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[詩小説] 昇降台のエロβ

まさかりかついだまさかどが
おにをひきいておうまのけいこ
はいしどうどうたいしどう
てんじんさまもべそかいた

成田空港を利用することがある。

格安の便を使うと、やたら朝早く出発することになるものだから、この数年成田に宿を何度か取った。そしてせっかくの成田だからと成田山にお詣りする。

ところで、千葉に古くから住む人は成田山には詣でないのだという話がある。

というのは、成田山という真言宗の寺は、平将門(たいさのまさかど)を調伏し討伐するために創られた寺であって、将門を自分らの将と仰ぐ地元の人々には、そんな寺にお詣りする義理はないということで。

二十一世紀の世の中にこうした話がどこまで現実なのかは定かでないが、東京から江戸川を一本隔てた川向こうの千葉が、古くからの伝統と因習を十分に残しているだろうことは、東京育ちのぼくにでも、ある程度は想像できるところで、それというのも、市川の京成八幡に住んだときに近くに小さなお堂があって、そこに書かれた由来を読むと、将門の反乱を収めるために、京都からやってきて間者(スパイ)役をつとめた女性が、のちに出家して尼となり、将門の霊を慰めたお堂だというのです。

たくさんの方々が京成電車で初詣に行く大層立派な成田山にお詣りして、その京成電車で千葉に入ってすぐのところにある小さなお堂のそんな言われのことを思い出すと、その不可思議な因縁がなぜかしら心をこつこつと打つ、空梅雨(からつゆ)の今日この頃なのです。

*  *  *

何となく思いついた戯れ唄を冒頭に置きました。

高尾山の麓の秘密基地に滞在中です。

高尾山にも真言宗のお寺があります。天狗で修験道です。

修験道というと役行者(えんのぎょうじゃ)、空を飛び、二匹の鬼を率いて使役したと言います。

さて、その鬼についてですが、太宰治がお伽草子の第一篇「瘤取り」に、こんなことを書いています。

""鬼にも、いろいろの種類があるらしい。殺人鬼、吸血鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところなら見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思っていると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などという文句が新聞の新刊書案内欄に出ていたりするので、まごついてしまう。""

役行者ほどの修験道の使い手ならば、殺人鬼や吸血鬼であっても容易に改心させて手下にしてしまうでしょうし、その霊徳の前では、文壇の鬼才何某先生や文学の鬼誰それ先生も自分の傲慢不遜を改めて、正しい道の実現のため、己の文才を捧げること間違いなし。そんなアホウなことを考える高尾の午後です。

ところで、実家が世田谷にあるもので、三軒茶屋を通って行き来するのですが、あの辺りに太子堂って地名があるんですよね。はい、聖徳太子のお堂があるらしいんです。行ったことないからよく知りませんが。そういや、千葉の市川に住んでたときも、近所に太子堂がありましたね。天神さまほどじゃないにしても、太子様もそこそこの人気ってことでしょうか。

*  *  *

「将門よ、お前はまだ自らの不遇を恨んでおるのか」行者が聞きました。しかし将門はそれに答えません。荒涼と広がる河原で黙々と石を積んでいるのです。

積まれた石は、初めのうち何の形をしているのか定かでありませんでしたが、将門の執念を映し出す奇怪な創造力から、だんだんと壮大な幻が構築されてゆき、歪んだ真珠を散りばめたような人類の墓碑銘が立ち上がってゆくのです。

「将門よ、それもいいだろう」行者は言葉を続けます。「恨みが身のうちにある限りは、お前にも衆生にも救いはないのだ」

風が吹いています。乾いた風が、水もない河原を撫でてゆきます。石で積まれた真珠の墓碑銘が、目がくらむほどの高さにまでどっしりと立っているのに、乾いた風に撫でられて、ゆらゆらと揺れています。

河原にありふれた艶のない石でできた巨大な塔が、なぜか風に吹かれるとゆらゆら揺れて真珠のきらめきを放つのです。

「将門よ、それでよい。恨みと怒りの底にある、哀しみと嘆きを深い闇の奥でまたたく輝きにして放つのだ」そう言って行者は、将門にゆっくりと手を振りました。

将門はまだ石を積み続けています。けれども将門の姿は霞に包まれるかのように薄れ始めます。見る間に薄れてぼんやりとした光のざわめきとなり、やがて跡形もなく消えてしまいました。

あとに残った行者は真珠の塔に向かい、静かに手を合わせて立ちました。

*  *  *

それでさ、コンピューターとかエレベーターとかいうやつの最後の「あー」ってのが何だか煩(うるさ)いんだよね。

コンピュータとかエレベータとかでいいじゃない。

そしたら、日常語としては「あー」って棒引きがついて伸ばすのが普通だけど、技術用語としてはつけなくていいことになってるんだって言うんだよ。なるほど技術者の経済主義ってやつだわな。

まあおれも、技術者崩れの文芸オタクみたいなもんだから。

でとにかく、大相撲でエレベーターがお題でしょ。つまりさ、手術台の上でこうもり傘とミシンが出会うとか、終着の浜辺で記憶喪失の男が錆びた自転車の車輪に物想いをするとか、そういう話だよね。

