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「モテる」の定義って何?と問いかけてくる、モテるための本と、ついでに大学時代好きだった子の話

どうも、とったんです。

今回の記事は最近はやり(?)の
YouTubeとかニコ動の広告で流れてくる
くっそ早口でウザイCMみたいなつもりで読んでほしい。
何だったらスキップボタンを押してもらっても(そんなものはない)
ブラウザバックしてもらっても構わない。


なんとなく大学生協で手に取った本の中で、
今でも忘れられない本がある。
二村ヒトシ著『すべてはモテるためである』

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂) 二村 ヒトシ https://www.amazon.co.jp/dp/4781670822/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_cc4VEb5TFDC0Z 


という本だ。

この本は、「モテる」ようになるための
手助けしてくれる本である。

とはいってもモテるためのキラーフレーズとか、
どうやったら女の子を口説けるかとか、
そういうテクニックを教える本ではない。

というか、冒頭の方で「モテるための本で『こうすればモテる!』って書いてあることをそのまんま実戦するやつってキモいよね」と厳しめの意見がでてくる。

それどころか、「『モテる』の定義を考えてみてください」と問いかけてくる。
何だったら答えが出るまで読むのを中断してください、とよびかけてくる。

そう、この本は読者に考えてみることを要求する
哲学(厳密には倫理学)的な本なのだ。

これをよんだのが大学1回生か2回生くらいの時だったはず。
だが、これを読んでたからモテたかというとそうではない。

この本読んで、モテるようになりました!
って紹介したら怪しい商売みたいじゃん。

ただ、読み物として純粋に面白い。
女性が読んでも面白いと思うかもしれない。
モテたい男向けの本なのにね。

モテる云々でふと思い出したことがあるのでついでに書いておこう。
大学時代の話だ。


ぼくはモテない男だ。
今現在も進行形でだ。

大学生のころ、モテるための努力をしようとして上手くいかなかったことがある。

具体的に言うと、それは大学生のとき好きだった子に好かれるための努力で、
とりあえず一般的に好かれる男になろう、
というノリで(そうじゃなかったかもしれないが、
少なくともぼくはそう認識している)、

歩道を歩くときは車道側を歩いたり、
重い荷物を持ってあげたり、
歩く速さを女の子に合わせる、
といった、いわゆる気遣いができるようにしろ、
というだけの話である。

そんな一件当たり前のようなことをなぜできなかったかというと、
ぼくの内面の気持ちがもたなかったからである。

飛躍しすぎたので補足する。

当時、同じ学部の友達(その子らは女の子)に
気遣いについて教えてもらってたのだけど、
話を聞いているうちに

(そんな当たり前のことができない自分は
ダメなやつなのではないか?
よしんば付き合えたとしてもまた別のダメなところが見つかって、上手くいかなくなるだけじゃないのか?)

とすさまじくネガティブに考えてしまった。

元来、ぼくはマイナス思考である。
つい悪い方に考えてしまうくせがある。

周りの子は昔うじうじしてたけど今は乗り越えた組である。
「うじうじしてんじゃねーよ!」と大変気が強い。

この気の強さは悪いことではない。
彼女たちは彼女たちなりに苦労をして、
それを乗り越えて今があるのである。

ただ、悩みの乗り越え方は人それぞれである。
合う合わないがあるのだ。

辛いことを乗り越えた人は自分の乗り越え方に自信を持っている。
もともとの自己評価が低かった人は
「こんな自分でもできたんだ、
なら他の人も当然できるはず」
と思うのである。

それがぼくには妙なプレッシャーに見えたのだ。

一時期、『嫌われる勇気』という本が流行った。
アドラー心理学に立って書かれたこの本は、
トラウマなんて存在しない。
性格は生まれ持ったものじゃなくて、
今の自分がそうありたいと思ったから
その性格になった。
自分を変えたければ、過去にとらわれるのでなく
今を変えるべきだ。
といった感じのことが書かれている。

