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レプリカの時代にコールドプレイを目撃した(1)


1 さいごのディスク

さいごに買ったCDのうちの一枚は、コールドプレイの6枚目のアルバム『ゴースト・ストーリーズ』だった。以後音楽を聴いていないのではなく、生活環境が遅ればせながらデジタルへ移行した。

同アルバムは、ボーカルのクリス・マーティンがグウィネス・パルトロウとパートナー解消をし、家族とも離ればなれになったデプレッションの期間がまともに反映した作品だと本人のインタビュー記事で語られている。じっさい、モノトーンで重苦しい調子が、さいごから2曲目までは霧中の夜道のように続く。

コールドプレイを聴くと高揚すると言うファンと、反対に落ちこむと言うファンがいる。従来、クリス・マーティン自身の言葉として何度となく語られてきたエピソードだ。愛聴していればわかりやすいし、ライトなリスナーであれば少しわかりにくいかもしれない。そして人生のさまざまな段階で、両方を体験できる。できると言うか、聴いていればそうなる。

『ゴースト・ストーリーズ』はラスト2曲前で、ストン、と重い蓋を取り除けたかのように、突如ダンスビートにのってハイテンションに転じ、空いっぱいの星の「あなた」の神々しさを称えだす。

「ア・スカイ・フル・オブ・スターズ」。

どんなに傷つけられても、それによって自分は先へ進んでいけるという、ラブソングとして歌詞だけを取り出せば究極の開き直りというか、倒錯的な内容にも取れる。しかしそれは飛躍前の抑えたヴァースの内容で、ドロップではサウンドだけが響いて歌詞がないという曲構成もあって、言葉を超えた浄化効果をもたらすようだ。いわばダンテ『神曲』の地獄篇から、中間の煉獄篇をすっ飛ばしていきなり天国の門を開けて愛しきベアトリーチェに再会するとでもいうような。
この曲がカタルシスとなって、迷いながらも道中は救いのない堂々めぐりではなくなる。
意図をもって構成された、静かだが力強いアルバム作品となっている。

主観的には、繰りかえし聴ける。むしろ初期3作のほうにはまると他のことが何もできなくなるかもしれない。包容力のあるファルセット・ボイスとリヴァーブの利いた無限階段のようなギターで、次のような内容がアルバム単位で胸に迫ってくるのだ。

渦を巻く靄の中、頭痛と恐怖におびえ、蜘蛛の巣に捕らえられて悪魔をカウントしながら、しかも世界はうつくしいと歌うファースト・アルバム。ヤバい。

自分を見失った、辛い別れがあった、君の緑の瞳、光なしではだめになってしまう、君はもういない、君は。歌いながら君は、君は、と想いがループするようなセカンド・アルバム。“Am I a part of the cure / Or am I a part of disease” ...ヤーヴァい。

サード・アルバム。一生行き詰ったままなの? トライしてもいないのにどうしてわかる? これほどの浮き沈みは例のないものだよ。愛しているのに何もしてあげられない。でもやってみる。君をなおしてあげる。“I will try to fix you”......。

歌われるのは、とても個人的で繊細な感情だ。そして英語だ。
二十歳前後の英国人青年のオルタナ・バンドが、世界を見て回り、強靭なロックバンドとして成長を遂げ、ツアーの規模も段違いに大きくなったのはどうしてか。

バタフライ効果(バタフライ・エフェクト)という言葉が思い浮かぶ。
蝶の舞がやがて台風となる、一発の銃弾が世界大戦を引き起こす、など、もともとあまり良い結果を生まないニュアンスで使われることが多い概念かもしれない。『シン・エヴァンゲリオン劇場版 EVANGELION:3.0+1.0 THRICE UPON A TIME』(ディスク版は3.0+1.11)で碇シンジの鬱が延々と描写される流れと、その大もととなる、人類補完計画の重要なきっかけとなった父親の私怨、弱さと孤独を想起してもよい。
でもそういうのとは違って、たった一人の感傷と、感情の起伏が、国境を越え何百万人ものひとを感化し、動かし、好ましい変化をもたらし得る効果、と捉えてはいけないだろうか。

もっと直観的でわかりやすい文言をweb上で垣間見た。
英国人のクリスが陰キャから陽キャになったのは、ラテンアメリカの陽気にふれたからなんだろう、と。
時系列が的確かどうかは措いて、なるほど言い得て妙だ。暗い森から出たゲーテはイタリアの陽光を「発見」した。

