苦手な先生の告白~子ども病院2日目~
朝10時半、主人が入院の荷物をもってきてくれました。
出張から帰ったばかりだったし、急に私がこんなことになり、息子の世話や心労でか、とても疲れているように見えました。
昨日の診察の内容を伝え、
「先生がホント嫌だった。クリニックの先生がとっても優しかったから。。産婦人科の先生って、あんなかんじの人が多いのかな」
と涙交じりで憤慨する私を、主人は苦笑しながら聞いていてくれました。
「出張のたびになんかあるよね」
切迫流産で入院した時も、切迫早産で入院することになった今回も、どちらも主人が出張で不在の時でした。
それだけ精神的に支えられていたんだと思うし、いないとバランスが崩れたのかなと思います。
「子供は面会できないんだね」
ハイリスクの妊婦が入院しているため、子どもと面会できる場所は限定されていました。
さらに私は病室から出てはいけないと言われていたので、必然的に息子に会うことはできませんでした。
「入院、いつまでになるんだろう」
とても前回のように一週間とか10日で退院できるとは思えませんでした。
「仕事、休むことにしといてよかった」
色々と中途半端に投げ出してきてしまったので、同僚への負担が気がかりでしたが、仕事はちょうど昨日から休むことで承諾をもらっていました。
職場に申し訳ないという気持ちと、仕事中心の生活が赤ちゃんに負担をかけてきたのかもしれないと思うと、同僚に対しても、赤ちゃんに対しても申し訳なく、反省してばかりでした。
しばらくしてノックの音、病室のドアが開き、昨日の先生ともう一人別の見たことのない先生が入ってこられました。
新しい先生は
「少しお話ししても大丈夫ですか」と前置きしてから
「昨日も説明しましたけど、ご主人がおられるので、改めて説明させてもらいます」
丁寧な口調でした。それを合図に、昨日の先生が口を開きました。
昨日よりは幾分ゆっくりした口調でしたが、私と主人に鋭い眼光を向けながら、医学用語を並べていきました。
先生から目線を外してぶっちょうずらで話を聞く私をよそに、主人は真剣な表情で「はい」「はい」と相槌を打ちながら話を聞いていました。
話し半分で、この先生が私の主治医になるんだろうか、それだけは絶対に嫌だ、そんなことを考えていました。
先生はそんな私の気持ちを見透かしていたのでしょうか。
最後にこう締めくくりました。
「でも私たちは今できること全部やってます。CAOSだということも分かっているし、ここに入院もされている。敵の手の内は分かってると言ってもいい。この病院の設備や技術は日本でも最善です。だからどっしりと構えていればいい。」
嘘ごまかしのない誠実な言葉でした。
そうかもしれない。自分の状況を受け入れられないまま、一筋の光のように先生の言葉を胸にしまいまいした。
入院時の書類にはしんどいものもありました。胎児が500グラム以上でない場合は、手を尽くしても生存の可能性が低いので措置しない、という書類に同意のサインをしなければならなかったり。
そんなことってあるのだろうか。つらすぎる。と思いながら、ここの病院に入院している限りは同意せざるを得ない。病院側がそう決めているのだから、そうなのだろうと信じるしかありませんでした。
その時のエコーでの推定体重は、500グラムにはまだ遠かったので恐怖でした。ただまあすぐに出産ということもないから、500グラムはそのうち超えるだろう、そんな気持ちもありました。
入院は出産するまでと言われました。年越しを覚悟してください、と。
そうなると息子と離れていることがつらく、つらく、息子のことを思っては泣いていました。
急にまた入院することになってしまって、可愛そうなことをしてる。会いたい。
でも絶対に無事に出産したい。
必ず赤ちゃんと一緒に帰る、元気な赤ちゃんと帰る。
がんばれ私の胎盤。しっかりしてくれ、お願い。
夜、レバー状の血の塊がまた出ました。
つづく。
これまでの経過はこちら。
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