見出し画像

[0円小説] ひとりぼっちの神さま

昔々あるところに……

「昔々あるところに?」

神さまがいらっしゃいました。

「神さまがいたの?」

うん、神さまがいたんだ。

「神さまはどこにいたの?」

どことも言いようのない、あるところにいたのさ。

「どことも言いようのないって、どういうこと?」

つまりぼくたちは今、この海辺にいるわけだろ?

「うん、海が青くてきれいだね」

ところが神さまがいたところには、海もなければ山もない。かといって道があるわけでも、建物があるわけでもないんだ。
何しろ神さま以外なにもないんだからね。

「神さま以外なにもないの?」

神さま以外、本当になんにもないんだ。だからそこがどこかなんて、説明のしようもないのさ。

「ふーん。それで神さまはそこで何してたの?」

神さまはずっと一人きりでいたんだ。だからちょっと退屈しちゃってね。

「あー、ずっと一人でいたら、そりゃ退屈もするよね」

そういうこと。それでね。

「それで?」

それでさ、神さまはこの世界を作ったのさ。

  *  *  *

そこまで書くと、ジロウは窓のほうに目をやった。

寝台の右手に、大きなはめ殺しの窓がある。右側の七割型は青いカーテンで覆われており、左手の開かれた部分には、南国の空が薄く雲に覆われて白く眩しく、ガラス越しに輝いている。

窓枠の狭い桟には、ペットボトルの底の部分を切って作った間に合わせの花瓶が措かれ、レモングラスが二株、元気に葉を伸ばしている。

ぱっと見ると、薄く緑色に見えるその縮れた葉を、じっと見つめているとやがて、灰色から純白へと色を変ながら輝く雲を背景に、黒い影絵の静物画へと世界が変容してゆく、その視覚認知の魔術的仕掛けを、ジロウはしばらく追いかけて言語化し、そして手放すことを繰り返しているうちに、体の中に気怠い想いが渦巻き始めるのを感じる。言葉にはならない自分の、身体的な心理感覚がそれ以上はびこるのを嫌って、ちょっと散歩にでも行ってみるかとジロウは立ち上がった。

  *  *  *

この世界は神さまが作ったんだ。やっぱり。

そう思ったときのことを、きみはくっきりと思い出すことができる。

子どものころのきみは、神さまがいると信じていたわけではないし、かといって神さまなんているもんか、と思っていたわけでもない。

特別しあわせだったわけでもなければ、取り立てて言うほどに不幸せでもなかったきみには、神さまがいようがいまいが、どちらでもいいことだったのだ。

けれども、どうしてこの世界があるのかということは、少しだけ不思議なことだった。

この世界はどんなふうにして始まったのか、そして終わりがあるのだとしたら、どんなふうに終わることになるのか、そんなことをぼんやりと考えることがあった。

たぶんきみは、この世界には秘密があるに違いないと、そんなことを思っていたのかもしれない。

そうしてきみは重大なヒントをもらったのだ。

この世界は、退屈した神さまが作ったものなのだという。

  *  *  *

一人きりでいることに、たいそう退屈した神さまは、自分の内側に潜在する可能性を表現することによって、世界に形を与えることにしました。

といっても、神さまがそのように言葉通り考えて、それをそのまま実行したということではありません。

というのも、神さまは言葉以前の存在であり、二つに分けることのできないただ一つの存在なのですから、内側もなければ外側もなく、潜在する何ものもないのですし、表現されうる何ものでもないのです。

そのような次第ですから、仮にそのときの神さまのお気持ちを退屈と呼ぶことにすれば、一百三十八億年ほど前に、退屈という卵が大爆発を起こしてこの宇宙が生まれることになったのだと、そのように考えていただければ、当たらずと言えども遠からずと、そのような塩梅になるのでございます。

  *  *  *

部屋を出たジロウは結局散歩には行かずに、宿の中をうろうろしてから、また自室の寝台に戻った。

左手のもう一つの寝台では、さっきまでは端末で動画を見ていた妻が、今はうとうとと昼寝を楽しんでいる。

ジロウは電子小石板の表の硝子板を両の親指でなぞっては、頭の中から湧き出てくる言葉のつらなりを集積回路上に刻まれる信号としてしるしてゆくのだが、その限りなく空(くう)に近い無意味性のほろ苦さを噛み締めながら、今ここにあって、あるがゆえにその存在自体が許されているということの言祝ぎ(ことほぎ)を、どうにか実感することができないだろうかと、心の中で静かにじたばたと足掻いてみる。けれどもそれは、甘やかに腑に落ちるまでには至らず、奇妙な発酵のあげく酸味や辛味を帯び、涙のしょっばさをすら思わせる異郷の味わいとなって、永遠(とわ)の諧謔を合わせ鏡に写し続けるのだった。