これまでの雑誌掲載のクリスの写真、あれほどいつわりのない手放しの開放的な笑みを見たことがない。

コールドプレイのワールド・ツアー「ミュージック・オブ・ザ・スフィアーズ」。
2022年3月コスタリカに始まる。
東京ドーム公演DAY2(2023.11.7)。
前回、6年前の平日一夜限りのドーム公演には行けなかったので、いよいよ待望の、スタジアムサイズのコールドプレイ公演を目の当たりにすることになる。

2 電光石火のオープニング・アクト
  YOASOBI

18時、オープニング・アクトとしてYOASOBIが登場した。
大きなロゴの前に白い衣裳で統一したメンバーが出そろうと、「夜に駆ける」が始まる。
ドーム内の音の反響が思いのほかきつく、肝心のボーカルが、歌詞が、つかまえにくい。ボーカルのikuraが「ジャンプ!ジャンプ!」と煽る。アリーナ中央部を中心に飛び跳ねる頭や腕がまばらに見える。客席側は前が立てば立つといった感じで、手拍子が中心、歌い終えたあとの拍手と歓声はあたたかい。

2曲目、「祝福」。はげしい照明の明滅の下、会場のノリも全体的にわるくないように見える。3曲目「ミスター」。腕を左右に振るハンドワイパーはよい感じで、バンドや曲を知らない観客でもこのまま楽しめそうな雰囲気をつくりだしていた。
円形のビジョンは美麗で、終始表情を捉える。ikuraが手をかざしてドーム内を見渡したり、間奏中に上層階までを見晴るかして目をキラキラさせた後視線を落とし、ふっと微笑を浮かべ歌にもどるようなところが印象に残った。

だが、新曲「勇者」を配した攻めのセットリスト、その4曲目で、見渡した感じ、すでに大半の席が埋まりつつある会場の反応は明らかに失速してしまった。同曲が主題歌となっているアニメやそのあらすじを知っている必要はないと思うけれど、言葉数が多く、リズムのパターンも凝っている楽曲展開に戸惑い気味。手拍子も減少、新曲と言われてじっと聞いているだけかもしれないが、いろいろむずかしいものである。

MCは緊張感もあってか早口だった。先のMCでコンポーザーのAyaseとボーカルのikuraからなる、小説を音楽にするユニットです、と自己紹介がされていた。次は二人の友情の物語だと言って始める「優しい彗星」。このドームを宇宙にしてコールドプレイさんに見せられたら、とikuraはスマホのライトをつけてペンライトのように振るよう呼びかける。ドームいっぱいにライトが揺れるのは壮観だ。気がつくと、花道の中央付近まで歩み出たikuraが観客と音楽を通した紐帯ちゅうたいを取り戻しているように見える。

「怪物」のうねるビートで会場がノリを回復したところで、残りわずか、すばらしい思い出をつくりましょう、とAyaseのMCが入る。
「群青」のシンガロングに続く「アイドル」ではさすがに一番歓声が上がっていたようだ。「Oi、Oi」の「オタクコール」も加わり、さあここから...ではなく「アイドル」がさいご。
直前のフェスでの熱狂ぶりの噂もあったし、初の声出しありのアリーナ・ツアー「電光石火」には1公演だけ参加して異様な盛り上がり方を観ているので、来日アクトのゲスト出演で仕方がないとはいえ本領が発揮されているとは言い難く、もうちょっと聴きたい、と思わせられた。
もっと聴きたいというオーディエンスの気持ちは拍手の大きさに表れていたようだ。
(明けて1月、初のドームライブの実施がアナウンスされた)

3 COLDPLAY at TOKYO DOME 2023
  本編は4部構成

機材転換後、アルバムのインスト曲の曲想に連なるSEが20分ほど続いた。
拍手が起こった後、日本語で話す若い男女が登壇したのでおどろいたが、本公演がいかに環境に配慮したライブ公演であるかが、ショート・ムービーで紹介される。

音楽ニュースなどですでに報じられて来たように、本ツアーは動力源や移動運搬に至るまで、可能な限り環境に配慮し、再生可能エネルギーも使用、その他土壌改善や海洋ごみ処理等、多方面の取り組みがある。
その理念や具体的な方途のうち、わかりやすい例を挙げると、アリーナ後方にエアロバイクや運動用のキネティック・フロアを設け、観客が運動してつくりだした電力を使用する。チケット1枚の売り上げにつき一本の植樹がなされる。入場時に全員に配られる発光するLEDリストバンド(ザイロバンド)は、植物由来のプラスチックを使用し、終演後に回収して再利用される。各国の回収率まで数値で明示する徹底ぶりだ。

