見出し画像

37.ニート時代が終わるときのはなし

2003年7月末にメーカーを辞めましたが、使う暇がなかった貯金は1,000万円を越えていました。
しかし、1年半にわたって旅行やお好み焼きパーティーを好き放題やり、研究室の後輩やバスケサークルの後輩におごるなどしているうちに、2004年の年末には貯金額が半分くらいになっていました。
そろそろ働かないといけないなと思って、ネットで求人を調べ始めていました。

メーカーに勤めた時のように、この仕事がしたいというこだわりはもうなく、札幌で働けるならどんな職種でもいいと思っていました。

ただ、自分が正しいと思うことを正々堂々と言える会社、エンドユーザーであるお客様のために誠意を尽くせる会社、かつ、それを評価してもらえる会社で仕事がしたいと思っていまいた。

鹿児島のプロジェクトでは、自分が正しいと思うことを予算や工期を理由に貫くことができませんでしたし、そもそも正しいと確信が持てないまま仕事を進めなければならないことが少なくありませんでした。
もちろん、僕の知識不足、技量不足、経験不足が最大の原因だったと思いますが、会社組織の壁に阻まれたことも何度となくありました。

自分が行った仕事で人を幸せにしたり、社会に貢献できていると実感できず、「自分は何のために働いているんだろう」と、疑問を持つような仕事はもう二度としたくないと思っていました。

そんな時、とある人との出会いがありました。

北大衛生工学科の同期が学会で札幌に来ていて、その同期から飲み会の誘いを受けました。
どうせならと思って札幌近郊にいる同期みんなに声をかけ、プチ同期会を行いました。
その中に、人づてで聞いて参加してくれたAさんがいました。

そのAさんに
「内藤君も学会で札幌に来たの?」
「いいや、違うよ。札幌に住んでるんだよ」
「へぇー、そうなんだ。で、今何してるの?」
「何もしてないよ」
「またー、ほんとのこと言ってよ」
「いや、マジでなにもしてないよ」
そう言って、これまでの経緯を話すと
「それなら仕事手伝って欲しいな。明日ボスに確認して連絡する」

そんな経緯で2005年2月頃からバイトとして、5月から正社員として働き始めました。
その会社はまちづくりのコンサルタントをする会社でした。
業務内容をすごく簡単に説明するならば、役所と住民が揉めている事案を、第三者の立場で入ってまるくおさめる仕事です。

1つめの会社は、正社員が1万人以上もいる大会社でしたが、2つめの会社は僕や社長を含めて正社員が5人の小さな会社でした。
畑違いの職種だし、不安な要素がなかった訳ではありませんが、これも縁だし、小さい会社であれば、自分が正しいと思ったことを貫きやすいだろうと思いました。

ただ、2つめの会社はメーカーよりも短いわずか2年3カ月で辞めることになります。
最後はある業務上のトラブルから、社長や僕を誘ってくれたAさんと言い合いになって辞めました。
それも含めた2つめの会社での経験は、これより後のはなしで。

(つづく)


次のはなし

38.コンサル時代のはなし(充実編前編)
https://note.com/totoro0129/n/n7ba8c4f5a205


<0.プロローグと目次>
https://note.com/totoro0129/n/n02a6e2bda09f

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?