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38.コンサル時代のはなし(充実編前編)

コンサル時代は充実感のあった案件3件と、理不尽な自治体の介入があってコンサルの限界を感じた案件と、トラブル対応に追われ退職を決意するきっかけになった案件のはなしをします。

まちづくりのコンサルタントは、小さな会社だったこともあり、比較的自分が考えたことを実践できる会社でした。
充実感を得られた3件は、いずれもエンドユーザーである関係者の方々から多くの感謝の言葉をいただき、仕事の成果をはっきり感じることができたからでした。

1件目は「あんしん歩行エリア」というプロジェクトでのはなしです。
札幌市のとある地区で、通学時に信号渋滞が発生し、ヒヤリとする場面が多々あるのをなんとかしてほしいと地域から要望が出ていました。

現地調査を行い、綿密にデータをとった上で、新たな信号のアルゴリズム(信号が変わるタイミング)を提案したところ、地域の警察を通じて北海道警の本庁を動かし、信号のアルゴリズムを変更し、信号渋滞を解消することができました。


2件目は「NPO法人十勝エネルギーネットワーク」でのはなしです。
地方再生の取り組みとして国が行っていた『都市再生モデル調査』に、札幌出身の女子学生Sさんが書いた企画書が通り予算が降りました。

帯広の屋台村からでる食用油を回収し、リサイクルに取り組む活動を通じて、十勝を盛り上げようと言うものでした。

しかし、実際にその企画を実行に移すにはSさんの力だけでは難しいので手伝ってあげてほしいと、北海道庁から依頼を受けたことで始まったプロジェクトでした。

環境の知識があるということで僕が担当になり、帯広市や十勝地方の企業を巻き込み、何度となく会合を開き、国に報告書を提出しました。

しかし、残念なことに都市再生モデル調査は単年度事業であり、せっかく様々な地元企業の方々に集まっていただいていろいろと話し合ってもらったのに、報告書作成のためだけに集まってもらった形で終わる可能性がありました。
それではもったいないと思い、任意団体として活動を続けていました。

ただ、そうなると活動資金が必要になります。
国からのお金はもう入らないため、助成金を獲得しに行きます。
ところが、任意団体では信用性が低く国や北海道の助成金事業にことごとく審査で落とされて悔しい思いをしました。

そこで、主要なメンバーの方々に了承をいただいた上で、『NPO法人十勝エネルギーネットワーク』を立ち上げました。
NPOの立ち上げに際しては、「NPOの立ち上げにはこの人に聞け」と言われるTさんの元に足しげく通い、何度となく定款を書き直した結果、無事一発で申請が通りました。

NPO法人になるとやはり国や北海道の扱いは変わり、以降様々な助成金を得ながら活動を拡げることができました。

スクリーンショット (153)

スクリーンショット (152) - コピー

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NPO法人の中心的存在として活躍いただいたS社のT社長は、国からの助成金も得て、とある町になたね油の製油と、BDF精製のプラントを建設されました。

豊頃工場

おそらく、今も国内最大級のプラントではないかと思います。

T社長とは前職を退職してからもお付き合いさせていただいています。
退職を報告した時に、
「僕は会社と付き合っていたわけではなく、内藤さん個人と付き合っていたので、退職されても関係は変わらないですよ」
そうおっしゃっていただけました。

退職後は一緒に何度も勝毎花火大会を観覧させていただきましたし、素敵なご自宅に何度も泊めていただいています。

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ご夫婦で我が家に泊まっていただいたこともありました。

新しいことにどんどんチャレンジし、今もアグレッシブに動き続けているTさんは、僕が尊敬する人の一人です。


出会いは人生の宝物です。

(つづく)



次のはなし
39.コンサル時代のはなし(充実編後編)
https://note.com/totoro0129/n/ne120b1016478


<0.プロローグと目次>
https://note.com/totoro0129/n/n02a6e2bda09f

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