映画『E.T.』のテーマ曲(ジョン・ウィリアムズ)でいよいよ4人が入場。
いきなりアッパーな新曲「ハイヤー・パワー」、キラー・チューン「アドヴェンチャー・オブ・ア・ライフタイム」、「パラダイス」と畳みかける。のっけからアリーナ観客の頭上にペンキでも撒いたのかというぐらいカラフルな紙吹雪の大噴出が続き、惑星ペイントのカラーボール(バルーン)が跳ね回る演出、さらには推定5万人のリストバンドのLEDが一斉に点滅したり次々に色を変えるさまには度肝を抜かれる。
舞台の左右と、舞台後方の客席に向けて設置された円形のビジョンは常に演者の表情と熱狂的な客席の様子を交互に中継し続け、中央の半円形のビジョンからは曲によって文字によるメッセージやサイケデリックな映像が絶え間なく届けられる。

ひとりひとりが星空の星になったようだと言うと平凡な比喩だけれど、全く同じひとりひとりが集まってつくることのできる音楽の宇宙空間は、二度と再現できず、今晩一夜かぎりだ。

『ロッキング・オン』2024年1月号のレポート(Text by SHINO KOKAWA 粉川しの)によると、観客動員数は両日で11万人とのこと。各音楽サイトでも力のこもったレポートが読める。いずれも初日に関するレポートとなっている。

【ライブレポート】コールドプレイ、会場が一体となった6年ぶり来日公演「おおきに、毎度ありがとさん」
 取材◎文 吉羽さおり(barks.jp 2023.11.16 17:00)

Coldplay、想像を絶するほどの光と色彩のスペクタクル サスティナブルなワールドツアー日本公演レポ
 文=ノイ村(realsound.jp 2023.11.16 20:00)

本公演は4部構成となっており、情報量があまりにも多いので、きわめて主観的なハイライトに絞って数曲のみ取り上げる。
(バンドの性格上言及せざるを得ない政治的発言やふるまいについて、喧伝するわけではなく、流布するわけでもなく、押しつけるものでもありません)

Act. Ⅰ. PLANETS より「パラダイス」

―「夜、嵐の夜に彼女は浮遊し/夢見る/楽園」

アルバム『マイロ・ザイロト』(2011)からの曲で、一息にdecade(10年)を遡る。10年以上前の、アルバムが出た年の時間を引き寄せると、それは「3.11」の起こった年で、正直なところ音楽を聴いているどころの騒ぎではなかったのだけれど、極上のロック・アルバムであるのは間違いない。
しかもインスト曲を合間にはさむコンセプト・アルバム仕立てとなっており、近未来の監視社会の中で男女二人(マイロとザイロト)が愛の力で難局を乗り切ろうとする物語があった。

映画化は無理だが音楽だけでは世界観を伝えきれないかも知れないとコミック化もされたはずだが、普及していない。物語自体はジョージ・オーウェル的な世界観で、アルバム以前にも、他ジャンルでも能動的に再生産され(『ダイアモンドの犬』然り、『アニマルズ』然り、『1Q84』然り)、特記するほどめずらしいものでもないけれど、そういうコンセプトがあったことは無視できない。楽曲をアルバムから切り離して今日的な文脈の中で聴いても、十分刺激的で示唆に富む。

「パラダイス」の歌詞は三人称(She)となっており、困難な状況で「今ここ」をパラダイスだと信じこもうとする、そういう逃避や皮肉のかなしげなニュアンスもあるはずだった。
ハンズアップで調子を取るサビのPara-,Para-,Paradiseのメロディーは波間にたゆたうようで心地よく、元のストーリーや苦い記憶を離れて、曲にノレた。
そこだけ切り取れば、Para-,Para-,Palalyzeと聴こえなくもなかったが。

Act. Ⅱ. MOONS より「ポリティク」

―「地球を宇宙から眺めてごらん」

花道先端の中央ステージへ移動して第2部は「Viva La Vida」(邦題「美しき生命」)から始まった。この曲名は原語で表記せねばどうしても感じが出ない。フィル・チャンピオンが太い撥でたたく太鼓と力強く打ち鳴らす鐘のアレンジで、大合唱が起こる。