  *  *  *

で、この神さまというのがとぼけた性格でね。

「とぼけた神さまなの?」

そうさ、とぼけた神さまが作ったとぼけた世界なんだよ。

「ふーん」

どんなふうにとぼけてるかって言うとね、世界を作った神さまは、自分が神さまなのを忘れちゃったのさ。

「えーっ、神さまなのに?」

神さまなのにね、無責任にもほどがあるよ。

「そんな神さまってあるのかな?」

それがあるんだから困っちゃうよね。

「神さまがそんなじゃ困っちゃうよ!」

だからこの世界には問題が山積みなんだ。

「問題ってどんな?」

たとえば戦争。

「戦争かー。どうして戦争なんてあるんだろ。やめちゃえばいいのに」

それがやめられないんだから、困っちゃうよね。

「ほんとにね」

戦争なんてさ、子どもの喧嘩と一緒なんだ。大人になっても自分のことしか考えられなくて、人の気持ちまで考える余裕がないから、人殺しでも何でも、切羽詰まったらなんでもやっちゃうのが人間なんだ。

「人殺しなんて怖くてやだなー」

本当に怖いよね。怖いけど、状況次第では誰だって人殺しになりかねないんだ。

「ふーん、でも、それは神さまのせいなの?」

こういう世界を作ったのは神さまだっていうことからは、神さまのせいだとも言えるね。

でも、その世界の中での振る舞いを人間自身が決められるんだとしたら、人間の責任ってことにもなる。

「じゃあ、人間の責任だ。人間って困ったもんだね」

本当にね。人間ほど困ったものはないよ。どうして神さまは人間なんか作っちゃったのか。聞けるもんなら、一遍聞いてみたいもんだよね。

  *  *  *

こうして手遊び(てすさび)の言葉をつづっている間にも、青い水の惑星の一角では野蛮な争いが続けられている。

そのことを思うとジロウの身のうちには、またしても言い表しようのない感覚が広がってくる。

結局のところ、この世界が存在することのは意味は、一体なんなのか。どうしてこれほどの苦しみが、この世界には溢れているのか。
おのれの愚かさは棚に上げて、この世界を作った神の無情に、胃の辺りがねじ曲がるのだ。

右にだけ揺れる振り子はないし、影のないところには光もない。

この世が存在する以上は、苦しみだけをなくすことはできないのだと、頭では理解することもできる。

けれども。

生ぬるくプチブル的穀潰しの人生航路をゆくジロウは、自分が享受する安楽の陰で、踏み潰され無意味にも命を奪われてゆく無数の存在の悲鳴を遠くに聞きながらも、まるでそんなものは存在しなかのように平然と振る舞い続ける自分に欺瞞とも言いかねる何かを感じる。感じながらもその事実に、特別うち震えることすらなく、少しばかり憂鬱な気分で、けれどもその先には哀しみを秘めたほがらかさがあってもよいのではないかと予感しながら……、

  *  *  *

それでね、ほら、あそこに船があるでしょ。

「うん、大きな船だね」

お金持ちの人たちがさ、ああいう船に乗って、のんびり旅を楽しむんだよ。

「へー、楽しそうだね」

自分たちがさ、あの船に乗って旅をしてるとするじゃない。

「うんうん」

港を出てさ、何日も大海原を行くのさ。

「おおうなばらかー」

それで朝起きて食堂に行って朝ごはんを食べてるとするでしょ。

「朝ごはん、何があるのかなー」

和洋中、ビュッフェで何でもあるよ。飲み物はコーヒー、紅茶、オレンジジュース。

「オレンジジュースと納豆ご飯にしよっかな」

うん、それで納豆ご飯を食べてるとね、アナウンスがあるんだ。
『お客さまの中に神さまはおりませんか?』ってね。

「えー、神さまーっ? これって神さまの話の続きなの?」

どうする、そんなアナウンスが流れてきたら?

