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育児の恐怖政治化から学…ぶ……?

子どもができて初めてわかることというのは山のようにある。店で泣きわめくイヤイヤ期の子どもを宥められない。甘いものやスマホを与えることでその場を切り抜けてしまう。頻繁にマクドナルドやデリバリーピザを使う。なぜなぜ攻撃に対して逃げの姿勢を取ってしまう。おままごとに子どもが飽きるまで付き合えない。子どもがすぐそこにいるのに自分はスマホ、子どもは一人遊びの体制にしてしまう。これらはすべて、「知らないと手抜きに見えるが、知っていると頷くばかりである」事例と言って差し支えないだろう。

そんなことの一つが、育児の恐怖政治化だ。例えばすぐに怒鳴り付けてしまうこと。できれば子どもの気持ちや主張に寄り添って、丁寧に説明をして、説得をするなり持っていきたい方向に持っていくなりするのが理想であることは充分に承知している。ただ、いつでもそれができるわけではない。家を出るまでの時間がない、いつまでも筋の通らない話をされる、そもそも聞いてくれない、何度も言い聞かせた過ちを繰り返す(なんなら数十秒前に指摘したことを)。そうでなくとも、自分の心身のコンディションが悪かったりイライラしていたりすると、すぐに怒鳴ってしまう。そのあとに自己嫌悪に陥るまでがセットだ。

「脅し」を使ってしまうこともしばしばある。軽いものだと「早く食べないと○○のデザート食べちゃうよ」から、「いま一緒に帰らないなら置いていくね」まで。使わないに越したことはない、情操教育的にどう考えても使わないほうがいい。でも、注意すれどもすれどもノロノロと食事をする、三度も約束の条件を満たしたのに公園から帰ろうとしない、そんなことがあると、奥の手段であるはずの脅しをすぐに使ってしまう。自己嫌悪に陥る余地がないほどに自然と使ってしまっていることもある。

この恐怖政治化、考えてみるとほとんどのケースは自分の都合によるものなのだ。平日の朝に急いでいるのは十分に余裕を持って起きていないから、そして保育園を経由しての出社の時間を遅らせたくないから。朝、余裕を持って起きれていないのは前の晩のタイムマネジメントがイケてなかったから。スマホでマンガばかり読んでいないでとっとと子どもと風呂に入ればよかったのだ。出社したいのは、自宅勤務が嫌いだから。保育園児の話の筋が時に通っていないのは当たり前だし、理解できるように時間をかけて話を聞き出せていないからかもしれない。話を聞いてくれないのはパニックモードに入ってしまったからだし、そうなったのはその直前にちょっとした過ちに対して反射的に怒ってしまったから。いくら説明しても同じ過ちをおかし続けるのであれば、まだそれが能力的にできないのかもしれない。例えば「周りに気をつける」のは大人には当たり前に行えなければならない社会的な行いの一つかもしれないが(僕がきちんとできているかは別として…)、保育園児には極めて難しいようだ。このギャップが、イライラの源となる。ノロノロと食事をするのはおいしくなかったり食べにくかったり、あるいは満腹だったりするシグナルを出しているのにこちらがキャッチできていないのかもしれない。楽しんでいる公園から帰りたくないのも当たり前だ。帰りたいのは親たる自分であり、それは昼飯や昼寝といったスケジュールを気にしているからである。

ゼロイチで片の付く話ではない。例えば早く出社したいのは早く帰りたいからでもあり、早く帰りたいのは早く食事を準備して夕飯を済ませて風呂に入れて寝かしつけたいからであり、その他にも家事が待っているからである。早く寝かせつけ、自分たちも遅くならないうちに寝ないと翌日の諸々の大変さが増してしまうのだ。しかしながら、子どもの都合というよりは大人の、自らの都合で恐怖政治を展開してしまっている…この事実に気づいたときは驚愕した。文字通り、あんぐりと口を開けてしまっていた、頭の中で。そもそも、時に恐怖政治を敷いてしまっていることに大きな自己嫌悪を覚えているのに、それが自己都合であったとは。痛烈に反省をした。しかし、そのことに気づいてから数ヶ月、おそらく恐怖政治的な挙動は10%程度しか減っていないだろう。ここに子育ての難しさがある。多くの人は、ベストに近いものを尽くしているのだ、はじめから。それでも「マチガイ」を繰り返し続ける、それに気づいていながら。「親も子とともに成長する」「子育ての中で親も育てられる」なんて言うが、子どもの著しい成長速度を自らのゼロに近いそれと比べて落ち込むこともあるし、「マチガイ」を多分に含む子育ての被害を受けるのは子どもだ。非常にツラい。

子育ての「知らないと手抜きに見えるが、知っていると頷くばかりである」ことの裏には、こんなことがあったりなかったりやっぱりあったりする。この手の話は子育てに限ったことではないだろう。他にもきっとある。絶対にある。知らずに盲目的に批判しないために必要なのは、想像力と当事者の発信だろう。想像力を育むには諸々の頭を使うことや経験を積むことが要るだろう。-10%も4回繰り返せば元の2/3だ。そして2/3を4回繰り返せば元の2割。もちろん、子育てにおいては大人側の継続的な努力も必要だろう。「知らないと○○に見える」の、見る立場のことを考えると、想像力を使い、また育み続ける努力も怠ってはいけないのだろうなあ。そして当事者としては、ちょっとだけ、余裕があったら発信をしよう。そう思った。

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