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ここは粥と龍の街

海龍街は名前のとおり海の側にある。大きな港が近く、あらゆる生き物が行き交っている。

そして龍の字。そうこの街には龍神の伝説がある。
昔々、まだこの辺りが小さな漁村だったころ。一柱の龍神が浜に流れ着いた。
浜辺で弱った龍神をみかねて貝拾いのニンゲンとコメ拾いカヤネズミの娘たちが貝出汁の粥を作って龍神にささげると、そのあまりのうまさに龍神はたちまち活力を取り戻したという。
龍神は礼としてその体から剥がれ落ちた宝石のようなうろこを娘たちに与えた。うろこは莫大な財をもたらし、村はあっという間に豊かな街になったと伝えられている。

そんな伝説のせいか海龍街には粥屋が多い。そのどれもが早朝から開いていており、朝まで働くものも朝まで飲んだくれたものも優しい粥で等しく受け入れている。


スープに広がるかきたまごのような薄い雲。淡い朝日が海龍街を照らしていた。早朝の海風はまだ涼しいが、あたりの気温は少しずつ上がり始めている。
連夜続く海龍祭の名残で道には酒瓶や爆竹のカスなどのごみが散らばっている。さすがに皆騒ぎつかれて飲みつかれたようだ。ひとけがない大路の真ん中を大柄な男がだけが一人、歩いている。
男はもう八月だというのに黒いコートを着込み、灰色のマフラーを鼻の下まで巻いた異様な姿だ。

男は路上で寝込んだ酔漢をまたぎ細い路地に入り込む。肩を寄せ合って向かい合う小さな飲食店の合間に張り巡らされた色とりどりの龍神の飾りが男の頭に引っかかりそうだ。
やがて男は古ぼけた木製の扉の前に立った。扉には『松果粥』と墨書きされた小さな看板が上がっている。扉の隙間から漏れる貝とエビの香りに男はすんと鼻を鳴らした。

がたがたと扉をきしませ開ける。硬いうろこをびっしりと背負った生き物が客席がほんの数卓のこじんまりした店内を動き回っていた。よく見ると鋭い爪でふきんを挟んでカウンター席のテーブルを拭いている。
店主の頭頂から尻尾の先、そして足と腕をおおう先が尖ったうろこ。その姿に彼女を龍と間違う客も多いが、松果粥のおかみはセンザンコウだ。
彼女は長い尻尾をテーブル席にぶつけないように気を付けながら、客の気配に振り返る。松ぼっくり柄の前掛けを腰に巻いたセンザンコウ。その瞳はつぶらで優しげだ。
男は軽く会釈するとカウンターの隅の席に座る。センザンコウのセンは白磁の器に冷茶を注いで男の前に置いた。
「毎朝ありがとうございます。エビですね?」
静かにうなずき、男はマフラーをずらすと茶をすすった。

カウンターの向こうからの海鮮の出汁の良い匂いが強まる。男は店の隅で置物のように静かにしている。店の隅の古ぼけたテレビでは昨晩上がった花火の映像を背景に今日の天気を流している。昼過ぎから快晴だ。

「お待たせしました」
松葉模様の鉢にはたっぷりと粥が盛られている。粥の海に浮かぶつやつやとしたエビの橙色が湯気の向こうからでもまぶしい。そして鉢の横の小皿にはザーサイと揚げパン。男の目の色が変わった。
長身を丸めレンゲですくった粥に息を吹きかけながら夢中で食べる男にセンは目を細める。


男が粥をすする音と早朝のテレビ番組だけが流れる店。そこに轟音が響いた。
「センの店はここかぁっ!」
安いサンダルの足が古ぼけた扉を蹴り開ける。無残に真っ二つになった扉の木片が散り、センは悲鳴を上げた。もこもこと首筋から頭の毛を逆立てた若竹色のジャージ姿のトラが猫背でのそのそと店の中に入ってくる。

「キャ!あなた、な、なんですか!」
「なんでもかんでも無いわ!てめえの旦那がやらかしたんよ!」
怯えてうろこの背中を丸めながらもセンはカウンターの向こうから小走りでトラの前に立つ。トラはセンのうろこをじろじろと眺めた。
きちんと手入れされたうろこはつややかで、半分ほどでも剥いで売り払えばトラがあこがれる竹林が一つや二つ買えそうだ。トラは牙を見せつけ舌なめずりした。

