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水になる

コンセプトが進化して、胡蝶蘭ではなくなった。自由について考えていたら、ふと、「水になりたい」と思ったのだ。そこに至るまでの思考の過程を少し説明したい。

昔、とあるブランドに出会ったのが切っ掛けで、中央アジアの柄を好きになった。
ダマスク柄、アラベスク模様、ペイズリー柄、オリエンタル柄、バティック柄……個性の強い柄を都会的な雰囲気に仕上げ、服もアクセサリーもアシメントリーなデザインを得意としていた。当時の私には新鮮で、アクセサリーって左右対称じゃなくてもいいんだ!と衝撃だった。その辺りの文化にも歴史にも明るくなかったのもあり、それらの柄やバランスから感じていたのは「自由」だった。

最近の私は、「好き」が分からなくなっている。
上記のデザインを見ると、過去の「私が好きだったもの履歴」を参照に「ピコピコピコ…チーン!これは、私の好きな物です!」とAIが提案してくるような判定の仕方をしていた。頭では好きな物だ、と判断するから手を伸ばすけど、心の温度は上がらない。もちろん今も嫌いではない。だが、これらはあくまでも、「昔大好きだった物」なのだ。


去年の夏、古着屋で抽象的な花柄のブラウスに出会い、クッションカバーにリメイクした。言われなければ『花』と分からないくらいの抽象的な描き方に心地良さを感じた。そのクッションを眺めていて、私は柄に自由を求めてるのだと気がついた。

過去に好きだった柄と、その理由。今求めてる、自由さ。ぼんやりと自由について考えていたら、出て来たのが「水になりたい」だった。

とても抽象的だけど、良いなと思った。

どんな形にも変形自在、臨機応変に生きられそう。でも、雨垂れは石をも穿つ。そうだ、そんな柔軟で、ときに我慢強くいられる生き方をしてみたい。

一旦コンセプトを水に定めて、制服を探してみよう。そう決めたのは6月の始めだった。自問自答ファッションで推奨されている夏服探しにはだいぶ遅れをとっているが、ぼんやりと「こんな服が着てみたいかも…」というイメージはあった。バレンシアガでタイヤになれるスニーカーを試着したときのことだ。




スニーカーを履いてみるとあまりにも私の服とあってなかったので、「このスニーカーを主役にするならどんなコーディネートがありますか?」とお勧めを聞き、全身試着させて頂いた。白いTシャツに黒いプリーツスカート。白いTシャツを着た瞬間、「シュウウエムラの赤リップが映えるのはこの白Tシャツだ!」と思い、急いでガッツリ塗った。鮮やかな赤な色が服とケンカするので、いつもはコーラスピンクのリップの内側に隠し色として塗っていた。外でガッツリ塗るのは初めてだ。

試着室から出て、明るい鏡の前で全身を見ると、初めて会う私がいた。ゴツいスニーカー、黒いプリーツスカート、白いTシャツ、真っ赤な口紅。口紅がなかったら全身の良さが半減するほど、よく映えていた。

それ以来、「赤リップをガッツリ塗れる服が着たい」と思い続けていた。兎にも角にもリップに服を合わせたい。隠し色的な使い方も気に入ってるけど、もっと堂々と塗りたい。そんな体験があり、スタイリングの主役をシュウの赤リップにしたいと思っていたのだ。

試着旅のテーマが決まった。

「水」というイメージを抱きつつ、シュウの赤リップを主役にした服装。トップスは、おそらく白。ボトムスはとにかく色々履いて、視野を広く持つ。

この店にはなさそうだ、と思っても、店員さんに声を掛けて相談していった。「変なことを言うようなんですが、水をイメージした服を探しています。水が煌めく様子とか、水が落ちるような滑らかさを表現出来るような服はありますか?」伝わるだろうか。毎回不安になりながら唱えていたが、どの店員さんも理解を示して探してくれた。中には「水」ということから色を連想して水色〜青を提案する方もいて、求めているのはあくまでも質感であって、色ではないのだなと、提案によって自分の求めているのが明確になったりもした。


結果、ネットで検索して目星をつけ、二度ずつ試着して、夏の制服を手に入れることが出来た。黒の変形プリーツスカートと、白いTシャツだ。スカートは水が落ちる様に思え、Tシャツは煌めく箔が、窓についた雨、あるいは水面の輝きに見えた。

あきやさんの教え通り、上下を同時に購入しようと、買ったその場でスカートを履いてTシャツを買いに行った。

Tシャツは、高かった。
カジュアルなTシャツに重きを置いたことのない人生だったので、見つけたときから何度も「本当に買うの?」と、自分に問うた。私の今の収入は、不安定で、少ない。鏡の中の自分を睨むように見据えた。試着室から出て行くと、店員さんが思わず、といった具合に、「ああ、…お似合いですね…。」と言ってくれた。溢れ落ちるような言い方だったのが、印象に残った。

私に似合っては……いる?
スカートには、とても合っている。
心が上がるほどの温度は、ない。

ここまでたくさんのTシャツを着て来た。厚み、首の詰まり、袖丈、着丈、全てが理想通りの物が見つかっても、何か違うと諦めた物もある。このTシャツは、心はまだ動かないけれど、少なくとも「違う」とは思っていない。一番心の扉をノックされている。

私は「水」になるのだ。
臨機応変に動き、柔軟に生きられる人になりたい。
「水」になることで見える世界を知りたい。
今のステージから抜け出して、心の温度が上がるほどの服に会うためにこの服を着よう。水になる覚悟をこの服に込めよう。キュッと唇を結び、購入の覚悟を決めた。

会計時、心臓がバクバクしてる私とは裏腹に、店員さんはとても嬉しそうだった。「お似合いになる方に迎えて頂けて、嬉しいです!」心からブランドを愛しているのだと伝わって来て、褒め言葉を素直に受け取れたし、素直に受け取れている自分が嬉しかった。


その後、夏の制服で百貨店を回って、さっそく選び抜いた制服の威力を実感している。
店員さんの目の輝きが、今までと全く違うのだ。ギラギラした目つきで「なんとしてでもお似合いのものを見つけて参ります!!」という気合で接客され、奥からもどんどん持って来てくれる。もちろん、普通に接するお店もある。だが、心なしか態度が柔和だ。態度が全身で微笑んでいる感じがする。そして、嵌る店員さんと出会ったときのテンションが、凄い。

この格好は、世間一般的に「正解」なのだろう。そういえば、昔はこんな接客されたこともあったな…「ファッション」的な服を選ぶ気力がなく「衣類」を選んでたときにはされなかった。
嬉しい反面、複雑な気持ちになった。服を上下変えただけで、私自身は何も変わっていないのに。

私はどこまで外見で人を判断しているのだろう。どのように接しているのだろう。無意識に態度に出し、さらにそれにすら気づいていないのではないだろうか。目を逸らさずに、考え、せめて自覚的でいたいと思った。

そして、自問自答ファッションを通じて出会った方々は、私がどんな格好でも、皆親切で、優しく、温かく接してくれたことを、忘れずにいたい。

「水」になってみて、ポジティブな発見もあった。憧れていた職業を思い出したのだ。そのことは、また次回。


追記
店員さんの対応の違いに戸惑っていたけれど、これは私が選んだ服から何かを発信している成果なのだなと考え直している。服で自己紹介するということはこういうことなのだろう。

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