配信で見た映画『ある男』感想

Amazon PrimeVideo で映画『ある男』を見た。

自分でない誰かになってみたい。

  私は比較的そう思っているし、自分でも自覚がある。例えばSNSでは本名を出したくない。仲の良い友人はいいけど、会社の、特に仲良くもない先輩とかに見つかっても微妙だし……というくだらない理由だけど。
 今の自分が不幸に見舞われているわけでもなく、大きな不満も不幸もないけれど、本名を出すのが苦手だ。コンプレックスが強いんだろう。
 
 こんなことを考えているから、『ある男』のストーリーには興味をそそられていた。亡くなった夫が別の人だった。では、夫は、本当は何者なのか? というのを、里枝に依頼された弁護士の城戸が追っていく。
 弁護士として依頼者から信頼され、都会で裕福な生活をしていて、美しい妻と子供がいる城戸にも、出自にまつわる細かな差別はあり、ある男を追う仕事にのめり込んでいく。
 終盤近く、明確な不幸が一つ起こることで、改めて孤独感を覚えたのだろう。ラストのバーの会話は、「別の人生を生きたい」という願望が口をついて出たのだと思う。
 作中には戸籍交換の仲介を行う小見浦という男が出てきて、城戸を翻弄するのだが、小見浦自身も出自に劣等感を抱えていたのでないかと想像してしまった。城戸を煽るにしても、異常にこだわっている風に見えるのだ。ストーリーには関わりなさそうだが、彼の話す「300年生きている男」の話が気になった。続きを聞きたい。
 本物の谷口大祐についての描写は少なく、平凡な人間に見える。だが、彼の兄は、押しが強くて思い込みが激しい人間に見える。兄の存在を含めた家庭環境が穏やかなものではなかったのかもしれない。

 別の人間に入れ替わる、という大胆な題材だが、城戸のような一見幸せそうな人の中にもそういう願望はあり、その心の揺らぎが印象に残った。
作中の、死刑囚の絵画展と、作中人物の感想も興味深く、一度見てみたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?