心を整える…
こんにちは、予想通りですが年の暮れに差し掛かってくると何かと忙しいですね。noteもおろそかになってしまって申し訳ないです。
普段【社会復帰するまで】というタイトルで、自身が脊椎損傷になってから退院するまでの事を書いています。
また【障害者と性】というタイトルで、自身の性的な部分の障害やSEXの内容なども赤裸々に語っています。
どちらももし興味があれば読んでみてください。コメントなど頂けましたら、全力でしっぽ振って喜びます。
今日は少し趣向を変えて、精神にかかわる事を書きたいと思います。
私toshiは、退院をしてから現在のお仕事に従事して10年以上になります。学生時代から主に飲食店で働いていて、ケガをきっかにこういう業界に携わるとはまったく想像していませんでした。
ケガをする前、元気だった頃から人と接するのは好きで、接するカタチは変わりましたが今の仕事も向いているのかもしれません。
ですがそこは葬送の場、”元気よく大きな声で” ”常に笑顔で明るく” とは真逆の接客です。最近はご長寿の方が多く、遺族の方も悲しみに言葉も出ないというよりも、【年に不足はないし、孫やひ孫に囲まれて笑顔で送る】という葬儀をよく見ます。
もちろん皆が皆ご長寿で、天寿を全うして亡くなる訳ではありません。不慮の事故に会う方、急な発作が起きる方、あるいは自ら命を絶つ方。
こういう場を何度も目にしていくうちに、いつしか自分の精神が疲弊していくのが分かりました。
以前、あるコンサルタントの方に言われました。葬祭業に従事している方は、皆小声でしゃべる方が多いと。その時はピンときませんでしたが改めて職場を見てみると、皆一様に小声で無口で、まさにお通夜のような状態でした。そして気が付くと、自分もその中の一人になっていました。
その精神状態は、プライベートの空間までも支配します。休みの日も特に誰かと喋ることもなく、家でひたすらyoutubeを見るだけ。日が暮れるとビールを飲みながらテレビを流し見し、日付が変わるぐらいにベッドに横になる。なんの面白みもない休日です。
そんなある日、たまに会っている友人からお誘いがあり家へお邪魔することになりました。
確かにネクラな日々を送っていますが、僕にだって友達はいます(笑)
僕を含めたいつものメンバー4人で遊ぶことになりました。とはいえ別にどこかへ行くわけでもなく、誰かの家に言ってただ喋るだけの時間です。
ただ、ただ、そんな時間が僕にとっての精神のガス抜きになっていました。
全員小学校からの付き合い、喋らなくてもその場の空気だけでお互いの感情が分かる関係です。僕はこの場の空気が好きで、なんともいえない心地よさを感じていました。
ちょっと長文になりそうなので、続きは明日書きます。
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