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お腹から娘がいなくなって

全身麻酔から意識が戻った時、真っ先に思ったことは、赤ちゃんのことでした。

暗い病室のベットに私はいて、そばに主人がいてくれました。


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切迫早産で入院中の25週で出産しました。ここでは、出産した日のことを書きます。

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どのくらい眠っていたんだろう。

出産のために全身麻酔をしていたため、意識がぼんやりとしていました。

部屋がどうなっているのか、自分がどんな状況なのか、今が何時くらいなのか分からない。

そのまま静かに、静かに時間が流れていきました。

赤ちゃんはどうなんだろう。

今、何が行われているんだろう。

病室は薄暗く、私と主人が立てる音以外何も聞こえず、誰からも忘れ去られてしまったんんじゃないかと思うほどでした。


何時間経っただろう。ドアが開けられ、暗い部屋に廊下の灯りが差し込みました。

看護師さんから声がかかり、主人だけ赤ちゃんと対面できるとのこと。

いってくいるね」

主人がいなくなって、私は「無」でした。

さっきまでお腹の中にいた子はいなくて、何か考えるととめどなくなることが分かっていて、身体も心も「空っぽ」でした。

しばらくして主人が戻ってきました。

高揚していることが雰囲気から分かりました。

「会ったよ。すごくちっちゃいだけで、赤ちゃんだったよ」

なんて自分が返答したかは覚えてない。

ただ、生きててよかったと思いました。

早く会いたい。

そして心で、身体中で思っていることは「ごめんね」でした。「お腹に長く置いておいてあげられなくて、ごめんね。ごめんなさい」


主人はほどなく帰宅しました。午後3時に出産して、とっぷり夜でした。

「さわらちゃんも疲れたでしょ。今日はゆっくり寝て」

眠たいと思ってなかったけど、病室のドアが閉じられるとすぐに、私の意識は遠くにいきました。


産後、私は長い間、「ごめんね」を抱えていました。小さく、早く産んでごめんね。

早産を経験したママは、同じようにどうしようもなく自分を責めたり苦しむことがあると思います。

出産は必ずしも喜びに満ちている訳ではない。

そのことを多くの方に知ってもらいたいです。

でも、そんなお産であっても、私にとって特別で、私はこの子を産むために、この子と出会うために私は生まれてきたんだ、とさえ思いました。

どんなお産もそうだと思います。命を紡いでいくことだから。

でも私は、この壮絶な、命が揺さぶられる経験で、初めてこのことにまざまざと気づきました。

だから、自分を責め、つらく苦しいと感じていたけど、命に深く感謝する、かけがのない、光が射し込んだような経験だと感謝しています。

同じような経験をされて、「今、自分はただ苦しい、つらい」と思われている方も、その気持ちに寄り添うように、こんな思いがあると思います。

「私のところへ来てくれて、ありがとう。」




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