言いたいことはわかるけど、
何というか、体育会系だなぁと思う。
あんまり馴染まなかった。

とにかく、
好かれるために気遣いができるようにする
という訓練は
ぼくにとって、
それができてなかった、今までの自分の否定のように思えた。

そして、これは前に書いたかもしれないが、
気遣いはぼくの役割じゃないのではないのか
という考えに陥った。

そういうのは気遣いが自然にできるイケメン様がやることで評価されるのあって、ぼくみたいなのがやっても、やって当たり前じゃん、くらいにしか思われない。もしくはえっ、似合わねー、で終わるだけなのではないか。

こうして、負のスパイラルに落ち込み、
玉砕覚悟の告白もせず、
うやむやに時は流れ、
しだいに気持ちは薄れていった。

結局、ぼくは好きな子にぼくのことを恋愛的な目で見てもらえているのか聞けずじまいだった。

まあ、実は一回生の大学の帰り道で
「すくなくともとったんのことは恋愛対象として見てないから」
と宣言を受けていたし、
その子は二回生の時に部活の後輩の子と付き合ってたしで、
暗にぼくは恋愛対象じゃないって示唆してたんですけどね。

それなのにアプローチをかけようとすれば
そりゃあ、避けられるようにもなりますよ。
四回生の時点で大分避けられてた気がするし。

や恋く(やっぱり恋愛はくそだな)。


恋愛しているときの自分は、どうやら気持ち悪いらしい。
じゃあ、もう一生恋愛せずに生きて生涯独身でいいんじゃないかと
半ば本気で思っている。
性欲を捨て、なんだったら去勢し、害悪な遺伝子を根絶すべく
誰にも知られず孤独死するのが世のため人のためではないだろうか。

…こうやって大げさに負の感情を表現して書くから、避けられるのでは?
かまってちゃんほど厄介なものはない。
それなのに自ら進んでかまってちゃんになろうとするのは愚行だろう。
かまってちゃんとかまってちゃん予備軍はその精神構造を一度見直して、
メンテナンスした方がいい気がする。
主語を一般大衆化するな。ぼくのことだろう。

というかクソ長い自分語りを持ち出して何が言いたいかというと、
ぼくは、モテるための気遣い以前に
気持ち悪くない人になる方が先の気がする。

ちなみに冒頭で紹介した『すべてはモテるためである』の中に
モテない男のタイプ分けみたいなものがある。
大体5タイプくらいあるらしい。
・・・詳細は忘れたけど(分け合って本を手元から失っている。というか、ぼくが大学時代所有していた本の大半は兄に売られた)
あ、ちょっとだけ思い出した。
「馬鹿か賢いか」とか「考えているか考えていないか」とか、そういう軸の話だ。
誤解がないように言うと、ここでいう馬鹿か賢いかは
勉強ができるできないというより要領がいいかどうかって話だったはず。


この『すべてはモテるためである』、すでに「モテてる」人が読んでも
面白い。と本文でも紹介していた。(文体の面白さも売りの一つだ)
この本の冒頭に書かれている結論は、
「あなたがモテない理由、それはあなたがキモチワルいから」だそうだ。

ある意味盲点だったというか、真理のような気がする。

さて、じゃあどうすればキモチワルくなくなるのか。
一応本の中にもヒントはのっているのだが
本文中にある、著者とある女性のインタビューの中にでてくる
「モテるためのテクニックが書いてある本を真に受ける男は
その時点でアウトだよね。」
というくだりがある。

その女性の言葉には続きがあって、
「それは一般化された、女性を落としたり喜ばせるテクニックであって、
目の前にいる女性を落とすテクニックじゃないじゃん。
口説くんだったら目の前にいる子を口説いてよ」
とつづく(大体こんな感じ)。
めちゃくちゃエモい。

百聞は一見に如かず。とりあえず読んでみよう。
そして、ぼくは気持ち悪くない人になろう。

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