二人の涙オヤジについての文章技法的小考察
みなさん、どうも、としべえです。
tunoさんの第1回noteSSF参加作品のひとつ「リストラに向き合った薄っすら涙オヤジからの命令書」
https://note.mu/akaituno/n/n9eba61a6e937
を読ませていただいて、あぁ、これはなかなかうまいなー、と思ったもんで、ちょこっと感想を、というわけなんですけども。
話の内容はというと、「人材ビジネスに携わる『若造』のボクが見た、リストラされた『涙オヤジ』の悲哀と矜持」といった感じの物語でして、短い中に、社会的、人間的価値観がぎゅっと凝縮されておりまして、プロとして物を書いてる方は、さすが、ひと味違うものだなと、感心すること請け合いです。
文章のタッチは簡潔でクール。全体を見回して特徴的なのは、この短い物語の中に「薄っすら涙」という言葉が、題名も入れると全部で五回も出てくるところでしょう。
この物語を読んだあなたが、note仲間と話をするときには、「tunoさんの薄っすら涙オヤジの話」といえば、一発で通じること、間違いないですよね。
こういうキーワードを使うというのは、話を印象づける手法として、実に有効だと思います。
さてそこで、もうひとりの「薄っすら涙オヤジ」のことなのですが、あっ、みなさん、もし読んでらっしゃらなかったら、この機会にぜひご一読ねがいたいんですよ、ぼくの第1回noteSSF参加作品なんですけどね、「さめぎわのバラード」。
https://note.mu/tosibuu/n/nbac0291b2cdb
(↑ また宣伝でごめん)
こいつが、一人称ひとり語りのお涙頂戴ストーリーでありますが、tunoさんの作風とは正反対のウェットで心理的な物語でありまして、それがなんの因果のいたずらでしょうか、一人称の「ぼく」が「薄っすら涙オヤジ」という次第でして。
狙うところがまったく違う作品なので、比べてみても仕方のないようなものではありますが、ぼくの場合、どうしても自分の書きたいものを書く、というのが前面に出てしまって、人に読んでもらう、という意識がやっぱり少し足りないかもと、思っちゃったんですよね。
それは、この間のかーるさんの講評
https://note.mu/karly/n/n47324b5b1540?magazine_key=m77461dd4f28b
で「印象に残らない」と言われたこととも重なってくる話ですので、今後の文章書きにはそういった視点も積極的に入れてみたらどうかなぁ、などと思う今日この頃です。
というわけで、人の印象に残る文章表現につきまして、具体性にはややかけますので、みなさんの参考になりますやら分かりませんが、以上、「うっすら涙おやじ」のとしべえがお送りしました。
ほいじゃ、またーー。
[写真はタイの田舎町ダンサイの街角にて]
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