Oh Oh Oh Oh Oh

セットリストで3曲目はリクエストコーナーになっているのだろうか。
と言うのも、花道からクリスがアリーナを見渡してファンが掲げたメッセージ・ボードを読み上げていく。スタンドでもさまざまな国旗が振られ、許可さえ取れればどこの国でも演奏したいという意味のことを語り拍手が起こっていた。
さいごにはアリーナの中から、ある親子(母娘)を指名し、ステージ上へ招待してピアノの横に座らせた。クリスはそのままリクエストの「O(オー)」を歌唱した。
指名された観客は、位置的に、GOLD席(五万円)だろう...。
第3部のクライマックス前に、「今宵みんなでひとつの家族になるんだ」とMCで語られることになるのだけれど、それが言葉だけではないと感じさせる真心の垣間見える場面だった。

羨望と感嘆の入り混じった和やかな雰囲気を引き裂くように、「Politik」のイントロが始まる。
マイナー調の叩きつけるかのリズムに合わせフラッシュライトがドーム内に重苦しく明滅する。
光。闇。光。闇。秒刻みで一気に20年を遡った。「セプテンバー・イレブン」に衝撃を受けたクリスが、急遽書き下ろしてセカンド・アルバムの冒頭に収録した問題作だ。2003年の公式ライブ・アルバムのファースト・トラックでもある。
目をひらけ、とのリフレイン。
両のまなこをしっかりとみはれ。
色彩がなくなって変にざわざわする会場。白黒の世界。細胞分裂のせわしない映像がビジョンに流れだし、やがて惑星にまで発展して去っていく。第1ヴァースの「地球を宇宙から眺めてごらん」の言葉に即した空間・時間観念を映像化したものだろう。
何事も瞬く間である、しっかりと目を見開け。

と、嵐が去ったかのように「イエロー」の前奏が始まる。
はじめからシンガロングが起こり、演出は控え目に、リストバンドがイエローにきらめく空間をつくり出して気分よく第2部は閉じられる。

Act. Ⅲ STARS より「♥」「クロックス」ほか

―「君は/流転するカオス/せまる壁 時を刻む時計」

「ヒューマン・ハート」はアルバムのトラック・タイトルではハートマーク(記号)であった。この曲では異星人とのデュエットが聴ける。と言っても、E.T.を召喚したのではなく、羽のあるカラフルなドレッドヘアーのパペットの宇宙人、その名もエンジェル・ムーンだ。
ビジョンの上では生きているように口を動かし、顔をつき合わせる距離のクリスと息も合っている。パペットは、(全然違うかも知れないけれども)『セサミストリート』の人形を連想するとイメージしやすい。
舞台上に視線をうつすと、細身の黒子が人形を操っているのがなんとなくわかった。

Bluetoothで制御されたリストバンドはこの曲に限り、スタンド席に巨大な赤いハート模様をいくつか作り出していた。何をとってもビッグ・サイズ。

クリスがレインボー・フラッグを頭やからだに巻きつけるようなパフォーマンスが見られる「ピープル・オブ・ザ・プライド」をはさんで、「クロックス」が披露された。

緑のバックライトに照らされ、発光する天体のデコで飾られたアップライトのピアノを弾き語りするクリスの姿勢は、終始シルエット姿だ。真横からのアングルで、円形のビジョンに全身が映され、横顔のアップも映しだされる。
おそらく時計の振り子の動きを意識しているのだろうけれど、椅子の脚を浮かせて全身を小刻みに前後させるその動きは、いつまでも脳裏に残る。エロティック、と言うのは当たらないが、生命の原始的な、衝動的な、そういう反復運動であることは確かだ。演奏も歌唱もよくぶれないものだと引きこまれる。

ボイジャー探査機であったか、この次に地球外の知的生命体に向けて人類の文化を刻んだゴールデンレコードかディスクが搭載されるとき、人類が熱狂したライブ映像の一コマとしてこの1曲が選ばれてもおかしくないのではないか、と空想した。シルエットといえば、マドンナの最新ツアーでは、(そっくりさんの)マイケル・ジャクソンとマドンナが大スクリーンの裏に回って、大きな影絵となってダンスを繰りひろげる一場があるらしい。
ともかく洗練されているのに原初的で、時間とせめぎ合う人間そのものを体現する見事なパフォーマンスだった。

続くのは、第2部3曲目のようにアレンジが施された「日替わり」曲のようだった。
EDMのエレクトロポップ化したリミックスと、サイケデリックな映像もさることながら、なんとメンバーが宇宙人の着ぐるみ、ならぬ被り物を頭にかぶってのメドレー曲。バンドメンバーが縁の光る楽器を演奏する中、ひょこひょこと花道を進みつつ、酔ったようなコミカルな動きをみせるクリス。
なんだこれは。楽しい。
(その被り物のまま、歌っていた。初日のこのコーナーの曲では歌詞を手話で披露していたらしいから、2日目もおそらく音源に合わせ手話で歌っていた)

