繊細なのか、自分大好きなのか

どうも、とったんです。

こんとん!はどこに行った?
という気がしたあなた。
ぼくの記事の読者ですね。いつもありがとうございます。

字面の面白さで使っていた挨拶だったのですが、
初見の方を遠ざけているのでは?
と今更ながら危惧しはじめてきたので、
うわキツで避けられるよりもできれば読んでほしいので、
普通に始めようかなとおもって、普通のあいさつに戻したのです。

…別に、年齢的に不思議ちゃんキャラを貫くのがきつくなったとか、
そういうのではありませんから。


HSP気質、という方々を知っているだろうか?

HSP、ハイリー・センシティブ・パーソン。
平たく言えば、かなり繊細な人のことである。

ぼくがこの言葉を知ったのは、本屋さんだ。
話題本コーナーに「敏感過ぎて生きづらい人~」的な本
(タイトルは忘れちゃったけど)
をみかけ、気になって思わず手に取った。

書き上げてきたぼくの記事から分かる通り、
ぼくは、生きづらさを抱えているタイプである。

本に書かれていた内容に自分はすごく当てはまるなぁと思ったのである。
というか、世の中にはそういう人もいるんだなぁ
という気持ちが強かった。

そしてHSPへの理解度が上がったぼくは、
もっと知りたいと思い、ネットで調べることにした。
(本や論文などの文献に頼らないのがぼくの悪い癖だ)

曰く、HSP気質の方は
過敏であり、人に対して共感しやすすぎて、気疲れしやすく、
ストレスを抱えやすい。
他方で、感受性が強く、芸術方面に才能を発揮することもあるという。

本では主に
HSP気質の方は、自身の気質を治す、というよりうまく付き合う方法を探す
というアプローチをとっている。

こうして、ぼくは生きづらさの一因と側面を知ることができた。
めでたしめでたし。

…で終われば、よかったのだが。
終わってたらこの記事を書くには至っていない。

世の中にはこうした気質の方が生きづらさを訴えている一方で、
「それは、きみの甘えなんじゃないの?」
と批判する声もある。らしい。

らしい、っていうのは実際にそういわれたわけではないし、
ネット等で知った情報ゆえに実態があやふやだから、
断言を避けるために「らしい」と言ったのである。
そんな中学か高校の国語の授業みたいな話はともかく。

要はその人の抱えている問題の、
別視点からのとらえ方である。

HSPをはじめ、新型うつ、ADHD(多動性障害)、LD(学習障害)、
パーソナリティ障害、高機能自閉症、
昨今では、こうした生きづらさの原因に多くの名前がついている。

しかし、これらは目に見えにくい病である。
いや、病と言っていいかわかりにくい範疇である。

学生時代、および社会で競争に追われてきた人たちにとって、
困難は努力で乗り越えるのが当たり前であると考えているはずだ。
そういう人たちにとって、
生きづらさを抱えている人たちは、
困難を避けている、言い訳をしている人に見えるらしい。

世間ではそういうのを、クズとか落ちこぼれというらしい。
怠惰であるとか怠け者とか。

こうなると、哲学・倫理学的な問題になってくる。
果たして生きづらい人たちは怠けているだけの人なのか?

社会をまっとうに生きる勤勉な人たちからしてみれば、
この問いかけは成立しない。

彼らの思考では、
そういう生きづらい人もいるだろう。
でも、お前はそうじゃないだろ。
そういう言葉を怠ける言い訳の道具にするな。
という具合になる。

これはつらい困難を乗り越えれた人ほど強固になる。
乗り越えれた人は、謙虚なのか自尊心が低いのか、
こんなにもダメだったぼくですらできたのだから、
他の誰でもできるはずだ。
と成功者の視点で物を言う。言ってしまう。

自転車に乗れる人が乗れなかったころのように転べないように、
成功者は、できなかった人の視点に立つ、思考を知ることは難しい。
それどころか、できないのは努力が足りんからだ、
とできない人を強く非難する。
過去の自分を見ているみたいだからだろうか。

少し脱線してしまったので話を戻すが、
生きづらい人たちと、いわゆる怠け者は境界線が危うい。
そして本当に繊細で困っている人は、
社会を生きる人たちに理解されず非難され、
気を病んでしまう。

教育現場で働く人たちは、本当に大変だろうな、と思う。
(ものすごく他人事みたいな書き方で面目ない)
成績不良者は怠惰だから成績が悪いのか、
何らかの問題を抱えているからなのか、
その判別はどこでつけるのか、そもそもつけていいのか。
こうしてうじうじ悩んでいる時点で、
ぼくは教育者や指導者には向いてないと思う。
間違っていたとしても、一本の軸を持っていないと
教育者はやってけないような気がするのは理想主義が過ぎるだろうか?

とまあ、自称・生きづらい人として主張を続けてきたが、
ここらへんで少し反証してみよう。
自分の主張の正しさを立証するには、反論は大事だ。
とはいえ、急に手のひらをかえすな。
チェス盤をひっくり返すな(うみねこ脳)。

「傷つきやすい人」とネットで検索したとき、
上の方に出てきた記事(https://www.gentosha.jp/article/12865/)にこんな言葉があった。

「自分大好き人間」

決して、HSP気質の方を押しなべてそうだという意図ではないことは
先に伝えておく。
しかしグレーゾーン気味のぼくには突き刺さる言葉である。
ちゃんと上記リンク先の記事を読めばHSPの人を非難する記事ではないことがわかるが、要は、ぼくの場合、自意識が肥大化した人間なのでは?
という可能性が上がったのである。
つまり、HSPというよりは自己愛性パーソナリティ障害なのでは?
ということである。

ある意味では生きづらい人である。ヤマアラシのジレンマである。
人を好きになることができない、とたわ言を言ってるぼくは、
自分にしか関心がない自己中人間だったということか。

マイナスな側面が一つ分かった瞬間に自分を全否定してしまう癖、
悪い癖だとわかっていてもやめられない。
精神的自傷行為は恐ろしく容易にできてしまう。
自虐行為は、行き過ぎるとはた目には気持ち悪い上にめんどくさい。
乱発すればもれなくかまってちゃんの蔑称が与えられる。
実際かまってちゃんじゃん、という正論は求めてない。逆上するゾ☆

いよいよもって、落とし方が分からないところにたどり着いてしまった。
生まれてこの方、オチのある話ができたためしがない。関西人なのに。
関西特有の「で、オチは?」はハラスメントなのだろうか?
オチがないのが『オチ』。それがゴールドエク(以下略)

白黒はっきりつけれないのは、ぼくがグレーゾーンだからだろうか。

(とってつけたような、おわり)

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