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ぼくが大学の放送サークルからフェードアウトしただけの話

どうも、とったんです。

大学時代、放送部(放送研究部)と演劇部に所属していたことは前に話したと思う。比重としては、演劇部の活動の方が多かった。まあ、演劇部は10人くらいしかいないので、部員総出で公演をしなければいけなかったし、仕方がないといえば仕方がない。
タイトルにある「フェードアウト」の要因は演劇部の活動が多かったから、それでおしまいといえばおしまいなのだが。

Twitterで大学の放送部がどうのこうのというツイートを見て思うところがあったので、ぼくはこの記事を書くことにした。
ちなみにこれは、あくまでぼくの視点でのお話です。隠された真実はいろいろあるに違いありませんが、ぼくがあまり物事に首を深く突っ込まない性質だったので知らないことだらけなのです。裏ではこんなことがあったんだよ!真実はこうだよ!って方(っていうか同期の子)はまたどこかの酒の席でお話ししましょうぞ。

・放送研究部に入部したときの話

大学に入学し、部活を決めかねていたぼくは、とりあえず「放送研究部」を見に行くことにした。コミュ障であり、高校放送部時代から他校との交流という発想がまるでなかった(強いていうならTwitterで一方的にフォローしたりするくらい。なおあまりリプライはしない模様)ぼくであるが、仮にも放送部経験者である。自分のいる大学の放送部くらい把握しておきたいという気持ちで部室へ見学に行った。

そこで放送部の活動をまとめたビデオを見た。なるほど、どうやら撮影機材(高校時代、のどから手が出るほど欲しかったビデオカメラもある!!)もちゃんとある上に、映像作品に力を入れている。さらに大学Nコンにも出ている。作りたいものがあれば、一から企画を作って制作する。高校放送とは違うものだけど、大学放送には大学放送なりの魅力がある、とぼくは感じた。それにしても上から目線過ぎないか、ぼく。

すでに演劇部に籍を置いていたのだが、ぼくは放送部に兼部することに決めた。見学に行く前、高校放送の先輩から聞いた話が脳裏をよぎっていた。曰く、大学放送と高校放送では熱量が違う、と。そんな感じのことを言っていたはずだったと思う。でも、その当時のぼくはそんなこともないはずだ、ここなら、と思っていた。

・放送研究部が楽しかったころ

放送研究部が楽しかったころ、それは例えるなら『ベルセルク』の黄金時代編みたいなものである。ガッツがグリフィスの騎士団に入り、仲間たちと楽しい日々を過ごしていたころである。

放送研究部に入って間もないころ、大学Nコンへの応募の締め切りが迫っていたので、部門ごとに分かれて活動することになった。ぼくは音声部門に配属になり、先輩や同期たちと様々なアイデアを出しては議論することを繰り返していた。時にはアホなノリも交えたりしていた。例えば、自分たちは音声部門であるから暗闇のなかで視覚情報を遮断して話し合う。そして電気を付ける度にもだえ苦しむ。文字起こしすると何とも阿呆なことであるが、ぼくにとってそれがとても楽しかった。

無論、アホばかりやってたわけではない。話し合い自体はちゃんとしている。現に、そうした環境で生み出されたラジオCMが、大会で準優勝したのである。
なんというか、つくづく準優勝に縁のある人生だなぁとしみじみ思う。
そしてNコンが終わった後、部内の親睦を深める合宿。
さらに、学園祭で上演する番組の企画で、京都市営地下鉄をつかった旅番組を収録した。
楽しかった。とても楽しかった。
ここまでは。
だが、ぼくのおよび知らないところで、すでに放送研究部の闇はすでに蠢きだしていた。

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