「マイ・ユニバース」ではコラボレーションをしたBTSのメンバーが参加(録画映像)、歌唱パートが切り替わるたびに歓声が起こり、人気のほどがうかがえる。

盛りだくさんの第3部を締めくくるのは「ア・スカイ・フル・オブ・スターズ」。
演奏を一旦止めて、ある提案がなされた。
「これからみんなそろって大きなひとつのファミリーになるんだ」、と。

―この1曲だけでいい、スマホをしまって、両手を掲げよう。

さいごのチャンスだよ、と言わんばかりに、念を押す。

―フォーンはポケットに、両手は空に向けて。

曲が再開し、手放しで相手のすべてを受け入れようとする歌詞からいよいよ「無言」のドロップへ。一斉にジャンプ。青と白の瞬く星空。
もう全員すでに完全燃焼しただろう。

Act. Ⅳ. HOME より「ドント・パニック」

―「そしてわたしたちが住むのはうつくしい世界」

メンバーが再登場すると、「サンライズ」とルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」の前口上(亡くなる1年前に再録音されたバージョンの感動的なスピーチ)が合わさったSEに合わせ、花道からもさらに後方の、ほとんどスタンド席中央付近の客席に迫るステージへ移動する(ここまでが第3部で、次の「スパークス」から第4部)。

1曲目は、かなりスローに、「スパークス」。暖炉を囲んで家族か古い仲間が集まって談笑している雰囲気を醸し出す。
MCでも、フェス参加で初来日したことに触れていた第4部は、まさに「ホーム」だ。

続くのは、「ドント・パニック」。
なんて切ないアコースティック・サウンドだろう。ウィル・チャンピオンがピアノを弾いて、歌いもする。
ウィルとガイ・ベリーマン(B)が移動のためステージを降り、残ったジョニー・バックランド(Gt)が、思いのほか、か細い声でコーラスに参加する。
本曲で開幕するファースト・アルバムは、同時期にメンバーが家族を喪ったため喪の意味合いも帯びたアルバムであったという。バンドの原点を見直す選曲だと言ってよいのだろう。

この枠、前日のセットリストではBTSのJINのソロ曲「The Astronaut」のカバーだった。現実に兵役に従事せねばならないBTSメンバーのニュースを考えると、初日の選曲のほうがよりダイレクトに、よりアクチュアルにバンドの想いやスタンスを聴く者に訴えかけただろう。

落ち着いた口調で長目のMCが入るのも第4部の特徴だった。ロック・コンサートを楽しみに来ただけなのにと、世界情勢への言及をきらう向きもあるだろうけれど、平和のために10秒間ハートを送ろうとの呼びかけにはほとんどすべてのひとが応じていたように見えた。
ともかく2日目のセットリストは、原点にかえって、バンドの歩みと同時代史を振りかえる意味合いの濃いものであった。
「フィクス・ユー」まで来るころには少しぼうっとしていたかも知れない。
大きな惑星のバルーン群がアリーナの周縁を浮遊している。
さいごにはパペット・バンド(The Weirdos)との共演が果たされる(「Biutyful」)。
〈HOME〉にふさわしい大団円であった。

......。

世界は本来うつくしく、讃嘆に値するものに満ちている。
争いのない世界はあり得ないのだろうか。
一人一人の願いや力は小さいけれど、祈りは大きなうねりとなり、変化を呼び起こす―。
口にするのも気恥ずかしい夢物語だろうか?

歌われるのは、とても個人的で繊細な感情だった。それが観衆一人一人の共感を呼び、より大きな感情のサークルとなるのを目撃した。
とりわけ、歌詞では「Oh Oh Oh Oh Oh」としか表記できないような箇所の合唱、さらには非言語的「フゥーフー」「エェーイオー」「ヘーイッ」としか書きようがないコール・アンド・レスポンスの多さは特筆に値するだろう。
美麗なメロディーだけでなく、このようなnonverbal(非言語的)なコミュニケーションが、あの稀有な一体感を生み出し、あの規模のツアーを成り立たせていることを肌で感じた。

バンドがツアーで通った後には笑顔が増え、環境を気遣うひとが増え、世界情勢への関心は少し高まり、音楽への愛は一層高まって、心もち澄んだ空気を吸うことができる。誇張ではなくそんな旅を続けているCOLDPLAYのワールド・ツアーは、2024年6月からヨーロッパに凱旋がいせんして続行される。