「誰が名乗り出るのか、周りをよく見る」

うん、でもね、周りを見てても誰も名乗り出たりはしないんだ。

「どうして?」

だって神さまはね。

「うん、神さまは?」

神さまはきみなんだよ。

「えー、うちが神さまなのーっ!?」

そうさ、そしたらどうする?

「だったら、しょうがないなー、うちが神さまですって名乗り出てあげるか」

おっ、偉いね。

「偉くかんかないよ。当然のことじゃない」

その当然のことがなかなかできないからさ、人生は難しいんだよ。

「ふーん、そーゆーもんかなー」

  *  *  *

自分が神さまなのかもしれない。

考えたこともなかったけれども、確かにそうかもしれない。

そしてそう考えてみると、何だか楽しそうにも思えた。

でも、やっぱり怖いかな。

だって神さまなら、この世界を作った責任とかあるんじゃないの?

しかも退屈が理由で作ったってんでしょ。

退屈だからこの世界を作りましたなんて、そんな安直なことで大丈夫なんだろうか……

でもまあ、それは今はいいってことにして。

神さまはいらっしゃいますかと聞かれて、はい、私が神さまですと名乗り出る。

で、呼び出したあなたは誰なんですか?

「呼び出した自分も神さまでして」

えっ、神さまが神さまを呼び出したの? 神さまは一人っきりじゃなかったの?

「ええ、一人っきりですよ。つまりね、この世界は自分が作ったものなんですけど、作った世界自体が自分なんです。だから世界の一部であるあなたも自分てことになるし、逆に自分こそがあなたってことにもなるんです」

なんだか頭がこんがらかってきたなー。

「考えすぎないほうがいいですよ。それより、ちょっとご相談がありまして」

相談? 相談ってどんな?。

「ええ、この船の行方についてのご相談なんです」

うん、船ね、船旅はいいよ、飛行機や鉄道と違ってせわしなくないからね。

「その、のんびりとした船旅を支えている仕組みのことなんですよ」

仕組みっていうと?

「つまり、我々がこうして安楽に航海を続けられる一方で、世界の逆の端には、苦労の絶えない、あるいは筆舌に尽くしがたい、そう、残虐としか言いようのない状況の中で生きなければならない人々がいるわけです」

うん、確かにいるね。それがうちらの作り出した、この世界の仕組みってことなんだ。
(やっぱり怖い話になってきたな……)

「で、相談というのはですね」

はいはい、相談というのは?

「この船の、つまりはこの世界の航路のことなんです」

航路ねぇ、この船の。

「ええ、我々が神であり、神の住まうこの船こそがこの世界であり、この世界に踏み潰されて死んでゆく者たちがいるわけでして」

(怖ろしいことだけど、それが現実ってことだよね……)

「この船が存在する以上、船は航海を続けることになる。航海が続く以上、犠牲者が出ることは避けられない。とすると……この航海を続けていてよいものでしょうか?」

ちょっと待って下さいよ。続けていいかどうかの前に、この航海をやめることは可能なんですか?

「ただちにやめるというわけにはいきません。私たちは全知無能の神にすぎませんから。けれども神を司る一つの細胞として、航海の方向性に影響を与えることはできるのです」

なるほど、それなら犠牲者が出ないような航海に改めるという可能性もありうるのかな?

「可能性は確かにあります。けれども余りにも長い間、私たちはその可能性をもて遊び、無駄遣いを重ねてきたのだとは考えられないでしょうか」

ははあ、無駄遣いね……。話の筋は大体分かったと思いますよ。でも、これを今ここで話すことにはどういう意味があるんですかね。
例えばですよ、私が「そうですね、もうこの航海はよしたほうがいいようだ」と答えたとして、するとこの航海は、そしてつまり、この世界自体がいずれ終末に至ることが決定されるのですか?