「も、もうあの人とは関係ないです…あの人は三年も前に私を捨てたんです」
「しらねーしらねー!あいつはよう……善良な俺たちからカネを借りてそのまま逃亡!どうしてくれるの?ねえ?」
トラは何らかの金額が書きつけられた紙切れをセンに見せつける。思わずセンはうろこを逆立てうずくまった。とても払える金額ではない。
「店ぶっこわされたいんか?ああ?」
「すいません…」
震えてぶつかりしゃらしゃらと鳴るうろこ。トラはもう一押しだとにやりと笑った。
「まあおれも鬼じゃねえ。ただのトラだ。おまえの尻尾一本で勘弁してやる!」
トラは腰から下げた大ナタを振るった。ガスンと音を立てて焦げ茶色の木目の分厚いカウンターテーブルにナタが突き刺さる。センの黒い瞳から涙がこぼれた。

「やめろ」
エビ粥をすすっていた男が立ち上がった。異様な服装と天井にも届きそうな背丈にトラは一瞬気圧されるが、堅気になめられては終わりと顎を突き出した。トラはさらに毛を逆立てて吠える。

「なんだてめえ!とっとと消えな!」
「やめてください!この人は関係ないんです」
すがるセンをトラは蹴とばす。センは悲鳴を上げて地面にうずくまる。
「やるのかコラ!この借用書がみえねーのか!」

トラは吠えまくる。男は口をひらいた。

男の口はヒトの唇の端をこえて鎖骨の辺りまでひらいた。口の中には尖った牙が並んでいる、そして烈火のように赤い舌。男は床に落ちたマフラーを踏みつけて喉の奥から炎を吐く。トラは怯えた。その毛色は一気に色あせたようにみえた。
炎はトラの頭頂の毛をこんがりと焼いた。かざした借用書も一緒に燃えた。
「なんだ…てめえ……」
トラの太い尻尾は情けなく垂れ下がり、耳はすっかり後ろに倒れている。
男はトラに歩み寄ると尖った爪でコートの袖を引きちぎってみせた。男の腕にはエメラルドグリーンの美しいうろこが並んでいる。輝くそれを爪で数枚引きはがしてトラの顔面投げつけた。
「これで払う。消えろ」
トラは声なき唸りをあげて四つ足で逃げ出す。ちゃっかりと血濡れのうろこをジャージのポケットに入れて。

男はマフラーを乱雑にまき直し、喉まで裂けた口を隠した。そして倒れたテーブルや椅子をもとの位置に戻すと、席に戻って冷めてしまった粥を静かに食べはじめた。ザーサイを白粥にいれて味変をしている。センはよろよろと立ち上がった。
「あのありがとうございます……腕、手当てしますね」
「問題ない。脱皮でもどる」
腕から滴る血がカウンターを汚していることに気が付き、男はマフラーの端でごしごしとぬぐった。
「あのおかゆ、温めなおしましょうか?」
「美味い。だからいい」
男は揚げパンを粥に浸して食べている。

鉢がすっかりからになると男は立ち上がり、コートのポケットから紙幣を出してセンに渡した。そして折れた扉を壁に立てかけると釣りも受け取らずに店を出た。
「あ、ありがとうございます。おつり……」
男は振り返らずに首を横に振る。

「あの!また来てくださいね!毎日お店開けていますから!来てください……」


昔々、浜辺に打ち上げられた龍神が村の生き物たちに救われてからどうなったか?いくつか説がある。龍神として天に帰ったとも、留まって街を守っているとも。龍神をやめて龍人となって街のどこかで暮らしているとも。

それはそれとして海龍街にいくつもある粥屋の一つ、センザンコウのおかみが営む粥屋では夏の終わりごろから粥以外の料理も出すようになったという。抜群の火加減で炒められた炒飯だ。朝は粥のみ、昼は炒飯も出す。

修繕された木の扉にかかる看板。そこには墨字で『松果龍』と書かれている。

おわり



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