「ねえ、本当にそれでいいの?」この問いに心が揺らいだら、、、

45歳からの「これでいいのかな?」を「これが面白い!」に整える、スキップコーチのみさです。

「ねえ、本当にそれでいいの?」

友達から言われてドキッとしました。

こんなのを直球でドストレートに言われると、私はドキドキします。

「え?やっぱり駄目だよね。そう見えるよね。」

私、間違ってるんだ、だって、何やっても家族は「ありがとう」なんて言わないし、それどころかバカにするようなことを言ったりするし。現状がいいとは思えないんだよね。

人から強く言われるとドキドキして途端に不安になります。だって、「はい、これでいいんです」って言えるだけの正しい答えを持ってないから。そう言われてみれば、「なんかうまくいかないなあ」とどこかで思ってるから。

「強く反論できる正しい答えが欲しい。」

ずっとそう思ってました。だから、私は詰めが甘いんだ。答えさえしっかり持ってたら、涼しい顔で反論できるのに。

そう、相手から「ダメな人ね」なんて思われたくなかった。だって、それって低く見られてることだし。なめられたりしたくない。ちゃんとした人だと一目置かれたい。

今日のテーマはこれ
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相手にどう思われるかがそんなに気になるのはどうしてなん?
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これは前の私のことなんですが、「正しい答えがほしい!」と拠り所になるようなものが欲しかったです。それがあれば、自信がつくのに。(水戸黄門さまの印籠みたいに!頭が高い!控えおろう!!って見せられるのに)

で、正しい答えを探してました。先輩とかスゴイ人とかセミナー講師とかね。でも、これだろう、って見つけてもやっても私にはとてもできなかったり、ちょっと違ったり。で、他の人に別のこと言われたり。そうしたら、そっちが気になったり。

例えばだけど
「子供にはのびのび」「子供のしつけはしっかり」
「食事は楽しく」「栄養のために好き嫌いなくいろいろなものを食べよう」
「家事はしっかり」「仕事もバリバリ」
こういうちょっとどちらもすみずみまで完璧にできないようなことに折り合いをつけるのが苦手でした。

だからこそ、正しい答えが欲しかった。

でも、今思うのは「正しい答えが必要だったんじゃなくて、みんなに良く思われたかったんだなあ」ということ。

これ、つまりは「非難されたくない」でした。

人から良く思われたい、非難されたくない、そんな気持ちが強かったんですね。気づいてませんでしたけど。

だから、ネットの掲示板で「こんなことされました」と相談事をして、「それはひどい。あなたは悪くない」と答えてもらう、そんな相談者に「だよね、ひどいよね」と共感してました。(自分では出さないで読む専門でしたけど)

でも、人の数だけ答えはあるし、その人の状況(環境や条件だって違うわけです。)で変わるもんです。

なによりも

「私を良いと思いなさい」

究極こんな願いを持ってたら、それは相当難易度が高い願いです。人を思い通りに動かすことはできないのですから。

そして、「正しい答え」というよりは「誰からも良いと思ってもらえる答え」が欲しかった私。

根っこにあるのは「誰かから認めてもらいたい」でした。

「あの人がいいと思ってくれる私だからOK」みたいに。

いいんですよね、自分で自分にOK出しても。

「ねえ、本当にそれでいいの?」

って、言われても

「今の私はそれがいいんだ」

って。

正しい理由がなくても自分がいいと思ったらOK。

その方がラクじゃない?

「本当にそれでいいのね?」と言われて、もし穏やかにいられない、ならば、少し話してみませんか。

そんな考え方もあります。

お読みいただきありがとうございます。



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