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振動

ちょっとした振動で鯨は絶滅し、大量の死骸によって生まれた新たな生態系は地上の世界に激震を与えた。顕微鏡で5000m先を観測するような途方もない努力を強いられた人々は混乱に陥り、率先して革命運動を起こしていた若者から順番に食事が提供された。

「人権を破棄する屑籠は何処にあるのか」
「AIの進化をもう少し待て」
「人形、キーボード、洗剤、岩肌での睡眠」

そういった言葉を耳にしながら群衆を掻き分けて辿り着いたホテルには大きな川が流れていた。向こう岸ではホテルマンが金持ちを丁重に激流の中へ突き落としている。カウンターには誰もおらず、仕方なく地下2階のボイラー室へ向かった。中に入ると大量のレバーに囲まれて落ち着かない。思わず声を張り上げると天井から魚が落ちてきた。見上げるとそこはアクアリウムのようになっており、なるほどそういう事かと安堵しながら16日間を過ごした。癒着した首の骨すら愛おしかった。

際限なく聞こえてくる魚の声。警察は厳戒態勢の意味を履き違えて次々と海水を飲み干し、乾いた砂浜で息を引き取ってしまった。その様子は世界各地に放映されたが、後に子供に悪影響だと憤るクレームの問い合わせが殺到した。だが言うまでもなくそれらに対応するメディア関係者は既に誰もいなかった。それでも電話が鳴り止む事はなく、電話線、電話機、もしくは彼らの声帯が寿命を迎えるまで続いたという。

言語学者達の最期は醜くも美しく、我々の築いた文化の証を遺さんとあらゆる文字を地面に彫っていた。どれだけ劣化しても読み取れるようにと一段と深く彫り続けた。下部マントルまで到達した際、ある事に気付いた。一心不乱に彫っていたその文字は架空の言語だった。悲しみに暮れた言語学者達はマントルの上で地団駄を踏み始め、その時少しだけ地球が振動した。

鯨は絶滅してしまった。

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