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給食のこと

学校といえば給食。
自分は幼稚園の時は母が作ってくれたお弁当だったが、小学校に入学してからは給食だった。

自分が小学校に入学した時は、新校舎を立ててはいたが、まだ木造校舎が残っている時代。朧げながらに覚えているのは、アルマイトの食器に先生がポットかやかんかわからないような入れ物から何かを注いでいたこと。味は全く覚えていないが、あれが脱脂粉乳だったのかも知れない。主食は食パン2枚。欠席した友だちには、わらばん紙に包んだ食パンを届けていた。
覚えているのは高学年になってから、牛乳ビンの紙の蓋をたくさん集めて、メンコ遊びをしたこと。当時の暖房はだるまストーブで、その上にのった小さなタライのような水の入った容器に牛乳瓶を入れてホットミルクにしていた。
給食費はもちろん集金袋での集金。いくらだったのだろう。記憶にない。

中学校は給食だったのだろうが、給食の思い出は全くない。というよりは、ヤンチャな奴らとイタズラすることが一番楽しくて、それ以外のことは記憶にないというのが正しいかもしれない。

この仕事に就いて2番めに勤務した中高一貫校では、給食とは呼ばず会食と呼ばれていた。教室で食べるのではなく、食堂(じきどう)というところに全校生徒と職員が集まって食べていた。給食当番ではなく配膳当番が順番に回ってくる。当番の時には、約1時間かけて、約1500食程度をテーブルに並べていく。テーブルにひとつずつの炊飯ジャーからしゃもじでご飯をよそって食べた。人生ではじめて食べるようなメニューもあった。銀ダラの梅煮やかぼちゃの小豆煮など、和風のものが多かった。残すということはあり得ないという感じだった。

現在の県の中学校に赴任してからの給食は、ご飯給食。4時間目頃になると、空きっ腹に給食のいい匂いがたまらない。その日のメニューの盛り付け方がケースに展示されると、誰かが食べてしまうとか、配膳できるように分けられた入れ物からとれるものを失敬して食べてしまう不届き者も少なくなかった。
当時の調理員さんは学校の職員だったのだが、そのうち外部委託になるところも。現在勤務している市では、約20年前には外部委託になった。そのことで、何となく味が変わってしまったように思う。

15年前に勤務していた中学校は、生徒減で東日本大震災の年に廃校になってしまったのだが、ここでは生徒数が少なかったことと、生徒たちが結構大きな畑でいろいろな野菜を作っていたこともあったのだろうが、市が決めたメニューの他に一品つけてくれたりした。

前任校はセンター給食。出来たての温かさがあまり感じられないのが寂しかった。鬼怒川が決壊したとき、センターに浸水して、おにぎりの給食になったこともあった。

市町村によって給食の味には差がある。自分が勤務してきた学校の中では、現任校の味が一番だ。

生徒に最も人気があるメニューは揚げパン。味噌ラーメンもおかわりは争奪戦。大きな唐揚げにブロッコリーとベーコンのガーリックソテーもせいとは大好きだ。

昔のように残さないで食べなさいという指導はない。食べられないものがあれば残せば良いし、食べられる者にあげれば良い。その割には、給食指導という。担任教員にとっては昼食は業務の一部なのである。

生徒の様子を見るには早く食べ終わる必要がある。そこにきて、育ち盛りの中学生の昼食だからカロリーは高い。毎日の給食を残さずに食べていれば、当然のように体重は増える。最近は、女性の先生の中には生徒と同じよう、食べられない物はよけたり残したりする方もいる。食事なのだから強制されるべきものではない。

長い休みになると、給食がないので、自然と食費が嵩む。面倒なので昼食を抜いてしまうこともある。
給食はリーズナブルで栄養バランスが良く毎日違ったメニューが食べられる贅沢な食事なのである。

中学生も卒業すればわかる時が来るだろう。

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