河﨑秋子『ともぐい』感想

今年の1月に直木賞を取った、河﨑秋子『ともぐい』を読んだ。


 主人公は猟師であり、北海道の雪深い山の中で、ほかの人との関わりをほとんど断って、暮らしている。獲物を見つけ狙い、仕留めて、解体して食し毛皮などに利用するまでの過程が生々しく描かれる。
 時に生しさから、読むのが大変だった個所も正直あるが、取材をたくさん行ったのだろうと思う。
(※後に、『オール読物』2024年3・4月号の第170回直木賞特集を読んで間違いに気がつきました。河﨑秋子氏は実家が酪農家で、羊飼いをしていたこともあるという経験が小説に生かされているとありました。)

タイトルの意味について

 小説の途中で、猟師は山に君臨する熊、赤毛との死闘に挑んでいくようになるのだが、それをなぞらえて『ともぐい』の題をつけているのかと思った。
そのぐらい、主人公の生活は世間の人々と隔絶しており、ものの考え方にもそれは表れていて、彼が狩る獣たちの方へ近づこうとしているかのようだと思った。
 だがその辺りから、他の登場人物も含めて、人間と獣の境目が曖昧になっていく。
 山に生きる主人公だけではない、彼が関わる商店の主人やその妻も、人間として社会の中で生きているようで、いつの間にか、世の流れや道徳から、脱落していた。
 そして、邪気のないように思えた盲目の少女も人間の理から脱落したところにいる獣として、主人公と食らい合う。

 人間もまた獣であるのだと感じた。


※2024年3月12日 追記
『オール読物』2024年3・4月号を読んだ。第170回直木賞の選評と、受賞者の河﨑秋子、万城目学両氏の自伝とダブル対談が載っている。
河﨑秋子氏は実家が酪農家で、自身も羊飼いをしていたという。
『ともぐい』を読んだときは、執筆のために動物の生態や解体方法の取材を行ったのだろうと思ったが、自らの経験が生きたらしく、意外だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?