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[詩と随想] 夜の蜻蛉(とんぼ)

[随想詩] 夜の蜻蛉(とんぼ)

闇の中、電燈の白色光に照らされ、
微動だにせず、木の枝にぶら下がって、
静かに、ただ静かにぶら下がって、
お前は何を想うのか。

釈迦牟尼仏陀が生まれたという、
乾いた南国の地にも秋が、
訪れたことを告げるために、
お前はそこにいるのか。

透明な羽根と大きな目玉を、
きらきらと輝かせてひんやりと、
ヒンズー寺の境内で無為の尊さを、
お前は説きにきたのか。

俺たちの巨大な脳髄が今日も一日、
幻の想念の嵐に翻弄されたのを、
ちっぽけだが精妙なその命の仕組みで、
お前は慰めてくれるのか。

(2022-10-22 北インド・カハルカ)

[小さなお話] 夜の蜻蛉

男は妻と二人十二年前に故国をあとにした。

故国を? あとに?

男は生まれた土地にさして愛着を持たない。

極東に位置する島国の、巨大都市の片隅に横たわる、見分けもつかない住宅街に、産み落とされ、成り行きまかせに育ったその身には、虚在の故郷が目には見えぬインクで刻印されている。

あり得ざる故国を偽装によりあとにした男は、新大陸の中程にある世界一美しい湖のほとりで、音楽が導く出会いの夜と、明くる朝の雨降る日の出がもたらした虹に人生の頂きを見出したのだが、その話はまた別の機会にしよう。

そして偽装を偽装たらしめるべく、一年後には震災後の祖国に戻ったのだ。

戻ってどうしようという考えがあったわけではない。いつもながらの行き当たりばったりで、とにかく大都市の路地にでも潜り込んで、何かしら仕事を見つければ、それで何とかなるだろうとたかを括っていた。

けれども、実際その土地に立ちその空気を吸ったとき、撒き散らされた特殊物質から放たれる電離放射線の呪いの重さに、恐れおののき、他愛もなく打ちのめされて、男は再び故国をあとにしたのだった。

*  *  *

そしていつの間にか、暦の小さな循環が一つ終わった。

西洋と東洋の間の逆三角形の亜大陸の寺で、男は無為の日々を送っている。熱心に寺の手伝いをする妻のおかげだ。

しかし男は、感謝という感情などろくに知らず、ただ利己心の上にあぐらをかいて、偽装した控え目の中に、時に傲慢を露呈させながら、一瞬一瞬噛み締めようと、無駄にも思える努力を散発的に試みながら、今日も電子の石板に祖国の文字を綴るのだった。

正面の少し離れたところから、とんとんとん、とんとんとんとんと、小さな金属製のすり鉢で香草を叩く音が聞こえてくる。妻が神に捧げるサマグリの準備をしているのだ。

左手では朝飯を作る圧力鍋が煮立って、ぷしゅーーっと声を上げる。

白く霞んだ空から降る朝の光が門塀に豊かに絡みつくブーゲンビリアの赤い花を鮮やかに照らしている。

男は昨日の夜の蜻蛉を思った。

あの静謐そのものの、冷ややかに溢れる命を湛えた赤くないアカトンボは、朝になると姿を消していた。

いずれ長くはない虫の生を、そいつは全うしたのか、それともその他大勢の討ち死に組か。

だがそれはどちらでもよい。

薄ら白い電燈に照らされて、その光沢とともに木の枝に休む姿が、男の脳裏に焼きついて、永遠の脈動の中で息づいている限りは。

(壬寅十月二十三日、インド・カハルカ)

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