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ウォルピスカーター『泥中に咲く』考察

歌詞

砕けた心が濾過できなくて 涙はそっと枯れてゆく
もう一粒も 流れなくて 可笑しいよねって 笑ってる

酷烈な人生 あなたを遮る迷路の荊棘
濁世の闇 立ちはだかる 君は誰よりも憂う人
だから今 僕らは溺れかけてる寸前だろう
正しい呼吸に救われた 今はいつか死ぬために生きてるだけだ

雨が嫌いなわけを知ると 深いところで思い出すこと
そう 大粒のシャボン玉なら きっとふわふわでしとしと

地面の色を見て歩く 水溜りのない場所 選んでる
さては 不遇な道を逃れるため 自己防衛だってするんでしょう

僕は今 人間です 今日も明日も その次の日も
認めるのは そのくらいでいい みんな別々の息を食べてる
そう 君も今 人間です その姿が嫌いなだけで
憎めないよ 優しいから 君は誰の為にも願う人

ひとひらの花が散るために 水も土も光も その種も
僕の目の前にあるものが その意味も過去も未来も

ひとつと欠けると生まれないぜ 僕も君も あの人も
なんでもないと言いながら 過去の荷物を君に背負わせる

運命が通せんぼする 勘違い 自業自得だよ
でも状況が良くないからね 逃げたいよね 生きたいよね

この身体を投げ出す その瞬間があるとすれば
この世の闇 切り裂いてさ ここに生まれた意味を探そうか
終わりの始まり 始まれば最後の人生だから
途方もない 旅の末に 今しかない「時」があるのだろう

雨に溺れることはないな それでもなんだか息苦しいな
いつか死ぬために生きてるなんて それならさ それならば

もう壊れない 壊れない 壊れない心の 鐘を鳴らそう
曇天だろう 泥まみれさ どこもかしこも
今 この世の行方を 遮る迷路に 線を引こうぜ
その線がさ 重なる地図 君を照らすために咲く花さ


楽曲タイトル『泥中に咲く』について

泥とは汚く濁った水、つまり欲望渦巻く俗世を表しています。

そんな泥水の中にあって綺麗に咲く花があります。

泥中に咲く花とは、それは蓮の花です。

「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という言葉からも分かります。

蓮の花は何を表しているかというと、

欲望に汚れた俗世に合って綺麗に咲く、お釈迦様を表しています。

つまりこの楽曲は「仏教」の考えを元に読み解くことができます。


それぞれの歌詞を見て行きます。

砕けた心が濾過できなくて 涙はそっと枯れてゆく
もう一粒も 流れなくて 可笑しいよねって 笑ってる

砕けた心とは泥水のことです。その欲にまみれた汚い泥水を濾過して

吸い上げることができれば、蓮の花のように綺麗に咲くことができます。

しかし、それにはお釈迦様が成し遂げた悟りが必要です。

それが出来ないのは当然です。お釈迦様レベルの人はそうはいません。

僕たち、私たちは欲に塗れた凡人なのですから。

しかし、そうでありながらも、一粒の涙が流れ出でないくらい、

涙が枯れてしまう程、その泥水を濾過しようとする姿が描かれています。

その様に大変苦しい状況にありながらも、悟りを目指し笑みがこぼれる。

これはまさに、菩薩様のお姿そのものです。


酷烈な人生 あなたを遮る迷路の荊棘
濁世の闇 立ちはだかる 君は誰よりも憂う人
だから今 僕らは溺れかけてる寸前だろう
正しい呼吸に救われた 今はいつか死ぬために生きてるだけだ

