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「『心の中の天使と悪魔で天使が腹黒』は斬新ではありません」

どうも、とったんです。

ふと、大学時代を思い出した。
放送研究部での出来事である。

放送部の大会(コンテスト)に向けてラジオドラマを作っていたときのこと。
このときぼくは(心も含めて)放送研究部を離れていた時期で、ラジドラチームがアイデア出しに苦心していたらしい。
たまたまサークル活動に参加していたぼくはその会議を聞いていたのだが、こんな会話が飛び出た。

「心の中の天使と悪魔が争うんだけど、天使が腹黒ってのはどう?」
「いいじゃん斬新で!」

思わず困惑してしまった。それは、大分古典的に使われているネタやぞ。
相当煮詰まってるんだろうなぁとも思った。

締め切りに追われ行き詰まると、人は安直な思い付きにすがってしまう(ブーメラン発言)。
その安直な思い付きは天啓のように思え、至極大事に扱ってしまうのだ。(特大ブーメラン)

もし、「心の中の天使と悪魔」をやるんなら、今のぼくなら「天使と悪魔と時々田中」なんてどうだろうと提案する。
天使と悪魔がそれぞれ主張したあと、関係ない話(家帰ってゲームやろうぜ!とか)を田中がぶっこんでくる。誰なんだよ田中!ってなる。
みたいな!
…はい。これもつまらないですね。
しょうもないこと言ってないで解説いきます。

発想で大事になるのは「常識を疑う」ことである。世の中の大半が勝手にそう思ってしまう、思い込んでしまうことを一歩引いたところから冷静に見つめ直すのだ。

今回の場合だと「心の中の天使と悪魔」なんだけどこれに疑問を投げ掛けるのである。
「天使が腹黒」は「天使は良いことをする」という一般的なイメージがあり、「本当に天使がいいことをするのか?」と疑い、「もし天使が腹黒かったら」という発想に至る訳である。

ただ、これは前述したように使い古されている。みんな思い付く発想である。
ならば、他のアプローチから攻めてみようというわけだ。

「『天使と悪魔』という図式だけど心のなかにいるのは本当にその二人だけだろうか?」
「『天使と悪魔』というけどそれはキリスト的宗教観だからでは?宗派が違えば、例えば仏教ならブッダとマーラが争うのでは?」

などのように多面的に考えればいくつもアイデアはでる。大体100個くらい思い付くころには「斬新な発想」が生まれている…かもしれない。

それにしてもぼくの発想はおもんない。なんでや?
発想が出オチだからよ。ね❤️
HAHAHA!

悲しいね。

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