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舌滅貴愚手の子守唄

  もてもての
    もてるものすらもてあまし
  もてなすものももりのもくずか
  (詠み人知らず)

  *  *  *

「自分を持て余さない人間て、いるのかな」

銀河の彼方から、そんな呟きが聞こえてきたんだよね。

「2001年宇宙の旅」ってsf映画があってさ、木星まで宇宙船で飛んでくと、そこに〈星の門(スターゲート)〉っていう不思議の世界の入り口があって、宇宙船の船長がそこを通って超人類になるっていうよな話なんだけど、〈星の門〉に入って極彩色(サイケ)の幻の通廊を通り抜けたあとで、ホテル・ルームっていう真っ白い部屋で船長は永遠の浦島時間を過ごすことになるんだ。

その、真白き部屋にいたときに、呟きを聞いたんだよね。

と言っても、ぼくのいた白壁の部屋は天竺の西、砂漠のとばぐちに位置する街の安宿の一室だから、映画に出てくるほどには素敵な部屋じゃあない。

南国の季節感に乏しい土地のことで、陽射しが恋しい冬じゃなかったし、酷暑に喘ぐ真夏でもなかったのは確かなんだけど、春だか秋だか分からない、時間の止まった永遠の今のただ中で、駱駝模様の敷き布に覆われた寝台の上で小石版の画面の中から、見知らぬ誰かの発した言葉が目玉に飛び込んくると網膜に反射して、ちっぽけな頭蓋の暗く虚ろな空間に、しんしんと響き渡ったんだ。

実を言うと、その呟きが銀河の彼方から聞こえてきたのか、それとも銀座の深夜の路上からやってきたものだったのか、そこんとこはよく分からない。

でも分からなくてもいいことって、世の中には多いじゃない。

明日何が起こるかだって、本当は分からないのに、それでもぼくらは生きてくわけでしょ。

北の海で観光船が沈没したり、どこかの海辺で発電所がお漏らしをしたりするたびに、明日何があるかなんて分かりゃしないんだって、未来の不透明さを実感するわけでさ。

甲状腺に病気が出たからって、それがヨウ素の放射性同位体のせいかどうかなんて、そんなの分かるわけないんだからな。

分かりゃしないのをいいことに責任逃れする人間を野放しにしていいのかっていったら、それはそうしないですめばそれに越したことはないんだけど、社会ってのは必ずしもそんなふうにうまくは回らないんだし。

つまり責任を取るべき人間が、その責任を取ってくれるかどうかは結局のところ分からないし、分からなくたって、ぼくらは今日を生きてくしかないってことだろ。

どうせ世の中分からないことだらけなんだから、そんなこたぁ分からなくったっていいんだって、開き直って力強く何もかもぶっ壊しちまえばいいんだよ。

……まあ、それは極論だけどさ。

それはそれとして、その呟きが銀河の彼方から聞こえてきたってのには、無根拠な確信があるんだ。

確かにそれは、途方もない遠くで発せられた言葉が、無限の道のりを測ることもできない時間をかけてやってきたに違いない、かすれて、色あせて、聞こえるか聞こえないかぎりぎりの微弱な電気信号になって、白い部屋までやってきたんだ。

確信なんて強い言葉を使ってるのに根拠がないなんて、何の寝言ですかって言われるかもしれないね。

けど、言葉で説明できるような理由なんて、本当は当てにならないでしょ?

つまりさ、信じるものは騙されるって話だよ。

それが銀河なら銀河、銀座なら銀座って、自分の体に直結した直感を信じて生きるんじゃなかったら、一体何を信じろって言うのよ。そーゆーことでしょ。

だからさ、やっぱそれなんだよ。

そう、おれはその頃、どうにも自分を持て余してたのさ。

そして持て余してるなりにはね、悟りも決めてたんだ。

誰もが自分を持て余してるのも知ってたし、その持て余してはみ出した自分をどうするかが人生なんだって、勝手に納得してたってわけ。

おかしな話だと思うかい。

それでだ、人間の形ってどんなものだと思う?

胴体があって、そこから手と足が生えてて、上には頭が乗ってるってか。

まあ、それはそうだけどね。

でも、人間の形なんて本当は不定形だろ。

猫や犬だったら、しっかり形もあるかとしれんが、狐や狸だって人を化かすじゃないか。

ましてや人間なんて、本当はヒトの皮をかぶった妖怪にすぎないんじゃないのかね。

だからさ、人間なんて実際は、どろどろぐちゃぐちゃした妖怪の形を、無理矢理ヒトの皮に押し込めてるだけなんだから、そりゃあ自分を持て余すことになるのも当然ってもんじゃない。

強引にヒト型の皮袋に詰め込んだどろどろの妖怪が、あちこちのほころびから漏れ出してくるんだからさ、そのだだ漏れのエゴやら何やらを持て余さないほうが不思議でしょ。

とまあそんなわけで、ヒトと呼ばれてる生物が、実際にはそれぞれ個体ごとに別々に分化した妖怪という珍奇な種の集合体でしかないとすれば、おれたちの一人ひとりが自分一代で死に絶える運命の絶滅危惧種ってことになるわけだ。

ていうより、絶滅が危ぶまれるどころか、確実にその一代で絶滅するんだから、絶滅必至種とでもいったほうがいいよね。

で、更に蛇足を承知でつけ加えればだよ、あと60億年だかすれば、太陽も寿命が来てとてつもない大きさにまで膨張するから、地球はそれに呑み込まれちまうってんだろ。

そうなったら生物の種がどうこうじゃなくて、地球ごと全滅だ。

ガイアと呼ばれる地球生命体自体が絶滅必至種なんだから、ほがらかに笑うしかないよね。

まあしかし、そんな遠い未来のことをいくら考えたって何の得もありゃしない。

だからこの寝言も、この辺で一巻のおしまいってことにさせてもらうよ。

お喋りな舌は滅することにして、貴種流離妄想の愚かさともはい、おさらばと、名残惜しさの別れの場面に、幻の巷を仰ぎ見て、派手に大きく手を振ることにしようじゃないか。

さよならもありがとうもない冥界に、全身全霊込めて両手を打ち振るい、沈黙の子守唄を虚空に轟かせて、浮き世のしがらみとのしばしの別離に、晴れ晴れと涙を流すのさ。

[2022.4.27 熊本植木にて]

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