泥水=濁世の闇=迷路(の荊棘)  これらの中を歩んで、酷く辛いということ。

誰よりも憂う人は、まさに菩薩様のことを指しています。

まさに、今僕たち私たちが生きているこの世は闇の中にあります。

皆が、それぞれに酷く辛い思いの中、生き抜こうとしているのではないでしょうか。中にはもう限界に近い人もいるかも分かりません。

そこで求められているのが菩薩様なのです。

泥水の中にあっては、呼吸も大いに乱れます。

そこで、正しい呼吸法が必要になってきます。

それが、腹式呼吸です。

つまり、正しい呼吸とはお釈迦様による三呼一吸の臍下丹田呼吸法のことを指しているのです。

この呼吸法をもってして、息のしづらい泥水の中を生き抜けるのです。

それによって救われると言っているわけです。

現世来世もつながっています。

生きることは死ぬことであり、死ぬことは生まれるということです。

輪廻転生の考えが見えてきました。


雨が嫌いなわけを知ると 深いところで思い出すこと
そう 大粒のシャボン玉なら きっとふわふわでしとしと

雨が嫌いということは雨が邪魔になっているということです。

深いところで思い出すというのは、深いところに眠っている、昔のことを思い出している様子を表しています。

それは、シャボン玉を飛ばす年頃まで昔に遡る思い出です。

シャボン玉が表すものは儚い夢や願望です。世の汚れに侵されず、健気に夢を見ていた頃です。シャボン玉は夢幻泡影(むげんほうよう)を表しているのですね。

大粒のシャボン玉であるならば、ふわふわしとしとなかなか潰れない。

でも、自分のシャボン玉は残念ながら小粒で薄く乾いた、すぐにも割れてしまうものでした。

雨でも降ればすぐに消えてしまうでしょう。


地面の色を見て歩く 水溜りのない場所 選んでる
さては 不遇な道を逃れるため 自己防衛だってするんでしょう

地面の色は周囲の人の顔色のことを、

水溜まりは自分を傷つけるような不浄な淀みのことを表していて、

自分が傷つかないようにそれらを避けるような生き方ばかりをしてきた

ということです。


僕は今 人間です 今日も明日も その次の日も
認めるのは そのくらいでいい みんな別々の息を食べてる
そう 君も今 人間です その姿が嫌いなだけで
憎めないよ 優しいから 君は誰の為にも願う人

輪廻転生を表す表現ですね。「今のところ」人間であると。

前世来世は別の生き物であったけれども。

人間であると認めるのは今日、明日、明後日くらいで、

その後はどうなるかは分からないのだと。


 ひとひらの花が散るために 水も土も光も その種も
      僕の目の前にあるものが その意味も過去も未来も      ひとつと欠けると生まれないぜ 僕も君も あの人も
 なんでもないと言いながら 過去の荷物を君に背負わせる

生命の連続性を謳っています。

その連続性を担保しているのは「他」を受け入れることであると。

次が、この歌の中で一番大事なところです。

「過去の荷物」とは精子(遺伝子)です。

「君に背負わせる」とは中出しです。

「大丈夫、大丈夫、妊娠しないってw」と言いながら中出し


ここでPVの画面が暗転します。妊娠しましたね。おめでとうございます。

視点が胎内に移っています。よく出来ていますね。


運命が通せんぼする 勘違い 自業自得だよ
でも状況が良くないからね 逃げたいよね 生きたいよね

運命が通せんぼする。怖いですね。人工妊娠中絶のことです。

これから生まれ出でようとする世の中の状況は決して良くありませんね。

ひっそり消えてしまって、この世界から逃げたくもなります。

でも、やっぱり生きたい気持ちもあります。


逆に、ここでPVの画面が明るくなります。出産です。おぎゃーおぎゃー。


この身体を投げ出す その瞬間があるとすれば
この世の闇 切り裂いてさ ここに生まれた意味を探そうか
終わりの始まり 始まれば最後の人生だから
途方もない 旅の末に 今しかない「時」があるのだろう

最初の一行目は、五体投地と言いたいところですが、

出産のことを表しています。

暗闇の子宮から、光差すこの世に投げ出されたということですね。

ただここは、PVもそうですが、歌詞が能動態で書かれてるところが

面白みですね。

「この闇切り裂いて」はそのまま字のごとく、膣口を裂いて出て来る

ということです。


雨に溺れることはないな それでもなんだか息苦しいな
いつか死ぬために生きてるなんて それならさ それならば

雨が降るこの世の中を表しています。雨の比喩は上記の通りです。

呼吸もできないように、泥水で満たされているわけではないが、

それと同じ状況であると言いたいのです。


もう壊れない 壊れない 壊れない心の 鐘を鳴らそう
曇天だろう 泥まみれさ どこもかしこも
今 この世の行方を 遮る迷路に 線を引こうぜ
その線がさ 重なる地図 君を照らすために咲く花さ

「曇天」ということなので、視線を上に向けて下さい。

欲望や汚辱に塗れた暗い世の中です。

この曇天がこの世の行方を遮っている迷路と言っていいでしょう。

線を引くというのはダブルミーニングですね。

実際に線を描くということと、そこから離れて距離を置くということ。

曇天に線を引いて、雲間が広がり、光が暗闇に差す光景が浮かびましたか?

そこに描かれたものが・・・。






いかがでしたでしょうか?

はりーPさんの素晴らしい歌、ウォルさんの素晴らしい声でした。


















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