼鏡に釘付けになっていた。
(あれ、ゲームの中でしか見たことない『近未来型眼鏡』ってヤツだ。実際に着けてる人初めて見た。それに……)
 眼鏡以上に高級そうなアクセサリーを身に付け、少女の様な身の丈に大人の余裕をまとわせている。
(変な眼鏡が気になるけど、この人は……どっちだ!?)
 一真がゴクリと唾を飲み込む。和寿の方は相変わらず眉一つ動かさずに、視線を女性に合わせて最後の小包を渡した。
「おらん様でお間違いないですか?」
『そぉよぉ~。去年も来てくれたじゃなぁい?』
 おらんは口に手を当てて笑うと、一真の方に顔を向ける。視線が合っているかは定かではないが、一真が反射的に頭を下げると、にこやかに手を振ってきた。
(あ、なんか普通の人っぽい……)
 肩の力を抜いてもう一礼すると、おらんは華やかなネイルを気にすることもせずに、小包を開けようと止められているテープに爪を立てた。咄嗟に和寿が胸ポケットからカッターを取り出して、さり気なく小包を受け取る。
『あらぁ、気が利くようになったのねぇ。ありがとぉ』
「……はい、どうぞ」
 和寿が取り出した櫛を改めて受け取ったおらんは、櫛をよく見ようとサングラスより少し高い位置まで持ち上げ、じっくりと柄を見つめた。
『まあまぁ、今年は四君子の蒔絵なのねぇ。泉様、またお洒落な柄を選んでくれたじゃなぁい』
 おらんは嬉しそうに『去年は鶯と桜模様をいただいたのよぉ』などと雑談しながら、髪を留めていたヘアゴムをはらりと解いて、櫛で髪を梳かし始めた。
『泉様にも、ありがとぉって言っといてぇ~。お互い仕事でバレンタインとホワイトデーにあやかってやってることなんだけど、この櫛は長い髪をまとめるのに丁度いいのよぉ』
「はい。承りました」
 和寿と会話をしながら、おらんが機嫌よく櫛を使う。すると、偶然櫛に引っかかった前髪が横に流された。額のあたりにチラリと見えたつぶらな瞳に、油断していた一真が堪らず声を張り上げる。
「ひっ!」
「おまっ! 御池……!」
 和寿が睨みつけてきたが、おらんは特に気にすることなく、笑いながら一真に話しかけてきた。
『うふふふ。見えちゃったのぉ? 最初はびっくりするわよねぇ』
「ひ、一つ目さん……なんですか?」
『そぉよぉ~。元から一つ目の妖怪なのぉ』
 おらんはサイクロプスサングラスを外して睫毛の長い瞳が見える様に髪を上げる。単眼に慣れていない一真は表情を強張らせたが、おらんの瞳は軽やかに瞬いたり、ゆらりと流し目になったりと表情豊かに動いている。
『単眼っ子は初めてぇ? ここのお店は一つ目以外にも面白い子がいっぱい居るから、おにぃさんもこの人と一緒に遊びにきてねぇ』
「……ふぁい」
(やっべー……確定妖怪と話しちゃったぁ~……お店に誘われちゃったー……)
「……それでは、失礼します。おら、御池」
 頭が真っ白になっている一真を、和寿は慣れた手つきで引きずってトラックに押し込んだ。明るいと思っていた空はいつの間にか茜色に染まっていて、東の空は群青をにじませている。
「……おら。会社に戻んぞ」
「……」
 一真は大きなため息を吐いて、もう一度浅くしか倒れない背もたれを倒し、力なく声を出した。
「オレ……入社する前は、この仕事、結構合ってると思ってたんですけど、今日一気に自信失くしました」
「……そうか」
「そこはフォローしてください……今オレ凹んでいるんです。雪女と狐の嫁入りと一つ目小僧ならぬ一つ目美女と出会って情緒不安定なんです」
「……慣れろとしか言えねぇが……いや、お前はそれでいい」
「それ、どういう意味ですか?」
「御池が混乱したり、不思議に思ったり、怖いと思うことは悪いことじゃねぇ。人間だって信じきれねえ世の中だ。だから、御池は今のままでいい」
 和寿は手際よくエンジンをかけて花街の出口に向かう。トラックは夜に向かって走っている。のどかだった景色はネオン街に変わり、風が強いのか、トラックの中からも吹き荒んでいる音が聞こえる。
「ただ……さっきも言ったが、俺たちは配達人だ。お客様のプライベートは詮索しない。これだけ覚えとけ」
「……ハイ」
(慣れることは、あるんだろうか……海外の人を珍しく感じなくなったように……オレにも、妖怪とか妖精とかをスルー出来るんだろうか)
 一真の心は複雑なまま、空っぽの紙袋に目をやる。姿形は違えども、小包を受け取った彼女たちが確かに笑っていたことを思い出し、なんとも言えない、くすぐったい気持ちになっていた。


 疎らに明かりが灯る雑居ビルを見上げると、僅かに星が視認できる。
 和寿は自分のバイクで解通易堂までたどり着くと、ヘルメットを外して空を見上げた。特に何かを探している様子ではなく、直ぐに前を向いて、ヘルメットを持ったまま解通易堂の裏口へ向かった。
備え付けのポストに、ポケットから取り出した手紙を入れるより早く、裏口の扉が開かれる。
「……お帰りなさい。と、言うのは……些か不自然ですね」
 中から現れた泉は開店中に来ていた派手な衣装ではなく、今はサルエルパンツに袖広の長袖を身につけていた。髪も普段より高い位置でラフに結んでいて、眼鏡はかけていない。
「『いささか』どころじゃねぇ。今日はコイツを届けに来ただけだ。明日も仕事だから泊まったりしねぇよ」
 和寿はぶっきらぼうに、れんげから受け取った手紙を泉に押し付けて、直ぐに踵を返した。泉は真っ白な封筒を一瞥した後、和寿の背中に向かって微笑んだ。
「貴方は、どなたかに……お返しを、されましたか?」
「ああ?」
 反射的に振り返った和寿に、泉は「いえ……」と手を振って問いかけを無かった事にした。眼鏡越しではない彼の笑顔に、和寿は無言で眉間に皺を寄せて嫌がる。
「ふふ……では、お休みなさい」
「……」
 和寿はヘルメットで完全に泉を遮断して、狭くなった視界で解通易堂を見上げた。閉店した店の外装は、実は昼とそこまで印象が変わらない。
「……あっ!」
 ふと、以前、解通易堂の店の入口でチョコを渡してきた少女を思い出し、自分が世間のイベントに参加していたことに気づく。
 バイクを走らせながら一ヶ月前の記憶を辿るが、彼はそもそも人の顔を覚えるのを苦手としていた。
「……確か……ちっさくて、モコモコの……」
 帰宅するまでの間、仔猫の様な存在を思い出せるか粘ったが、結局分からず仕舞いだったのは言うまでもない。

【完】


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