それで「死刑台のエレベーター」って映画を思い出したのさ。いや、見てないし筋も知らんから、ちょっと調べたんよ。そしたら、死刑台へ向かうエレベータっていう意味で、ある殺人犯がエレベータに閉じ込められたことから、別の殺人事件の犯人と間違えられて、さて……って話なんだよ。何ともフランスらしくイカれてるよねー。

でもってエレベータは昇降機、機とは言うけど上下に動くのは台だから昇降台、そうして「えれべーた」という五文字をいじくってたらエロβってのが出てきたってわけ。

ベータ版ってのは、コンピュータソフトの世界でテスト・バージョンのことでさ、ベータ版の時点で公開していろんな人に使ってもらって、それで出てきた不具合を修正したり、ユーザからの意見を取り入れて改良したりして、それでもって完成版をリリースする、みたいなやり方があるわけよ。

だからエロβは、未だ完成にいたらないエロスのベータ版ってことになりますな。

まあ、わたしも一応人間やってますので、還暦も近いとはいえ、人並み以下、のような気はするけど、とにかく性欲はあります。

でもエロスってのはタナトスとの対語であって、そういう意味では必ずしも生殖との関わりだけのことじゃないでしょ。

死に対するところの生というものを一般にエロスと言っていいわけで、だから全然性愛だけの話じゃないじゃん。

まあだから、将門には将門の義があって反乱を起こすわけだけど、それは結局中央政府である朝廷に鎮圧されちまう。そんとき結果は生み出せなくても、反乱を起こす力自体は立派な生命の躍動であって、これも一つのエロスなんだよなー。

菅原道真にしたって、本当は都でエロスを満喫したいのに、九州に島流しの憂き目に遭って、祟り神になるわけじゃない。

エロスの奔放が封じられるから、タナトスが返って吹き上がって災厄をもたらす死の神になるわけさ。

太宰が一見ばかげた情死をする中にも似た話が見えてくるんだよね。うざい人間関係、くだらん消費社会のぐじゃめじゃの中で、生の充実なんて、言葉自体が冷笑の対象にしかならんのだから、救いなんてありゃしないけど、とにかくその性の充実という錯覚の中で、タナトスに誘われ、愛の川に溺れてあっぷっぷってなもんだよ。

日本語では昇降台だけど、英語じゃエレベータ、上げっぱなしで下ろす機能は省略されてるからさ、タナトスの冥界に沈んだエロβをなんとか天堂にまででも引き上げてやりたくもなるってもんじゃないか。

こんな地面を這いずり回ってるよりは、空でも飛んで虚空を目指てえって話よ。

*  *  *

そうして行者は、将門の立てた真珠の塔をあとにすると、三途の川のほとりに立つ軌道エレベータに向かって歩き始めました。

硝子貼りの軌道エレベータからは、将門の魔力が立てた塔が、風に揺らめきながら輝く姿がよく見えます。

その緻密にして荘厳な形がやがてちっぽけな点として見下ろす視界から消え果てる頃は、エレベータは軌道の高さに達して、周りは一面の星空です。無重力の宇宙空間で、エレベータの軌道ステーションにドッキングしている衛星に、行者は乗り込みます。

じきに周回軌道に入る衛星から蒼い地球を見下ろして、衆生の救済のために祈祷を続けるのが行者の勤めなのです。

余りにも長い年月成仏できないでいた将門の霊を、ようやく地縛の力から解き放つことができて、今日は本当によい日だった、しかしながら、と行者は思うのです。年々日日生成する煩悩という名の奇体な表象の群れなす地上世界をなだめ、はららかして久遠の静寂に導くという、終わりも知れぬ天命を受け入れたのが〈星の子(スターチャイルド)〉としての自分の幾千年にも及ぶ命であるとはいえ、恨みを溶かし、嘆きを吐き切らせて、情動を切り離すことによりあらゆる事象の相対化という境地への道を拓く、そのことによって得られる精神の最終的上昇も、果たして醜怪鬼道の英世と呼べるか呼べないか……。無論そのような言葉遊びの論理には初めからいくらばかりの意味すらないのですから、ただただ永遠の常勝を呼び寄せるために無闇に鬼頭を振り回すことで、行者は自らの道行きの確認を続けるだけなのでありました。

(了)

*  *  *

以下蛇足であるが、太宰のお伽草紙の二篇めは「浦島さん」である。これに書かれる浦島太郎と亀のやり取りが滅法おもしろい。世間の人間関係にうんざりし、日常に退屈する太宰が、戦時下の防空壕の中でこうした皮肉と機知に富んだ物語を作ることになぐさめを見出したであろうことを考えると、蓮田善明が太宰を鴨長明に例えたのもうなずけるところです。
また、カチカチ山の兎を少女、憐れな運命を辿る狸を兎の少女に恋する醜男(ぶおとこ)とするなど、いかにも秀逸な設定で楽しませてくれますので、ひねくれまくった大人向けおとぎ話が読みたい皆さまには大いに推薦いたします。

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[2022.6.27. 東京高尾。殴り書きほぼ未推敲、誤字脱字陳謝]

※本原稿は投げ銭仕様となっております。アホらしいけどおもろかったわ、と思っていただけたあなた様には、ぜひご遠慮なくサポート機能での投げ銭をご検討いただきたく、ここに蛇尾を加える次第でございます。えへへ。(としべえ拝)

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