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세월

だいぶ前に観た、5月末。
感想を書かないという流す行為を許せず、今かいている

当パンで、下島さんのマインドがありありと書かれていた。
それがもう、「答え」だなと感じた。
相当酷い中傷的な感想をもらっていたんだろうと思っている。
そんな、硬く、固く、堅く、ならなくて良いのに。
そうしないと、やられる位の言葉をかけられているのかと思った。
だからか、引きずりやすい私は覚悟ができてよかった、かな。

物語は、返し縫いのように進んでいく。
途中時間の流れが合わない感覚がありどこにいるかわからなくなった部分がありつつ、進むにつれて事態が悪化していく。

生命の危機を感じる時は本能的に、身体を求めることを歴史から学んでいたので、少し目を細めてみていた部分があった。そういう描写はありありとは無く、彼らが子供だという純粋さに観客として助けられたのかもしれない。助けられたってなに?と思いながら、。

てんぷく と ちんぼつ という言葉
それに天の声 
声というものが、効果としてかなり使われていた。
元を辿る原点は、息、息遣いか、それも印象的。

最後,どうするのだろうか、と思っていたら、
木箱?が棺桶になり、やられた。という心が潰される気持ち。
やられたと思って良いのかわからないけど、演出に落とされた。
そして、余韻。

ダンスを極めた人があまりおらず、下島さんだけやはり抜けてた。でもそれが、題材における登場人物として相応しかったのでよかった。

みたあと、これを事件があった国にて上演は大丈夫なのだろうか、トラウマを呼び起こしたりしないだろうかと考えてしまった。メッセージ性が強くあるわけでもなく、事実に即して、事件を流していくのは大丈夫だろうか,と。北海道で似たような嫌な事件が起こりましたが、その事件を題材に創られて私がみたら、たぶんその事件を起こした彼らを忘れるまで憎み続ける。他国で、知らない事件であったから事実だけを抽出して許せてる部分がある。その事件を自国の人間は忘れるわけがないのだから、なにが言いたかったのかと見えない何かと観客は戦う。だからこその同時代性なのは理解している。

絵画でいう写実派なのかな。

救えた命を見捨てた罪は重いし、許せないことではあるけど、人間は次に進まなければならない。永遠に同じことを繰り返すことだけは避けなければならない。その上でどうすべきかを考える。
再現の先を行ってほしい。作品にする上で彼•彼女を愛し、救ってほしい。わたしはそれを下島さんに求めてしまう。表現方法はとりあえず置いといて中身にて。彼•彼女らというのは子供たちだけではなく船の人も当事者全員、救ってほしい。救うといっても、あなたは大丈夫とかそう言うことじゃなくて、下島さんが思う救い。でも、救いという文字が見えなかった。

当パン読んで、アンケート書こうと思って書いて帰った。
下島さんを救いたくなったから。
何を書いたかはほとんど忘れてしまったけれど、目的はそこだった。
この文章もそういう気持ちで書いている。

賛否両論があっていいし、あってほしいとケダゴロ自身が言っているけど、白黒ってそんな強調するものなのかな。是非、ね。
わたしは、白も黒も言わない。なるべく、してほしいようなことも言わない。今回、強めにしてほしいと言ってしまっているが、ダメと言っているわけではない。そういう作品見られたら何かの扉が開くきっかけが生まれる気がしているから言った。
結構きついこと思っているけど、言いづらいから言うのやめよう。とならないように、賛否なんでも受け止めます!と言ってるなら、観る側が進む先はそこではないとはっきり言う。賛否させることは、私はあまり前向きではない。観客が思うのも言うのも自由でどんどん発信したら良いと思うし、さまざまな感想や作品をみて、自分の思考傾向を知ることが観客が歩むべき方向な気がしています。硬い頭になること、創り手へ要求することがないために。

ながーーくなった。でもひとつこなしたぞ!!!

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