「いえ、そういうことではありません。これはあくまでも、可能性の調整の一局面にすぎないのです。我々の操る言霊(ことだま)は、神の言葉としてこの世界に影響を与えます。けれども、この世界の総体としての方向性は、言わばドミノ倒し的な偶然かつ必然の結果として最終的に顕れるのですから、ここで私たちが交わす言葉は、いずれ形を取って現実化する未来への、一つの小さな分かれ道として存在するというだけのことです」

なるほどね……、分かった気がします。そういうことなら、つまり、私は別にあなたの質問に答えなくてもいいわけですね。
もちろん答えないという選択をするからには、それは犠牲者の存在に目をつぶることになる。そしてそうであれば、いずれ自分が犠牲者になる可能性をも否定できないことになる……。

「そうですね、その理解でよいと思います。私はもういい加減この航海はやめたほうがいいと想い続けていますから、というのはつまり、この世界を作り、維持し続けてきたのに、結局この程度の結果しか得られていないのだから、そろそろこれを破壊し引導を渡すのも、神を形作る細胞の一つとしての務めだと考えるわけですが、あなたがまた別の細胞として違った道を行くことを否定するものではありません。今日はわざわざお呼び立てしてお時間を取らせてしまいまして、申しわけありませんでした。このように有意義な時間が過ごせたこと、大変感謝いたします。それでは」

  *  *  *

それだけ言うとね、もう一人の神さまはふっと消えていなくなってしまったんだ。

「えーっ、それってどういうこと? 世界の終末はどうなっちゃったの?」

終末の危機は去ったんだ。世界は滅ずに済んだのさ。きみが世界を守ったんだ。

「うちが? うちが守ったのー!? それはびっくりーいっ!!」

きみの中には、小さなイエスさんやブッダさん、それにムハンマドさんとかスナノオさんとか、いろんな神さまが住んでいるんだよ。そうして皆、きみのことを守ってくれているんだ。

「へー、そうなんだ。知らなかったなー」

だから、破壊神のナタラージャがけじめをつけるつもりでやってきても、しばらくは時間の猶予をもらうことができたんだよ。

「時間のゆーよがもらえたんだ。よかったなー」

うん、せっかくもらった猶予だからね、大切に使うといいよ。

「もちろん大切に使うよ。せっかくもらったゆーよだもんねー」

  *  *  *

南国タイの南部の鄙びた街で、ジロウは退屈な日々を送っていたのだ。

退屈だが平和な日々、時に妻と喧嘩をすることはあっても、そうした諍いが昔のように長くあとを引くこともない。

静かに気怠い空気の漂う街は、熱帯の強い日射しに焼かれ、時折りものすごいほどの雨に打たれる。雨のあとに大きな虹が空にかかるのも二度目にした。

朝起きて、飯を食い、用を足し、ネットでお手軽に刺激を摂取して、無為の時間を過ごす。

余りの空虚さに嫌気の兆しを感じると、自らの内に浮かぶ言葉をつづることによって、吹けば飛ぶよな自分の存在価値を確かめた気になってそれで取り敢えずの満足を得る。

つまりはそうした繰り返しによって、猶予の時間を過ごすことが自分の余生であっていいのだと、彼はほとんど割り切り、そう言い切ってかまわない地点にまで迫っていたのだ。

それほど遠くない未来に土へと還るそのときがやってくる。

それが、人生において犯した罪に対する刑の執行を意味するのか、それともむしろ退屈な人生からの解放の象徴たる人間卒業のときなのか。

そんな二分法で、自分の人生を出来合いの型にはめるつもりもなかったし、そもそもジロウは分割不能の無意味性の中にこそ命の価値を眺めていたかった。

そこでジロウは、曖昧なままに頷いて、曖昧なままに首を振って、とにかく猶予の時間を生きる自分の存在を、否定もせず、肯定もせずに、暇つぶしの手遊び(てすさび)の連続としてただそのままに確認した。

この世界はつまり、可能性の幻を計算し続ける、有機的な実験装置に他ならないのだから、自己目的化した疑似永久運動機関の存在証明として、いつまでも止むことのない伝言ゲームに自分も参加していればそれでいいのだ。

人生の解き難い定理に独りよがりの証明を与えると、ジロウは端末を寝台の右脇に置き、安穏な昼寝を満喫することにした。

#ネムキリスペクト

[有料部にはあとがきを置きます。投げ銭がてらお読みいただければ幸いです]

ここから先は

446字

¥ 200

いつもサポートありがとうございます。みなさんの100円のサポートによって、こちらインドでは約2kgのバナナを買うことができます。これは絶滅危惧種としべえザウルス1匹を2-3日養うことができる量になります。缶コーヒーひと缶を飲んだつもりになって、ぜひともサポートをご検討ください♬