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共依存からくる虚しさ

私は共依存になりやすい体質みたいです
生まれた時から親が居なくて叔母夫婦に育てられました
だからか周りの顔色を伺って生きて来ました
特に叔母の顔色は毎日来にしていました

後に本人から聞いたことですが、叔母は人の言うことを効いた事が
ないそうです
それは一度も?と聞いたらそうだと言っていました
そう言えば、それなりの人からの助言も下を向いていただけで
ハイとは言っていませんでした

事が過ぎたら何事も無かったことで平気な顔で過ごしていました
あんまり普通に人のことを無視するので、これが普通の生き方と
勘違いしてしまいました
そんな叔母に育てられたからか、叔母の言いなりの子供に育ちました
自分の欲望は抑えて、叔母の笑顔を見るためだけにおべんちゃらも
言っていたと思います

また、私は感のよい子でした
今もそうですが、アンテナがいっぱいある子どもでしたから
叔母がなにがしたいのか分かってしまうから先回りをして波風を
たたないようにして生活していました

それは、他の人達へも同じことをしていました
だから、気の利く子だと思われました
本当は「わー」って騒ぎたいときも有っただろうが、それを
抑えて何もないふりして生きてきました

人生の大半を叔母に費やしたと思います
ガチガチの共依存であり、搾取される子だったのです
一時、私は「金の卵生む鶏」と言っていたときがあります
何気なく言った言葉ですが、本当は搾取されていることに気がついて
居なかったのです

祖父の遺産が入った時は、叔母と私で相続しました
うん千万円とのお金です
それを何だかんだと言いながら数年で全部使い果たしてしまいました
まあ、育ててくれたのだから良いと思っていましたが・・・

後々考えたら、馬鹿な行為だと思いました
私が私の分だけでも管理していたら、老後をそんなに苦労しなくても
良いと思いました
叔母は自分のお金も人のお金もわからない人でした
目の前にあったら、全部自分のもの勘違いする人でした
だから、組合のお金も手を出しましたし、税金分も使いました
バカの極みだと思います

そんな人との関係も切れることもなく、本当は離れたほうが
良いのでしたが、離れようとすると叔母はしがみつくのです
その時言った言葉が「私の生活はどうしてくれるの」でした
私の人生など考えていませんでした

私の考えでは育ての親だからと言っても子供の将来を考えるのが
普通だと思っていましたから、この人は駄目な人なんだと思いました
思って、何も出来なかったそのまま共依存にどっぷりハマっていました
自分の人生だもの何よりも大切にしなければいけないのに私はわたし自身の
手で握りつぶしてしまったのです

今は後悔ですね

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