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33.ニート時代のはなし(NZの旅序章)

ニート時代に様々なところを旅しましたが、これから書くニュージーランドの旅は他のものと全く目的が違いました。

他の旅行は必ず行き先のどこかに知り合いがいて、その人に会いに行くのを目的の一つとしていました。
メーカー時代に希薄になってしまった関係を取り戻すための旅でした。

ニュージーランドはこの時初めて訪ねる場所だったので、誰かに会いに行く旅ではありませんでした。

目的は2つありました。

1つは、日本語が通じない場所に一人で行き、度胸をつけること。

もう1つは、ある人との出会いがきっかけで行きたかったニュージーランドに行き、その人との約束を守ることでした。


時は1999年3月まで遡ります。
僕は新千歳空港発-伊丹空港行の飛行機に乗っていました。
大学院を卒業し、実家に帰る途中でした。

隣の席には国内線では珍しく外国人が座っていました。
「Nice to meet you . Are you traveling now ?」と話しかけると、「はい、京都に行くところです。」と流暢な日本語で答えてくれました。
彼の名はDancan Knight(ダンケン ナイト)。
偶然にも僕と苗字が似ているニュージーランド人でした。

彼は苫小牧の高校で英語教師をしていて(日本滞在はこの時点であと2年)、春休みを利用して京都に旅行に出かけるとのことでした。
これから京都を訪れる彼に京都情報を紹介するとともに、もう離れてしまう大好きな北海道の話もしました。
すると、彼は僕にニュージーランドに行くべきだと言いました。
自然が大好きな僕が行けば必ず楽しめるはずだと。
そして、登山を趣味としている彼は、エベレストに世界で最初に登頂した人物が実はニュージーランド人であることなどを教えてくれました。

伊丹空港に着き別れようとする時に、彼は僕を呼び止め財布から5$札を取り出してプレゼントしてくれました。
5$札には機内で話してくれたエベレストの初登頂者エドモント・ヒラリー郷の肖像画が描かれていました。
さらに、彼はおもむろに紙を取り出し何か書き始めました。
手渡された紙には彼の日本の住所と電話番号と共に、メッセージが添えてありました。

 ”いつかぜったいニュージーランドに行ってください”

「はい、必ず行きます!行くときは連絡しますね!」

しかし、メーカーにいる間にまとまった休みは取れず、残念ながら彼の任期中にニュージーランドに行くことはできませんでした。

そして鹿児島のプロジェクトの担当になり、仕事に忙殺されるうちにニュージーランドへの想いは忘れ去っていました。


メーカーを辞める直前、2003年5月にオカンを連れて北海道旅行をしました。
美瑛のペンション『美瑛ポテトの丘』で神戸出身のOさんに会いました。
彼女は時々北海道でファームステイに来ているけど、いずれはニュージーランドでファームステイしたいとおっしゃっていました。

その時、4年前のDuncanさんとの出会いが蘇ってきました。
『そうだ、あの時僕はニュージーランドに行こうと思っていたんだ!』


2003年5月の末、鹿児島のプロジェクトを終えて関西に戻ってきた際に、実家に置いたままになっていた僕の荷物を調べてみると、Duncanさんのメモと5$札が出てきました。

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2003年7月末に会社を辞めて完全に自由になった僕は、いつでもニュージーランドに行くことができました。
しかし、どうせ行くなら一番良い時期に行きたかったので、大自然を一番満喫できそうな夏、つまり、日本が真冬の時に行くことにしました。

そして2005年2月6日の午前10時頃、大いなる期待を胸に僕はニュージーランドへと旅立ちました。

『Duncanさん、これからあなたの国に伺いますよ!』

(つづく)


次のはなし

34.ニート時代のはなし(NZの旅 景色編)
https://note.com/totoro0129/n/n02081cf2f69b/edit


<0.プロローグと目次>
https://note.com/totoro0129/n/n02a6e2bda09f

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